第六百三話『巨人の咆哮』
巨人。本来の名を失った、ただ巨大でありただ剛腕である者達。
彼らに破壊出来ぬものは無く、天と大地にすらその槌を届かせる。ゆえにこそ大陸の覇者であった彼らは、『力』の象徴として今日この時まで語り継がれた。
――その神話が今、魔女の影から這い出て来る。
指一つ取っても、一瞬では指と認識出来ない巨大さ。空すらも小さく感じさせる巨体に、大地をも踏み潰しかねない強固な圧力。発するは赫々たる瘴気。下手をすれば生者の其れと見紛う程だ。
崩れかけた面相だけが、此れがもう死体なのだと物語っていた。
「――ォオオ――ォ゛オォォオオオッ――!」
咆哮が耳を劈く。周囲一帯を声一つで破壊するのではないかと思う程。魔剣を握る力を強めながら眉間に皺を寄せる。
此の巨人が何者であるかは分からない。巨人王フリムスラトがカリアに原典を譲り渡し消滅した以上、それ以外の者の死体を用いているのかも知れないし、魔女バロヌィスが魔力で組み上げた素体の可能性もある。どう足掻いても推察の域を出ないだろう。
だが一つ確かな事は――。
「――趣味が最悪だな。本当の巨人も、こんな姿をしてたのかよ。ええ?」
「……んなわけがあるかい。衝撃で最低で辟易だ。フリムスラトでもこんな姿はしちゃあいねぇ」
応じるように人間王メディクが口を出した。苦々しいものを噛む声だった。
影から這い出た巨人には、六本の腕が繋ぎ合わされそれぞれ槌を持ち、瞳も双眸だけではなかった。複数の体躯を無理矢理つなぎ合わせ、それでいて不自然なほどに全てが機能している。
率直に言って、不快だ。
本能的な忌避感情が、此れが彼の――いいや彼らの生来の姿ではないと叫んでいた。
「魔法と同じさ。大気にある魔力を好き勝手に組み上げるのと、地に眠った死体を繋ぎ合わせる事の何が違う。死者に尊厳などない。誰しも墓場の中で辱められる」
魔女バロヌィスの言葉と、巨人が動き始めるのとはほぼ同時だった。巨人の指先一つで大気が震え、ごうと全てを破砕する音を成す。
天城竜ヴリリガントにしろ精霊神ゼブレリリスにしろそうだったが、それでも魔性を見上げて戦う何てのは最低の気分になる。人間としての本能が、精神を硬直させこう告げるのだ。
種族として、生物として――此れには勝ちえないと。
奥歯を噛む。魔剣に魔力を注ぎ込み、吐息を吸った。胸中で呟く。
だがそれでも――アルティアを殺すには、此れも乗り越えなくてはならない。しなければならないのであれば、それをするのだ。
アリュエノを救う為なら、竜も精霊も巨人ですら殺してみせよう。
「――原典解錠『原初の悪』」
巨人が槌をふり被るのが見えた。一つだけでも廃村そのものを叩き潰しかねない圧力を有しているというのに、其れが六本。その上魔女バロヌィスも当然動いてくるだろう。
反面こちらはレウを庇う形であるし、下手に暴れさせればカリア達も危うい。詰まり、時間をかけずに素早く此れを殺さねばならない。
魔剣を握る。瞳を見開いた。巨人の首だけが視野に入る。其れだけで良い。
シャドに教わった魔力の使い方は単純なものだけ。ただ今持っているものを、どう使うかと言うだけだった。
――貴はただ、持っているものを一つずつ順番に使っているだけじゃないか。其れでは何も怖くないのだな。
外套に僅かに身を預けながら、魔剣を横なぎに振るう。渾身の一撃が、宙に紫電の線を描いた。本来であれば、ただ中空を掻き切るだけの一振り。
手ごたえが手の平にあった。引きずり出すように刃を手前に引く。
「できれば、此れで終わってくれれば一番良い」
――其れがそのまま、巨人の鉱物とすら思える喉笛を食い破った。
血の雨が、廃村に降り注いでいた。
◇◆◇◆
廃村の戦役は、大きく二つの戦いに姿を分けた。一つはルーギスと人間王メディクとが共闘する魔女狩り。もう一つは、騎士道の在り方を問う戦いだ。
巨人が廃村に姿を表す、暫しの前。
「――『彼は道を駆け、全ての敵を打ち砕いた。其れをこそ、人は騎士道とそう呼んだ』」
魔人――騎士ガルラスは紅の槍を血でより赤く染めながら言った。己を正気に保つ為の儀式にも思えたし、何時もの口癖が零れ出てしまったようにも見えた。
一つ確かなのは、ガルラスの槍が番人ヴァレリィの左肩を突き刺しているという事だ。
本来は心臓や急所を狙った一撃が肩一つで済んでいるのは、紛れもなくヴァレリィが常人でない証左だろう。
それでも此の一戦においては致命的な傷だ。もはやヴァレリィは魔術鎧を万全に扱う事は出来まい。槍を捌くにも、足取り一つを取っても遅れを取る。
それは魔人、いいやガルラスを相手取るには余りに重い事実だった。
遠目に戦いを見守っていたロイメッツらの胸中にも、ある種の確信が落ちて来る。信じられないという思いを持ちながら、もはやヴァレリィがガルラスに抗い得ないという確信。
「すまねぇな。こんな真似したくはねぇんだが、俺も負けるわけにはいかねぇんだ」
魔人と化したガルラスは騎士鎧を鳴らし、口元をプレートで覆いながら言った。言葉に嘘はなく、揺らぐものすら見えない。それが余計に彼の奇妙な覚悟を際立たせている。
「ふ、ん……ッ! ……綺麗事を抜かすなッ!」
しかしヴァレリィという女も、相手が魔人であるというだけで敗北を喫する人間ではない。
人間から隔絶した握力でもって突き刺さった槍を引き抜き、一息以上の間合いを図る。血は押し留められぬほどに吐き出されていたが、瞳に宿る力は未だ弱まってすらいない。
息だけが苦し気に呻いていた。
「過ちを知りながら、それでも引き返さぬ者を正す方法を私は知らんッ! 何故引き返せんというのだ!」
「……出来ねぇんだよ、ヴァレリィ。此処で引き返す事も、負ける事もなぁ。騎士はそういうもんだろ」
騎士とは敗北を知らぬ者。騎士物語から切り取るならば、剣一本をもって諸国を周り勝利と栄光を手にする者の事だ。
無論そんなものが全て戯言、精々子供に寝物語として聞かせるものだという事くらい、ガルラスはとうの昔に理解している。
いいや騎士階級の家に産まれ、義務を知った時からそんなものだと想像がついたのだ。彼は野心に燃える人間でも、夢に恋焦がれる人間でもなかった。
幼いころのガルラス=ガルガンティアは、怠惰と無気力が凝り固まったような人間だった。聡いが故に己の限界もおおよそ図ってしまっていたし、家柄の立ち位置も分かっていた。
反面、弟は違った。
野心に燃えるというわけではないが――夢に恋焦がれる人間だった。騎士道を重んじ、誰もに優しく、忠義と礼節に正しい。
ガルラスは今でも思う。アレこそが騎士なのだろう。弟こそが、騎士の理想像だったのだろう。
無礼で怠惰な兄よりも、礼節正しく精勤な弟を跡継ぎにしてはどうかという話が出て来るのは当然だった。どういうわけか弟はいい顔をしなかったが、ガルラスは構わなかった。騎士階級の人間は、騎士に夢を見れる人間の方が相応しいと思っていたからだ。
むしろ弟が正騎士になり、その地位を昇り詰める事が出来たのならば。己の考えは間違いだと突きつけてくれたのならば、それは心地よい事ではないか。
だが継承順序の変動は幾度も議題に出された割りに、結局実現する事は無かった。
弟が家を継ぐか否か、という論争になった際。ガルガンティア家で毎回口に出される言葉がある。
確かに弟は清廉潔白。意志も性根も正しく家来衆からの人気もある。反面兄は品性粗野にして、態度も劣悪、当主として不適格。
――だが血の滲む努力をして尚優秀で留まる弟に対し、遊び回っているだけの兄は武技の天才だ。
世界は残酷だった。騎士を望まぬガルラスには聖堂騎士に任じられるほどの才を与え、望んだ弟にはさほどのものも与えられない。それで尚曲がらなかった弟の声を、今でもガルラスは思い出す。
――僕の夢は兄様と共に騎士として戦場で戦う事なのです。何時か、どうか。共に騎士の中の騎士でありたいのです。
結論から言えば、彼の夢は叶わなかった。
彼は初陣の際、騎士物語の騎士のように家来衆を庇って落命した。ガルラスに言わせてしまえば下らない。――歴史の一文にも残らない無駄な死に様だ。弟らしい、だがだからこそ弟にしてほしくなかった死に方だった。
だから――戦うとガルラスは決めた。
「――我が貴弟の死は無駄じゃあなかったと証明する。あいつがいたからこそ、世界は変わったんだと言わせてみせる。あいつこそが至高の騎士だったと刻んでやる。それまで俺は騎士じゃねぇといけねぇんだよッ!」
「――その結論が魔性に付くことか!」
間合いを再度取りながらも、ガルラスは騎士鎧を全身に纏わせ紅槍を振るった。一直線に構えた其れは、今度こそ獲物を逃がさぬと語り掛けるよう。
一息で勝負が終わる。
その刹那に声が響いた。
「――見慣れぬ魔力を追ってみれば、貴様か。猛獣め」
銀髪と黒緋を無気力に揺らしながら、眉をつりあげて彼女は言った。驚くほど静かな足取りは、誰にも彼女の接近を気づかせなかった。
ただその混沌を孕んだ瞳だけが、彼女の存在を告げている。
カリアは辟易したという風に、言葉を放った。
「――聞いておこう。ルーギスは此処に来たか。来ていないのなら、それで構わん」
憮然とした表情だけが、此の戦場を睥睨していた。




