表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
最終章『神話血戦編』
660/664

第六百五十九話『物語は忘れ去られる』

 王都アルシェの中心地。


 光柱の轟音が唸り、魔力が嵐を起こす。ただ一人の人間を排除せんがために、その狂乱は行われていた。だが何時までも狂乱は終わらない。何時までも、その人間は死ななかった。


 威厳すら備えて鎮座する光柱に向かって、人間王メディクが咆哮する。鎧すら身に着けず、矛を振るいながら一歩また一歩と前へ進む在り方は、かつて彼があった時代を思い起こさせた。


 きっとメディクは何時も、誰よりも前にいたのだろう。誰よりも傷を負ったのだろう。それこそが人間王たる代価であればこそ。


 ――彼が振るう矛の一閃が、精霊よりも素早く、巨人よりも豪快に、竜よりも鋭く光を穿つ。

 

「――ォ、ォォォオ――」


「鳴くんじゃあねぇよ。てめぇは生きてもいやしねぇだろう。こっちは何時だって生きてる連中を抱えてんだ」


 光柱の宙を揺るがす振動に向けて言いながら、メディクは自嘲した。生きている者を抱えている。その言葉に誤りはないが、生前に義務を果たせていたとは言い難い。


 確かに、人間王メディクは西方にて初めての人間国家を作った。人間は呼吸をし、生きていく自由を獲得した。メディクと魔女バロヌィスは、人間の尊厳を勝ち取ったのだ。そう伝える神話は幾らでもある。


 しかし生前のメディクは国家を作り上げた自負心や誇りよりも、心に強く抱くものがあった。

 

 ――俺は果たして、次代へ継ぐ事が出来るのか。


 メディクは決して己を特別視などしていなかった。人類に不可能はなく、困難は克服出来る。その信念は何よりも大きい。


 だが彼の信念に縋りつく者はいても、並び立つ者はそういなかった。未だ人類がひ弱に過ぎ、魔性が強大であった時代。メディクが踏破しバロヌィスが続いた道程で――多すぎる人間が死んでいった。


 メディクは人類を信じている。けれど、間違いなく一つの恐怖を抱いていた。俺が造り上げた人類の国家を、俺は彼らに引き継ぐ事が出来るのか。俺が死んだ後も彼らは人類として生きていく事が出来るのか。


 だが一度死して復活した今この時。メディクの胸中には一かけらの恐怖も無かった。人間王は一瞬の狭間に、都市をみやる。


 見ろこの都市を、城壁で槍を振るう兵達を。人間はすでに魔性と戦う為の力を手に入れたのだ。


 そうして何より、かつての己のように抗い続ける者がいた。諦めない者たちも。


 人間はもはや、たった一人の王に率いられる脆弱な種族では無くなった。メディクの庇護などいらない。意志を受け継ぐに相応しい者らがいる。

 

 ――素晴らしい。もはや死は恐ろしくない。人間はもし滅ぶのならば、自らの手でもって滅ぶのだ。


 メディクは光柱に矛を突き刺したまま、歯を見せて笑った。柱から発される魔力の振動が、彼の肉体を抉り続けている。肉は削がれ血が踊るように弾けた。


 しかしそれも良い。悪くない。


「おう。そろそろ終わるとしようや。ちょいと長居をしすぎた。お前も、俺も」


 かつての神を象徴する、意思なき柱に向けてメディクは言った。その瞳にはもはや怨敵を見つめる憎悪でなく、郷愁すらも宿っている。柱は振動でもって応じたが、彼が動じることはない。


「未練で悲壮で終着だ。お前らが神だなんだと言えたのは、千年も前の事だろうが。あの嬢ちゃんに滅ぼされたなら大人しく退場するんだな。舞台にあがるのは何時だって生きてる奴らだけだ」


 両手に力を込め、その顔に悪戯げな表情を浮かべてメディクは言う。しかしそこには、堂々たる無頼の風格が込められていた。


「――それとも。お前はもうあの嬢ちゃんの力そのものか。なら余計にどいてもらわねぇとな」


 ぎちりぎちりと、矛が軋みをあげていく。光柱によって締め上げられているのではない。使い手たるメディクの剛力が、矛すらも圧迫しているのだった。もはや加減はいらない。これで最期だ。


 メディクは笑った。もはやそこには人間王としての殻を脱ぎ去り、ただ一人となった無頼がいた。傲慢さを味わうように嚙み締める。

 

「あの嬢ちゃんとは、決着をつけられやしなかったからな。本人じゃねぇのは残念だが。ここに首を置いていってもらおうか」


 メディクがより一層矛を締め上げる。一秒で空間が張りつめ、呼気を漏らすことすら躊躇われる緊迫が周囲を覆った。炯々とした狂暴な輝きが、彼の瞳に宿っている。


 かつて世界の一角を作り上げた英雄が、生命力を漲らせながら咆哮する。


「ちょいと、死んでいけ――」


 精霊を殺し、巨人を殺し、竜を殺した人間の王。唯一殺せなかった者の名は神。魔性をこの大陸に産み落として統括し、運命すらも握りしめていた機械仕掛けの神々。『歯車』と呼ばれた者ら。


 そうして支配と統括の果てに、自ら生み出した怪物に殺されてしまった者ら。


 滑稽で無常で道化だったが。彼らは重要な事実を教えてくれた。


 即ち、神も死ぬという事だ。


 怪我をして、血を流し、命を落とす存在であるならば。人間が越えられないはずがない。人間王は、人間に不可能はないとそう語る。


 精霊の光よりも素早く、巨人の剛腕よりも豪快に、竜の狂暴さよりも鋭く。矛を突き出し、メディクは一歩を踏み抜いた。


 それは人間にとっての最後の秘奥。才能ある人間が人智を踏み越え、意思と覚悟をもって人生を精錬し、踏破したゆえにたどり着いた一つの境地。


 決して万人が模倣できるものではない。メディクが思う万人が己のような力があればという願いは、きっと永遠に叶わないだろう。この世は彼が願うほどに平等ではなく、彼が思うほどに誰もが強い世界などあり得ない。戦える者がいる反面、戦えない者だっているのだ。


 もしかすれば人間王メディクという存在は、人類にとって永遠にたどり着けない境地なのかもしれない。悲しい事に彼の願いは無意味であったのかもしれない。


 けれど。


「――ォォ、オォ、オォォオオ――」


 彼が見せた理想を誰かが夢みたからこそ、彼の神話は語り継がれてきたのだ。ならば、その生涯に意味はあったのだろう。


「超越――人技『神殺し』」


 人類のまま人類を超えた王の最期の一振りが光柱を貫く。それはただの一閃のようであったが、世界すら斬獲する一振りだ。精霊と巨人と竜とを殺した果てに辿り着く、一筋の流星。


 魔力ではない、ただ熾烈なまでに――人間王の魂を焼却して疾走する力の奔流。


 矛は砕け散り、耳を破砕するほどの轟音が響き渡る。瓦礫が吹き飛び、並び立つ家屋の壁が砕け散る。


「――ァ゛アァアアア゛ァ゛ァ――ッ」


 それは光柱の断末魔。命の命脈を絶たれた者の最期の咆哮。光の柱が崩壊し、砕け散りながら世界に落ちていく。その狂い悶える有様は、必死に世界に縋りつこうとしているかのよう。


 しかしメディクにその音はもう聞こえない。だが指先の感覚だけで、何が起きたか理解した。安堵する。己はこの最期、今度こそ役目を果たせた。


 以前のように、ただ死ぬだけで終わりはしなかったのだ。


 メディクは、宮殿があるであろう方向を振り向いた。もう、目も見えなかった。


「……ようやく、終わりだ」


 魂が燃えゆき、体躯は砕け散る。残るものは何もない。彼の神話もいずれは遠い年月の果てに忘れ去られる。人間王メディクが生きた痕跡は、砂粒ほども残らないだろう。


 けれどそれで構わない。メディクは今初めて、次代へと継ぐ事が出来た。もう千年もの間、無様に魂だけで生き続ける必要などないのだ。


 もう、次に生きる者らはいるのだから。次は、次の時代を生きる者らに任せよう。


「――ありがとよ」

 

 人間王メディクは、消えゆく身体で笑いながら言った。それは王というよりも、穏やかな男が眠るように言った一言だった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] これが第一の神話なのかな 伏線的に語られたきり、あまり出てこなかったけれど
[良い点] 人間王メディクの命を懸けた奥義が本人が満足して 放てた事 また名もなきモブの兵士たちの戦おうとする姿勢が彼の心に安寧をもたらしたのも良かったです [一言] 今回の更新も面白かったです しか…
[一言] ありがとう、そしてさらば、ひとのおうよ。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ