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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
最終章『神話血戦編』
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第六百二十一話『汝の輝きは』

 使徒の刃が、宝石を穿つ。少女レウの背筋から鮮血が噴き出し、白い肌を彩っていった。


 細やかな血飛沫は華麗な花びらの散り際を想像させる。レウと名乗った身体は、間違いなく致命傷を負った。


 とはいえ、魔人であるならばこれだけで滅びる事はない。肉体が朽ちても年月を過ぎれば目覚めるし、肉の身体だけなら魔力でもって復活させる手もある。


 だからジルイールは、念を打つように一言を呟く。


「――原典開錠『魂の盟主』」


 肉体が滅びても、魂が滅びぬというのなら。


 その魂を閉じ込めてしまえば良い。ジルイールの原典はそのための牢獄だ。彼女に何かを破壊し、抑圧する能力はない。他者を圧倒する術もない。


 魂を見抜き虜囚とする事こそが、彼女が持つ唯一の権能。

 

「さぁ、お前の色を示しなさい」


 ジルイールの指先が、僅かにレウの肌に埋まる。血は零れず、一瞬で終わる儀式。次には指先に淡く、しかし焦げつきそうなほどの輝きが灯っていた。


 宝石の如き貴色。眩いほどの純正な煌めき。昼ではなく夜ではなく、夕焼けを思わせるような愛おしい輝きがそこにあった。


「そうでしたか。やはりお前は、己と異なるのですね。だが故に敗北した」


 諦めたように、しかし愛でるような声色でジルイールが言う。甘美と苦渋の味が同時に舌を襲っていた。


 ジルイールは煌めく宝石の魂を手の平に掲げながら、目を細める。今まで確かにあったはずの足元が、少し歪んでいる気がした。


 だから確信を持つように、口を開いて言う。


「――宝石の魂よ。その輝きを我が主の為に役立てなさい」


 至高の宝石バゥ=アガトスをもって、己より美しいと言わしめた唯一の魂が今此処にある。


 レウの身体が、魂と別れを告げるかの如く光を放った。ジルイールが僅かに、眩しそうに瞼を閉じる。

 

 ――瞬間、彼女の世界は暗転した。


『誰に、手を向けている?』


 獰猛な、それでいて理知の色合いを放つ声が、鳴り響いた。

 


 ◇◆◇◆



 城壁の上で、雷と暴風とが互いを食らい合った。一呼吸すらも止まる事のないヴァレリィの連撃を、リチャードの黒剣が捌き受ける。一合、二合、次には十合と数を重ねる。


「おい、女」


 暴風の中、落雷の如く響く声だった。しかしヴァレリィは腕を止めず、回転によって速度を乗せて裏拳を放つ。聞く気などないと語るようだった。


 鉄が噛み合う鈍い音。鼻先には焦げ臭さが残った。戦場で蔓延する匂いだ。


 リチャードは黒剣を横向かせ、先端をヴァレリィに向けたままもう一度口を開いた。


「少しは話を聞いたらどうかねぇ」


「これ以上、貴殿と私との間で話すべき事はあるか?」


 簡単な会話の間にも、死を彷彿とさせる一撃が両者の間で噛み合っていく。まるで口と身体とは、全く別の生物のようだった。


 痺れそうな身体を無理矢理奮い立たせながら、エルディスは幻想的とも言える光景に視線を通し、唇をぎゅぅと引き締めた。気を抜けばただ魅入ってしまいそうなほどの一戦だ。


 エルディスの魔力の消耗と身体の摩耗は、一応の回復を見せていた。今なら先ほどのような無茶をしなければ呪いを振りまける。


 しかし、とエルディスは碧眼を忌々しそうに歪めた。


 リチャードとヴァレリィの剣戟は、他者につけ入る隙間を一歩も与えない。片方が一歩を踏み込めばもう片方が一歩を下がり、詰め寄られれば足を掬う。互いの手の内を知り尽くしているかのように、両者は拳と剣とを交わしていた。


 下手に手を出せば火傷をする所かヴァレリィをも追い詰める事になる。迂闊な真似が出来ないまま、貴重すぎる時間が溶けていった。


 両者の攻防は一見すれば、ヴァレリィが優位だ。彼女が腕や脚を振るう度リチャードは弾き飛ばされるように間合いを取るが、ヴァレリィはリチャードの刃を苦にしていない。一方的にも見えた。


 だが、違う。傍から見ているエルディスにも。当事者であるヴァレリィにもそれは理解できていた。


 ヴァレリィは攻めさせられているのだ。リチャードは虎視眈々と、彼女の嵐が弱まるのを待っている。それこそまるで、狩りをする狼のように。


 一瞬、ヴァレリィとエルディスは視線を合わせた。言葉は無かった。

 

「このままじゃあ、お前が死んで終わるだけだ。分からねぇ奴だな」


 黒剣が、高い音を立てて魔術鎧を弾いた。


 刹那。ヴァレリィの構えが戻るほんの僅かな間。リチャードの刃が、鎧と手甲との隙間に滑り込む。


 盛大に、血液が跳ね飛んだ。ヴァレリィの腕が切り裂かれた証だった。すぐに腕を引いて黒剣を跳ね飛ばしたが、身体から抜け落ちた血は止まらない。


「こんなくだらねぇ小細工でも、もう防げねぇ。元から随分血を失ってるな。――分からん。それで俺に勝てると思ったのか? 負けると分かっていても戦う性質なのか? それともわけのわからねぇ妄言の通り、気をおかしくしてるのか」


「口が減らんな。貴殿の物差しで私を測ってくれるな」


 血を垂れながらしながら、ヴァレリィは軽く指を払った。拳の内に溜まったのだろう血の固まりが、生々しく地面に落ちる。


 間違いなく満身創痍。もはや弱り切った獲物に過ぎないはずであるのに、ヴァレリィの瞳だけが死んでいない。むしろ生を渇望するように炯々と輝いてすらいる。


 構えを取ったまま、ヴァレリィは不敵に笑った。


「不利だから戦わない。死が見えているから刃を降ろす。そんな言葉は、今という機会を見失った者の言葉だ。その先にある道は決まっている。次で勝てば良い、二回に一度勝てば良い、勝てる時に勝てば良い、そんな先送りの考えだ。

 何時しか機会はどんどん狭まり、その熱は枯れていく。そんな者は何も成し遂げられない。これも貴殿から教えられたのだがなッ!」


 ヴァレリィは言葉を投げ捨てるように力強く一歩を踏み出した。その一歩で持って、城壁を踏み崩さんとするほどの踏み込み。腕がぐるりと弧を描いて、勢いよく拳が射出させる。まるでその一振りに、彼女の人生が乗せられているかのような重みがあった。


 黒剣が、拳を受け止める。再びリチャードが拳の勢いに弾き飛ばされた。しかしそれはもはや、彼が自ら間合いを取った結果ではない。黒剣と、それを支える腕には確かな衝撃と痺れが走っている。


 ヴァレリィの血みどろの拳が、リチャードの超反応へと指をかけた証左だった。


 黒い剣が、がちりと音を鳴らして握りしめられる。その表面が、薄っすらと雷光の如き明るさを見せ始めた。


「……いや、そうだな。お前の言う通りだ。命を賭ける商売の俺達に、明日なんてあると思うのが間違ってる」


 瞬間。ヴァレリィは背筋を死が駆けていくのを感じた。吐き出さず、唾と共に呑み込む。


 リチャードの獣以上に獰猛な瞳が、鋭利さを増していた。発するのは、この世全てを殺して見せるだけの気迫と、輝きを取り戻した黒剣の威。

 

「女。お前の名前は何だ。最期に聞いておこう」


 それは死刑宣告に等しかった。リチャードは欠片たりとも、目の前の女が死ぬことを疑っていない。彼女はどうせ死ぬのだから、名前くらいは聞いておこうという単純な問いかけだ。


 リチャードが柄を握りしめ、その力を強める度に黒剣は輝きを増していく。まるで勇者に相応しい剣へと自ら変貌するが如く。栄光を掴み取る姿へと変じていった。


 人類の最高峰。吟遊詩人に謡われる、勇者の出で立ちそのままで。全盛期のリチャード=パーミリスが雷光を掲げる。


「答える必要はない。私はもう遥か昔に名乗りを上げた」


 ――我が名はヴァレリィ=ブライトネス。貴殿に決闘を申し込む。


 ヴァレリィは思わず、かつての名乗りを思い出して頬を歪ませた。リチャードとの初対面はまだ十かそこらの歳だった。随分遠くまできてしまったものだ。


 今、あの日の決着を付けねばならない。

 

「そうか」


 リチャードは素直に頷き、刃を水平に構えた。共に瞬き一つしない。刹那の間に全てが終わるであろう事は予感していた。


 ヴァレリィは、自然と刃を受け止める態勢を取っていた。振るわれた一閃を掴み取り、へし折る為の構えだ。


 互いの間で、呼吸が死ぬ。動作が失われ、永遠に凝縮した一瞬のみがある。空間が最大限にまで張り詰めていった。


 刹那の間。

 

「――『雷』」


 ヴァレリィは、その姿を確かに視界に入れていた。閃光の如く走る雷光の姿。


 すべき動作は二つ。刃を鎧で挟み込み、叩き折る。ヴァレリィと魔術鎧にしてみれば、数多の兵を相手に繰り返してきた所作。


 しかしそのどれもが、今日ばかりは遅すぎた。


 ヴァレリィの身体を閃光が駆け抜けて行く。魔術鎧も、もはや用を成さず両断される。


 だというのに、ヴァレリィは頬を震わせた。まるで痛覚を噛み殺した笑みを浮かべるように。


「終わりにしようか、勇者」

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― 新着の感想 ―
[一言] ヴァレリィカッコいい。…カッコいいんだけどそのセリフは自分に刺さる。何も成し遂げられない人間ですんまそん。
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