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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
最終章『神話血戦編』
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第六百五十二話『君に屈する事はない』

 指先を手繰る。フィアラートの身体が自然と呻いた。黒い髪の毛が呼応してはらりと床に触れる。


 少し動くだけで身体が軋んだが、指先の感触に現実感があった。先ほどのように足元はふらつかない。


「……っ」


 フィアラートは瞳を小さく開いて、何度も喉を鳴らす。発声に問題はない。魔力も身体を循環している。心臓は呼応する。ならば身体がいかに痛もうと、魔術師としては上等だ。


 夢見たアレが何だったのか、フィアラートは回答を得ていた。アレはありとあらゆる可能性を模索する内の、一つ。魔術に依存し、壊れてしまった私。有り得たかもしれない記憶の泡。


 文字通り泡のように消えてしまったけれど。それでも心に残っているものはある。壊れた人間だからこそ辿り着いた一角がある。当然だった。アレは其れだけを信仰していたのだから。


「――ごめんなさいね」


 ぽつりと呟かれた言葉が、誰に向けられたものかはフィアラートにしか分からない。ルーギスにかもしれないし、もはや記憶にしかない壊れた自分か、もしくは全く別の誰かかもしれなかった。


 黒髪が震え、フィアラートが立ち上がる。収奪の魔眼が、炯々と光輝いていた。


 玉座の間ではエルディスが呪術の神髄たる黒をその指先から発している。ルーギスは右腕をぶらりと下げさせたまま、左腕一本で魔剣を握りしめていた。


 何が起こり、状況がどう動いているかは分からない。


 確かな事はただ一つ。間違いなく、ルーギスもエルディスもアレを踏破し吐息を燃やして此処にいるのだ。ならば、フィアラートもまた踏破しなければならない。


 壊れた可能性を、新たな未来の為につぎ込もう。


「エルディス、ルーギス。前に立たないでね」


「おや起きたのかい。寝たままでも構わなかったのに」


「冗談でしょう。貴方にルーギスを渡す気はないわエルディス」


 ふと、フィアラートはフリムスラトの大神殿での一幕を思い出していた。あの時もアルティアに対しエルディスやカリアと共に立ち向かい、歯牙にもかけられず敗走した。それしか出来なかったのだ。


 だが今は違う。人間とエルフ達は、もはや人間とエルフをかけ離れたものになった。それに今此処には、ルーギスがいる。


 黒い瞳が、彼を見る。


「フィアラート、お前――」


「――今はいいわ。後でしっかりと話し合いましょう。今はね、貴方が私の手を取ったという事実だけで十分。貴方は私を見捨てなかった」


 見捨てれば良かったはずだ。どんな相手であろうと、自分を犠牲にして生き延びさせる必要なんてない。もしもルーギスがアレを知っていたなら尚更だ。


 けれどそれで尚、ルーギスが此の私を救ってくれたのならば。フィアラートは悪戯げな笑みを頬に浮かべさせた。


「さぁ手始めに反逆をしましょう。それが私達でしょう共犯者様?」


 靴を床に叩きつける。玉座を我がものとするアリュエノを黒瞳が見た。もはやその姿は人類を超越し、魔性すら睥睨する。アルティアが神霊を名乗ったのも頷ける。


 人も魔も、この世の全てを超越する者がいたなら。其れは神と定義されるのだろうから。


 フィアラートは呼気を鳴らし、竜のブレスを吐き出すように呪文を紡ぐ。


「――生み出し、収集し、奪還せよ。第一原因から世界霊魂に至るまで、汝は万物の所有を許可しない」


 『変革者』と呼ばれた存在は、確かに魔術理論の一角を突き崩し新たな領域を拡張した。今まで定型魔術とされていたものを覆しすらしたのだ。


 しかし実際の所、彼女の鋭利な頭脳はそれのみに留まらなかった。他者には飛躍したとしか思えない魔術原理。狂気の沙汰と語られる魔術理論。『変革者』たると呼ばれるのは、あくまで彼女が齎した一理論に過ぎない。


 『変革者』は、魔術に依存していた。彼女には其れしか無かった。其れに縋りつき、狂気の果てに至らなければ彼女は彼女足りえなかった。彼女は魔術において、誰よりも抜きん出なければならなかった。そうしなければ、誰一人として認めてくれないから。


 彼女が構築する魔術理論は、彼女の体躯では到底耐えきれない地点にまで到達し尚止まらず。彼女は頭脳一つで魔術世界を創造した。


 其れがフィアラート=ラ=ボルゴグラードが見出した別の道。魔術しか無かった彼女の行き着く果て。フィアラートはその幻像に触れた。


 かつては成せなかっただろう理論だが、竜の心臓と魔を孕んだフィアラートの身だからこそ出来る事がある。見通す事すら出来なかった未知を、既知へと変じよう。


 魔眼に魔力を集約させる。機能を研ぎ澄まし、ただ一点のみに絞り切る。収奪の魔眼の権能は言ってしまえば純粋なもの。


 全ては、我がもの。例え全てを灰燼としても。


「全霊は汝の手に。故に汝の手にないものは存在せず。天蓋は今覆る。――『燃え果てろ』」


 其れは果たして、炎と呼んで良いのだろうか。フィアラートは燃え果てろと其れにそう命じたが、しかし其れの正体は何か分からない。


 煌々とした火の色合いを発しながら、其れは次々に形を替えていく。大鳥から狼のような獣、果ては竜の如くまで。


 言うなれば、姿を失った怪物だった。周囲から魔力を吸い上げ、全てを枯渇させて自らのみが繁栄する魔。彼は万物であり、彼以外のものを認めない。


 『変革者』が望み想像し、フィアラート=ラ=ボルゴグラードが自らの手で創造した一つの奥義。


「――――」


 怪物が姿を消す。同時――空間が爆発した。魔力を伝い、空気を伝い、其れはアリュエノへ突進する。此の空間全てが怪物のもの。アリュエノに接敵する事すら容易い。


「そう。でもどちらにしろ同じよ、ルーギス以外を許す気はないもの」


 神威の剣を軽く振るって、アリュエノは黄金の瞳を瞬かせた。人類の神話そのものが、創造された怪物へと降り注ぐ。


 其れだけで怪物の姿は、あっけなく掻き消える。空間が弾けたようだった。


「――?」


 流石にアリュエノも、己の手の感触を疑った。奇妙だった。怪物を打ち果たしたというのに、その手の内には何も感じるものがないのだ。まるで空気や水を打ち払っただけかのよう。


 手応えが無さすぎる。


 傍から見て肌を焼くほどの魔力を有していた怪物がそれほど安易に死ぬものだろうか。


 そう思った瞬間だった。再び空間を燃焼させるかのように、怪物がアリュエノの足元から浮かび上がってくる。


 やはり囮。アリュエノが再び剣を振るい、其れを斬り殺す。


 ――しかし手応えは無かった。


 刹那、アリュエノの周囲一帯を怪物が埋め尽くす。


 ああそうかと、アリュエノは思い至った。此の怪物は、此処にいない。怪物は世界そのもの。万物である怪物はこの世界に常在している。だから決して消えはしない。


 ――己以外を燃やし尽くす迄。


「そう」


 アリュエノは小さく呟いた。一歩を引いて、玉座をその背にする。彼女は自身に刃を突きつけられて尚、驚くほど焦燥は無かった。


 エルディスにしろフィアラートにしろ、凡庸な存在でないのはとうの昔に理解している。運命にねじ伏せられていたと言えど才気に溢れ、其の存在は群を抜くのだ。


 だから例えアルティアの権能を有したとはいえ、彼女らが指を掛けて来る事は想像の内。


 だが其れまでの事。


「ええ、構わないわ」


 構わない。何故ならば、今一度よく理解できたからだ。


 やはり彼女達の存在は、ルーギスを毒してしまう。彼女らがいるからこそ、ルーギスは其処に救いを見出してしまう。


 ならば己の役割は――彼が救いと思い込んでいるものを、容赦なく叩き潰す事だ。


 服の裾を両手で持ち上げ、彼と彼女らを見据えた。


 彼に伝えよう、己こそが救いであると。


 彼女らに知らしめよう、貴方達は不義であると。


「ルーギス、私が貴方を救って見せるわ」


 底の見えない魔力を眼に宿らせながら、アリュエノは言った。ルーギスが、口を挟む余裕も無かった。


 フィアラートは間違いなく一つの世界を手にした。しかし其れは、アリュエノもまた同じ。


「巨人英雄フリムスラト、天竜英雄ヴリリガント、精霊英雄ゼブレリリス。そうして人類英雄アルティア。汝らの偉業と権能を此処に。我が聖典を此処に――」


 ――魔の秘奥が、結実する。

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― 新着の感想 ―
[一言] 過去の世界の情景が、ただヒロイン達を責めるだけじゃなくてパワーアップイベントにもなってるのがいいなあ。 なるほどなぁ〜 カリアがんばれ!カリアはよ!
[一言] アリュエノがクソダサくて今までの連中と比べて格落ちが酷い。 ぶっちゃけ、そいつら倒したのも今周はルーギスだし、それ以外でもお前じゃなくてヘルトとかアルティアだしとしか思えない。 限りない幸運…
[良い点] 全て(´∀`) [気になる点] アリュエノはどうなるのだろうか [一言] アリュエノの原典は『願わくばこの手に幸福を』と予想。
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