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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
最終章『神話血戦編』
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第六百五十六話『ならば此れより語られるのは』

 神話血戦。人類が記録に残す事の出来た最後の戦役は、新王国と旧王国の王都決戦のみを指し示す言葉では無かった。同時期、不思議な事にまるで呼吸を合わせた様に大陸が戦場で溢れていた。


 即ち東方の雄ボルヴァート朝と自由都市国家群の会戦、南方イーリーザルドの戦役介入、西方ロアの大陸侵攻。大陸と周辺諸島における各個たる地位を持った四大国家が、意志を引き合わせるように戦役を開始した。


 それはまるで、未だ人類と魔性との間で揺蕩うばかりの勝利の天秤を、自らの意志でもって傾けようとするかのようだった。誰もが抗うように声をあげていた。


 だが戦場がどの地、どの空の下で起こされようと。神話血戦の中心地は今此処だ。


 ガーライスト王国宮殿内。アルティアの歴史が始まり、そうして終わる場所。


 聖女アリュエノは時間の経過と共にその威容を増し、燦然とした煌めきを輝かせた。周囲の空気が彼女に圧倒されるように軋みをあげる。空気が嗚咽をあげた。


 人類からかけ離れ、魔性からも逸脱した其れを呼ぶ言葉は、一つしかない。


 ――神霊。


 アリュエノは微笑み、歌う様子で言う。


「構わないわルーギス。貴方がどんな企みをしても、私は受け止めてあげる。貴方が望むのなら、神様にだってなってあげる」


「冗談だろ。俺が神様を信じる性格に見えるか?」


 神様がいるかいないか何てのは知らないが、少なくとも自分に都合の良い神様はいないのだ。もしいるなら、孤児になんてなっているはずがないのだから。自分に都合の悪い神様なら、信じてやるだけ無駄というものだろう。


 元より孤児であった彼には、信じるという事が有り得ない。両親は勿論、兄弟姉妹として育った者達だって信用はしていなかった。育ての親であるナインズも、師父であるリチャードもだ。


 敬愛はしているが、其れは信じるのとはまるで違うもの。


 思えば今この時も、かつての時代も。ルーギスは心のどこかで必ず一人だった。


 自分を助けてくれるものは自分だけで、生きるのは一人の力でなくてはならない。生まれ落ちた時から一人だった彼は、本能的に助けを求めず生きる術を持たなければならない事を知っている。


 そこにアルティアの寵愛を受けなかった因果があるとはいえ、そんな彼であればこそ強固な自我を持ち、自分以外の全てを殺してしまえるような原典を宿す運命を背負った。


 無論、他者の力を頼る事もあれば、信じると言葉にしてみる事もある。それでも自分以外に依拠しないのがルーギスという人間だった。裏切られないほどの価値を、どう足掻いても自分に認める事は出来なかったから。


 彼にとって信じるとは、その者に自分の命を預け、その為に死んでしまっても構わないという意味だ。その意味で、神など到底信じるに値しない。


「フィアラート、エルディス。――カリア。さっき言った通りだ」


 声が届いているかすら分からないカリアを含めた三人の仲間に、ルーギスは言った。左手一本に魔剣が握られ、白剣が腰元に輝いている。双眸が恐ろしいほどの熱に満ちていた。


 彼の言葉に、エルディスが思わず頬をひくつかせる。


「……いや、正気なんだろうね。嫌になる」


 長い耳が、聞いた言葉に思わず震える。正気かと問おうとして、取りやめたのだろう。唇が拉げていく様子は、エルフの女王が己の騎士をよくよく理解している証だった。


 フィアラートの反応も大きくは変わらない。が、彼女はエルディスのように不満を見せる真似はしなかった。良くも悪くも、黒瞳の魔術師はルーギスを否定しない。其れを肯定した上で共にあるだけだ。


 この違いこそが、愛する者を繋ぎ止めておきたい女王と、共に在りたい魔術師の最たる違いなのかもしれない。


「不安要素は幾らでもあるけれど。無茶なのは何時もの事じゃない」


「君のように何時もの事だと甘やかしていたら、もっと無茶な事をやるんだよ彼は」


「否定はしないわ」


 言いたい放題な二人を他所に、ルーギスは頬を緩めすぐ傍で目を閉じたままのカリアを見た。呼吸こそしているが、まるで死んでしまったかのように起きてこない。


 アリュエノの悪意が未だ彼女を捕らえて離さない証左だ。カリアだけではなく、マティアやフィロス、アンらも同じ。


 一瞬だけカリアに触れて後、ルーギスは立ってアリュエノを見る。不思議と彼女は、ルーギスをじぃと見るだけで自分から動く様な真似はしなかった。時間が彼女の味方というのもあるが、動機はもっと単純だ。


 アリュエノはルーギスの企みも、全力も受け止める気なのだ。決して逸らしはしない。全て受け止めて、呑み込みきったその先で、ようやく彼が絶望してくれるとそう理解しているから。


 相手の全てを剥ぎ取るには、相手の全てを知らなければならない。この世で最も他者を苦しめ絶望させられるのは、その者を最も愛する者に他ならないのだから。故に愛情と憎悪は表裏一体なのだ。


 ルーギスはアリュエノの意図を知ってか知らずか、唇の端を上げる。すっくと立ち上がって、魔剣を構えた。呼応する様子で刃が震える。


「じゃあ、行くか」


 ルーギスの言葉に応じるように、フィアラートとエルディスが両隣に立った。アリュエノが笑顔で、其れを見る。


「後ろを頼んだ。もう振り向かない――お前らを信じる」


 一歩を踏み出したルーギスの背中が、フィアラート達からは見えた。常に張っていたように見える警戒が、もはやそこには無かった。


 エルディスが皮肉げな笑みを浮かべるのも、フィアラートが黒瞳を丸くしたのを見る事もなく。


 ――次の瞬間にルーギスは跳んでいた。右腕が動くまいと、研ぎ澄まされた魔力は変わらない。夜が自在に世界中を飛び回るように、もはや彼の動作に制限など無かった。


 太陽が落ちた以上、夜に敵はいない。彼は何処にでも現れ、そうして触れたもの全てを殺す。赤銅の竜が告げた、魔力の使い方とはこれなのだろう。


 アリュエノは瞬き一つで、すぐ間近で魔剣を振り上げるルーギスの姿を見た。もはや彼が人類からより遠い所にいるのを実感する。互いにより遠くへと来たものだ。


「――原典解錠」


 ルーギスの言葉を聞いた。全てを殺してしまう原典。原初の悪。


 しかしアリュエノは、ルーギスを避けも迎えうちもしなかった。


「――ああ、やっぱり貴方が来るのねルーギス」


 むしろアリュエノはルーギスを迎え入れるように笑みを浮かべ、両手を広げる。アリュエノに取って、彼が前に出て来るのは分かり切った事だ。フィアラートもエルディスも、アリュエノと正面から向かい合うにはまだ足りない。精々出来る事と言えば、援護程度のものだろう。


 だからルーギスさえ捕まえてしまえば、それで全て終わる。愛する者に切り刻まれる程度の事、アリュエノには何てことではなかった。それに真正面から来るのであれば、彼女が捕らえる方が早い。もはや両者の魔力量は比較にすらならなかった。大人が赤子の手を捻るようなもの。


「それじゃあ私に追いつけないわね。追いかけっこは私の勝ちかしら」


 アリュエノが幸福を一身に受け止めた様子で言う。長く待ち続けた愛すべき者が、もう手の届く所にいるのだ。裏切られ続けた世界は、もはや自分の手中。全ては終わる。


 だというのにルーギスは、アリュエノに突き付けるように言った。


「良いんだよ。俺が勝たなくてもな」


 そう言って、アリュエノは思わず瞳を開いた。剣を振りぬかんとするルーギスの影に隠れるようにして、フィアラートの生みだした万物を所有する怪物が牙を見せている。


 アリュエノは一瞬でルーギスと彼女らの意図を理解する。即ち、ルーギスを主戦力と思わせて視線を惹きつける囮にしたと。彼を、囮に。


 仄かな怒りを双眸に宿しながら、それでも笑みを保ったままアリュエノは口を開く。


「言ったでしょうルーギス。貴方の企みなら全て受け止めてあげる」


 まるで神が愛し子に囁く様な様子で、そう言った。


 ルーギスが策謀を弄そうと、怪物が牙を掲げようと、例え呪いが身に降りかかろうと己には届かない。アリュエノにはその確信があった。


 かつて真の意味で、アルティアは世界を制した。全ての大魔と魔人をひれ伏せさせ、彼らの王となったのだ。家臣が持ちうる原典が、王に届くわけがない。其処に如何な経験の差があったとて同様だ。唯一己を殺せるであろうルーギスは、もはや手中にあるのと同じ。


 此れで、終わり。


 アリュエノが一つの確信を持った瞬間――。銀が、視界の端を過ぎったのが見えた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 銀すなわちカリアさん? 最初の英雄さんは真打が如く最後に出て来るのかな?
[一言] 次回が楽しみ
[良い点] >>他者を苦しめ絶望させられるのは、その者を最も愛する者に他ならないのだから。 エグイ言葉だけど心理ですね [気になる点] 人類が記録に残すことが出来た最後の戦役という事は もしかして人…
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