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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第四章『エルディス編』
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第七十七話『その手の行き先』

 上等なベッドに腰かけ、顎に手をやりながら、思考を回す。


 今の状況は、不味い。非常に宜しくない。肩に纏わりつく衣服が重荷に感じるほどに、胸が圧迫されていた。


 俺は今まで、かつての旅、かつての歴史の智識を紐解きながら、自身が有利になるように種を仕込んできた。カリアの件にしろ、フィアラートの件にしろ、福音戦争の件にしろ、そうだ。


 だが、今はどうだ。正直な所、此処ガザリアの空中庭園に至っては、俺の智識が通用しそうな場所は知れている。俺が思い込んでいた部分と、随分と違う箇所もあるらしい。あのエルフの姫君、エルディスの思惑も、この手に掴むことが出来ない。


 だというのにも関わらず、感情の赴くまま、胸に渦巻くままに言葉を吐いてしまった。思わず、前髪を抑え込む。


「今更後悔したって遅いよ。君が巻き込まれたくないというのなら、僕は無理やり抑え込んででも巻き込んでやろう。いや、諦めていないというのなら、そうするしかないはずだ」


 本当、馬鹿な事をした。人は自分で決めたことすら、己の手で容易く破ってしまうのだ。


 エルディスの言葉が、妙に耳を鳴らす。喉を、唾で洗いながら、声を漏らした。


 そういえば、一人で誰かと向き合うのは、久しぶりかもしれない。最近どうにも、周囲に人が多かったからな。しかし俺には、こちらの方が似合いだ。


「姫様って呼ぶべきか、それともエルディスと呼ぶべきか迷うが。聞かせて欲しいね。お前さんが何をしようとしていて、今此処がどうなっているのかって事を」


 ヴァリアンヌと名乗る女エルフは、とうに部屋から足音を立てて消えていた。己の主たる、エルディスの言葉を叶える為だろう。


 足を組み替え、胸元の噛み煙草を探す。しかし、しっかり没収されているのだと、思い出した。


「何処から伝え聞かせたものか迷ってしまうけれど。よくある話さ。多分ね、人間の国では絶えない話だとよく聞くよ、嫌になるね」


 なるほど、きっとそうに違いなかった。よくある話だ。


 エルフの偉大な王がいた。善政と、慈愛と、大徳を持ちえる王。人間の王ならこれ以上の事はない。素晴らしい。きっとその治世は後世にも讃えられる。悪徳の者だって、その時代は息を潜めて生きることだろう。


 問題は、エルフというのは、その寿命が俺達人間には計り知れないほどにある、ということだ。


 彼の王の治世は、数百年に及んだ。そうなると、誰もが時代に飽いてくる。本来であれば不満に思わぬことも、不満と思うようになる。小さな解れを、大きな裂け目に変えてしまう。


 なまじ優秀だったのが問題なのだろう。本来のエルフの王位がどのように交換されるのかは知らないが、もっと早くに退位しておけばよかった。


 悪徳を胸で飼い慣らす者も、流石に数百年は待ちえない。そうしてその者らは、他の都合が良い者を担ぎ出す。


 今回で言えば、王の、弟だ。つまり、エルディスの叔父ということになる。


 それが、フィン・ラーギアス。かつての時代においても、エルフの国を統治していた、王。なるほど、その辺りは全く変わらず。今回も等しい線を辿ったわけだ。


 面白い話だ。人間も、エルフも、誰も彼も感情に苛まされながらも、それでも選択を繰り返す。その流れの中で、歴史を紡いでいった。


 そうして、今回も何ら問題はなく悪徳の王とされた先王は倒され、新たな治世の時代へと移った。本来であれば、それで新たな治世が滞りなく始まるはずだった。良きにしろ、悪きにしろ。


 所が、その後になって吹き出て来た問題が一つある。


 先王の忘れ形見。エルフの姫君、エルディス。


 彼女は、まさしく精霊からの寵愛を受けた存在だった。


 以前、塔に身を置いたまま、俺達の目の前に現れた現象にしてもそう。明らかに他エルフとの度合が違う。


 そうしてこれはエルフ特有の価値観なのかもしれないが。精霊の寵愛を受けた者を殺すことは、禁忌だ。例え、悪徳の王の娘だったとしても。


 だから、彼女は塔に幽閉された。そこに据え置き、精神か、もしくはその身体に異常を来すまで。その命を奪い取る理由が出来る、その時まで。


 そう思うと。以前の旅の折、エルディスが旅へ同行を赦された理由は。恐らくもう正気ではなかったからだ。


 少なくともかつての旅の折、エルディスは今のように真面に会話が成立した覚えが、実はない。言葉は通じたが、まるで相互の理解というものができていない。そんな印象があった。


 なるほど、何があったか。なんてのは野暮な話か。俺が知り得て良い話でもないし、今となっては知り得る手段もない。全ては、かつての歴史での話でしかない。


「それで例の件というのは、此の黴の生えたパンみたいな状況を、覆してくれるものってことでいいのかね」


 今の状況は全くもって芳しくない。エルフの姫君は狂乱するまで塔に幽閉される事が確定しており、俺はといえばガーライストの兵が来た時点で全てが終わる。カリア達に至ってはその行方すら知れていない。刻一刻と、命の砂時計は砂を落とし続けている。


 ならば、何処かで手を加えてひっくり返してやる必要があるだろう。ああ、お得意じゃないか。この手に才も力を持たない者は、足掻き続けて盤上を逆さまにしてやる術を探すしかないのだ。


「此のガザリアにも、ごく少数だけど僕を支援してくれるものがいる。さっきのヴァリアンヌみたいに、忠誠のままに従ってくれる子もいれば、勿論己の利権の為というものも」


 その辺りは、やはり人間と変わりはないらしい。利益と損失、忠節者と背徳者。世というのはそいつらが混沌の如く混ざり合ってできている。それは、エルフの王宮でも変わらず、伏魔殿というわけだ。


「要は彼らと共に、この空中庭園を、端から端まで上書きしてやろうって事さ。かつて、今のフィンである叔父上、ラーギアスがしたように」


 エルディスの言葉が、ほんの一握りほどだが、感情に揺れた気がした。


 今まで何処か飄々としていて、風のように掴みどころの無かった碧眼が、煌く。放り投げてしまっていたものを、再び手繰り寄せているかのよう。

 

「そのひっくり返す為の一端を、君に握ってもらおうじゃないか、ルーギス。良いだろう、同房者。これで目出度く共犯者ということだ。未だ諦めてないというのなら、手を取るだろう?」


 その声が連ねる内容に、ゆっくりと耳を傾ける。その殆どは詰まる所がなく、滑らかだ。恐らく、エルディスは此の作戦を断り続けながらも、何処かで、心の奥底では何時までも抱え続けていた。


 そうして、夜の寝る前、起きた直後、ふとした瞬間。何度も、何度も抱きしめたのだ。


 王宮を炎上させ、父を殺した者達の首を刎ねる瞬間を、夢見て。


 兵をどのように運用するか、脱獄後、王宮までどの道順を用いるのが最良か。どのエルフが味方につくか。


 そんな内容を、淀みなく、エルディスは話し終えた。その頬は僅かに紅潮し、彫刻のような顔つきが、高揚を示しているのが分かる。それは何処か、子供らしさすら覚える、そんな表情だった。


「どうだい。悪くないと、思うんだけどな。この道が、誰もが幸福になる道だと信じている。君も乗るだろう、ルーギス」


 それは、問いかけではなかった。当然、そうなるだろうねと、同意を求めてのものだった。


 いや全く、ふざけたことを言ってくれるな、この姫君は。踵を鳴らし、顎を僅かに撫でながら、口を開く。


「――残念だが、お断りだな。そんな温室育ちの姫様の、心地良いだけの空想には、とても命を預ける気にはならん。言っただろう、俺には死ぬ気なんざこれっぽっちもないんだとな」

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