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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第五章『ガザリア内戦編』
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第八十七話『戦場の所有者』

 太陽がその瞳を開き、中空を輝こうという頃。


 集められたエルフの兵士達は、怯えと勇ましさを備えた足を踏み出した。ガザリア都市部を息を潜めるようにして、反面心の何処かに殺意を漲らせるようにして歩みだす。


 総数は数百を数えるだろうか。エルフ達は誰もが武装し、その手に弓や槍を備えている。


 此れから彼らは、戦場に出向く。此処ガザリアを戦場という舞台に仕立て上げる。その手で戦場という悲喜劇を作り上げる為に、彼らは進む。


 もはやそれは誰にも止められない。ある者は新たなるフィン、ラーギアスの統治への叛逆心を胸に抱き、またある者は主と仰いだ姫君エルディスへの忠誠を身体の芯に据え、ぎゅぅと固く槍を握る。


 エルフの名士たちは各々が兵を引き連れ、合流し、一つの大河となって主の下へと向かいだす。流れが、激しさと確かな方向性を持ち、あふれ出していく。


 長い、気の狂いそうなほど長い平和があった。戦乱とは無縁の、理想郷。何も変わらず、あるがままを享受できる幸福が、あった。長く続いたその幸福が、今日この時をもって、崩れ去る。


 崩壊を前にしてガザリアの空中庭園は、自らの主と共に、未だ不気味な静寂を保ち続けていた。


 *


「王宮周辺と、城門前へ兵を集積している、か。なるほど結構。相手方も、舞台の前準備は終わったらしい」


 エルディスからの報告を耳に入れ、大仰に頷いた。敵方の兵の配置は、それなりに想定をしていた形と変わりない。唇の端を、歯で噛みしめる。


 こうなると、ラーギアス、敵方の狙いは紛れもなく挟撃だろう。城門前に兵士を集中させることで軽々に離脱させることを防ぎつつ、此方が王宮へと直接進撃したならば、その背後を城門前の兵士に突かせるという段取りを取っている。


 王宮はガザリアの北端、城門は南端だ。丁度大きく口を開け、上の歯と下の歯で俺達を噛み潰す作戦計画といった所だろうか。


 当然、その計画がそのまま進められれば俺達に勝機はない。


 ただでさえ、練度に不安があると思われる兵達だ。挟撃をされて浮き足立てば、その時点で勝負はつく。


 で、あればこそ。こちらは如何に嫌がらせをするかが大事になってくる。こちらの利点を殺さず、相手の利点の首を絞める。これは誰から教わったんだったか。


 相手の利点は、地の利と兵数、そして時。奴らは時間を稼ぎさえすれば、いずれやってくるであろうガーライストの兵が力となる。それは間違いなく、勝負の趨勢を決定づける要因だ。ゆえに此方は、ガーライストの兵が到着する前にラーギアスの首を掻き切らねばならない。


 全く随分と敵方の利の多い事。


 対してこちらの利は、どうだ。敵方が大いに有利であるがゆえに、その出方をある程度は予測できる事。そして後は王宮の兵士としてラーギアスの腹に入り込んでいる、ヴァリアンヌの存在くらいか。此処が見切られてしまうと非常に厳しくなってしまう。頼むから、上手くその腹を乱してやってくれ。


 しかしどうして、いつの間に俺は隊長のような役目をしているのだろう。この身には、精々前衛に駆り出される歩兵がお似合いだというのに。慣れぬ役目に頭の中がぐるぐるとねじ曲がり、腹の中が震えだす。鳩尾辺りにあふれ出した怯えが、喉をせりあがりそうだった。


「エルフの名士達は、例え正面から衝突したとしても負けはしないと言っていたよ」


 考え込んだ俺を見かねてだろうか、碧眼を瞬かせながら、傍らでエルディスが呟いた。肩を竦めながら、応える。


「主君の前では、誰もかれも自分の影を伸ばそうとするもんさ。良くて五分、そうでなけりゃ押し負けるな」


 平和などというのは、兵士を腐らせる一番の毒物だ。そんなものが何百年も纏わりついていたならば、間違いなく練度は落ちる。例え欠かさぬ訓練を続けていたとしても、だ。それは相手も同じこととはいえ、名士、いわば貴族の子飼いの兵となると、余計に練度は期待できなくなってくる。


 戦場というのは、この世界の地続きの場所ではない。もはや、魔の世界なのだ、あれは。


 最初にその場に立った時、まず誰もが間違いなくその役割を見失う。何をすれば良いのか、己は、何故ここにいるのか。何が、起こっているのか。それを理解しないまま死んでいく者も多い。


 子ネズミが竜となり、竜が子ネズミとなる場所。平時に腕が立つだとか、そういった事が一切通用しくなる。そういう、特異な場所なのだ、あれは。


 言って聞かせると、エルディスはじぃと、こちらの顔を睨み付けて、下から覗き込みながら言う。


「まるでよく見知ったように言うじゃないか。君はそう何度も、戦場に立ったことがあるのかい」


 懐疑心というよりも、好奇心に後押しされたような声色だった。思わず、眉をあげる。唇を軽く濡らしながら、言葉を転がした。


「ああ、戦場というのは、望む望まざるを関わらず、向こうからやってくるもんだ」


 特に、俺のような庶民にとっては。そう付け足して言うと、何処かエルディスは楽しそうに、頬をつりあげた。


「望む望まないに関わらず、なるほど。じゃあ、今回はおめでとうって、そういえば良いのかな」


 何を、と、そう言う前に見た碧眼がすでに俺の瞳を捉えている。妙に、互いの距離が近くなった。表情という意味ではエルディスに大した変化はないものの、瞳の奥に煌く光は、紛れもない喜色を示している。


「――おめでとう。今回は、君が戦場を引き連れてきた側さ。戦場の所有者は、僕でも、ラーギアスでもない。君だよ、ルーギス」


 なんとも、嬉しくない祝辞だ。


 ああいや、だがそうか。なるほど、その言葉でようやく腑に落ちた。


 何故俺が戦場の事で無い頭をこねくり回し、身を裂くような思いをして隊長の真似事をしているのか。


 それは、此れが俺が引きつれ、この身から溢れさせた戦場だからだ。此のガザリアという土地の平和を切り裂いて、俺が俺の為に戦場を揺り起こしたからだ。


 背筋を、冷たい感触が撫でる。臓腑の最奥から取り出すように、深い、とても深い息を吐き出した。


「有難う、そう返せばいいのかな姫君。全く、そんな皮肉何処で覚えてくるのかね」


「さぁ、此処で僕に変な事を教えるといえば、一人しかいないと思うけどな」


 どうにもよく回る口だと感心しそうになる。王族ゆえの習性と、そういうものなのだろうか。


 塔の窓から、何時もとは違うガザリアの風景が見える。一見その姿は、酷く静かだ。だがその空気の中には、何処か張り詰めたような、異様な冷たさがあった。


 戦場が、此処に来る。主である姫君を救出し、ガザリアの平和をかき乱す為に。


「姫君。一先ず、俺が依頼した事項は、細かい事も含めて問題なしって事でいいのかね」


「ああ、言っただろう。でもさ、疑問なんだけど――あのワイン、何に使うわけ?」


 そう言って、不思議そうに首を傾げるエルディスに、思わず頬を緩めた。


「何、ワイン好きの知り合いがいてね。よく知ってる奴なんですよ、かつて旅をしていた頃から、ね」

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