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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
最終章『神話血戦編』
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第六百三十二話『賽子の転がる先』

「……他の人間をどうするつもりだアリュエノ。お前は何を言っている」


 アリュエノと対面して尚、俺の呼吸は絶望の淵にあった。街中には陽光が捧げられ、光の柱は煌々と輝いているというのに。俺の視界だけが不自然なまでに暗がりにある。


 昔を思い出す。かつての頃、アリュエノが失われた時には同じ気持ちに陥ったものだった。それが今、アリュエノを前にして同じ想いを抱いている。


 おかしな事だった。アリュエノの前で暗い想いを抱いた事など何時以来だろうか。


 アリュエノは笑っていた。屈託なく一片の歪みも見せないで、常人には得難い美質を輝かせている。そうして、ありったけの悪意だけをドレスのように纏っていた。


 押し黙ったままの周囲と、背後のフィアラートを見た。誰もが奥歯を噛み砕かんばかりに頬をひりつかせている。それだけで、今のアリュエノがどういう存在であるのかを察し取る事が出来た。


 不意にアリュエノの下げられたままだった指先が、すぅっと上を向いた。手の平と両手を広げる。まるで俺を迎え入れるような動きだった。


「他がどうかしたの? そんなものに足を取られるなんて気の迷いよルーギス。だって、それらは貴方の立場が違ったとしても貴方の味方かしら。違うでしょう。時に貴方を侮蔑して、時に貴方を斬り殺す。所詮、その程度の人間じゃないの。どうして立場が違えば態度が変わる人間を、気に留める必要があるのかしら」


 心臓が跳ねる。指先に張り付いたままの魔剣が唸りをあげた。逸早く己を振るえと俺に叫んでいた。あれは敵だと。


 いいや魔剣だけでは無かった。恐らくは俺とヘルト以外の誰もが、アリュエノを敵として認識し、如何にして首をかき切るかを考えている。アリュエノの発する悪意が、敵対以外の態度を許さない。


 俺は、どうするべきだ。思わず自問する。まるで運命が、俺とアリュエノを敵対させようとしているかにすら思えた。それこそ、アルティアとオウフルをなぞらせるように。


 逡巡する間にも、アリュエノの艶めかしい言葉が俺の心の醜悪な部分を舐めとっていく。


「でも、私は違う。世界が幾度巡っても、私だけが貴方の味方だった。私だけが貴方を見捨てなかった。私だけが貴方を救えた。他の人間が、今更何を言い出すのよ。今更、横から貴方の手を掠めとるだなんて許されないでしょう」


 アリュエノが何を何処まで知っているのかは分からない。アルティアと体躯を共有していた以上、全てを知っている可能性だってある。少なくとも、彼女の言う事は事実だ。


 かつての旅路で、俺の味方はアリュエノだけだった。彼女以外の味方は、全て失ってしまったから。彼女だけが、俺の全てだった。


 ――そんなアリュエノを、敵として戦う? この旅路そのものが、彼女の為に始まったというのに?


 深い呼吸をした。戦場の空気が全て、肺に注ぎ込まれてくる気がした。爺さんを見殺しにした上に、俺に何をしろというんだ。


「――アリュエノ。やめてくれ。俺はそんな事望んじゃあいない。立場で態度が変わるなんてのは当然だ。俺が受け入れられなかったのは、俺が何もしちゃいなかったからさ。アリュエノ、お前が俺の味方なのは分かってる。だが、だからって他の奴らが敵なわけじゃあないだろう」


「――ルーギス。これは譲れないわ。譲らないんじゃなくて、譲れないの」


 決意を固めたアリュエノが、決して曲がらないのは俺が一番知っていた。彼女は優しさの中にも、折れない苛烈な一面を持っていた。


 こうなった時、折れるのは何時も俺の方だった。黄金の瞳を正面から見つめる。彼女は俺を信頼しきって、疑う様子もなく両手を広げていた。


 アリュエノは絶対に折れない。やるといった以上、必ずやり遂げようとするだろう。


 一瞬の後、痺れるほどに噛みしめた歯を緩めた。魔剣の切っ先を、緩やかに下に降ろす。傍らで黒髪が跳ねた。


「ルー……ギス?」


 フィアラートの声が、耳朶を打った。彼女だけでなく、すぐ傍のアガトスが動揺する気配が見て取れた。周囲の雰囲気が変貌していく。当初アリュエノにだけ集まっていた注目が、今では俺とアリュエノに向けられている。


「許して貰おうとは思わないさ。此れは俺の自分勝手だ。間違いも正しいもないんなら、好きにしたっていいだろう」


 相変わらず、アリュエノの瞳は俺だけを見据えていた。妖艶な笑みが頬に映り、見るもの全てを引きずり込んでしまいそうだ。悪意が魔力を練り込んで、彼女は全身にそれを着込んでいる。


 ――その悪意を斬り跳ねるように、最下段から刃を振るった。水をかき切るような重みが手元に残る。


 アリュエノの周囲に練り上げられた魔力が無散していく。彼らが命を失った証拠だった。


「――あら、どういう事? 相変わらず、私には反抗的なのかしら」


「幼馴染が馬鹿な事をやってれば、止めてやるのは義務みたいなもんだろ。散々助けられたんだ、俺だって助けるさ。

 それに悪いがなアリュエノ。お前が余分なものだって言ってる連中には、俺の仲間だって大勢いる。出来の悪い俺が此処に立っていられるのは、彼らがいてくれたからだ。幾らお前でも、俺の仲間を貶めるのは許さない。だからよ、アリュエノ――」


 一拍を置いて、再び魔剣の柄に指を吸い付ける。空気を呑み込む、奇妙なほどに新鮮だった。


「――久しぶりに、喧嘩をしようぜ。俺が負けたら従ってやるよ」


「喧嘩、喧嘩ね」


 魔剣を中腰に構えなおす。もはやアリュエノは言葉では決して止まらないだろう。なら、こうして止めてやるしかない。其れが出来るのはきっと俺だけだ。


 アリュエノはしっかり数秒を考えてから、頷いて言う。


「ええ、構わないわ。私と貴方の喧嘩で、何時も折れていたのはルーギスの方だったと思うけど?」


「今まではな。今日は違うさ」


 アリュエノはやはり、笑った。むしろ今までより余計に微笑みを深くしたようにすら見えた。俺がこうして魔剣を振るう事を、意外に思っているような素振りは無かった。いいやむしろ、こうなった事を楽しんでいるかのよう。


 周囲の空気が再び弛緩から硬直にすり替わる。フィアラートが、傍らで囁いた。


「……援護は、加減できるか分からないわ。正直言って、ね」


「分かってるさ。無理はしなくて良い。俺とあいつの喧嘩だからな」


 言葉を発する間にも、フィアラートががちりと歯を鳴らしたのが分かる。冷や汗が、額や首筋から垂れ落ちていた。瞳がぎゅぅと力を込めて細まっている。


 その場の誰もが、何時どう動くかを思案していた。集積した魔力を一時的に無散させたとはいえ、一歩を間違えばアリュエノに叩き潰されるのが目に見えている。相変わらず黄金の瞳は俺だけを見ていたが、周囲に発される敵意も変わらないままだ。


 場の空気の変転を、皆が望んでいたのかもしれない。一歩を踏み出す切っ掛けを。


 俺達の躊躇を見透かしたように、アリュエノが一歩を踏み出そうとした、瞬間。


 ――切っ掛けは、俺達からではなく宮殿から振り落とされた。


 虚空を抉る速度で、紅蓮の槍が落ちて来る。アリュエノの悪意を貫き、そのまま食らいつくすように宙を舞った。間違いなく、騎士ガルラス=ガルガンティアの一槍。其れがアリュエノの足元を狙い打つように擲たれる。


 事はそれだけで終わらなかった。それに合わせるように、一つの単語が呟かれたからだ。


「原典解錠――『巨人神話(フリムスラト)』」


 竜すらも撃ち落とす、巨人の咆哮が空を食らう。一切の迷いなく、一切の躊躇なく。それはアリュエノの体躯に狙いをつけていた。


 まるでガルラスの槍を布石として打ったかの如く。アリュエノだけを見るならば、それはいっそ完璧だったのかもしれない。


 しかし、其れはアリュエノの身に届く事は無かった。


 理由は二つ。全てを斬り伏せてしまう黄金の英雄が、巨人の一閃の軌道を逸らすように白金の刃をふるった事。


 もう一つは、雷鳴の如き速度でアリュエノと一閃の間に立ちふさがった者がいた事だ。


 彼はヘルトと違って随分傷を負っている様子だった。しかし尚速度は衰えていない。俺がよく見知った黒剣を片手に持ち、よく知るような口調で言う。


「随分と様変わりされましたな聖女様。状況は分かりかねますが、我々にまで悪意を向ける必要はありますまい?」


「さぁ、どうかしら。それを決めるのは私でしょう?」


 其れが誰であるかなど、もはや愚問だ。目の前にはとことん最低の状況が揃っていた。


 聖女となったアリュエノに、英雄ヘルト=スタンレー。――そうして若かりし日の勇者リチャード=パーミリス。三者がそろい踏みながら、俺に視線を向けていた。

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― 新着の感想 ―
アリュエノからすればヘルトもリチャードも怨敵だわな笑
[一言] めちゃくちゃ面白い!! 何て熱い展開なんだ!
[良い点] 歴史の英雄が勢ぞろいですね! 激アツ展開楽しみです!!
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