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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十八章『英雄編』
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第五百九十八話『傲慢なる者たち』

「――己はジルイール=ハーノ。神と聖女の守護者であり使徒。お前の魂に幸福を与えましょう」


 ジルイールと名乗った少女――いいや魔人。使徒ジルイールを前にしてカリアは冷たい香りを感じた。彼女の言葉の一つ一つに唇が浮く。


 奇妙な女だった。敵対者としての殺意も害意も感じないというのに、警戒心だけは人並み以上に抱かせる。


 それは周囲を隔絶する魔的な空気を纏っている事もあれば、狂信を瞳に宿している事もある。


 だが最も油断できないのは、まるで胸を直接突き刺してくるような言葉の質だ。魂を舐めるかの如き色合いが彼女の言葉にはある。


「……幸福は与えられるべきものではない。第一、奴を望んでどうして貴様らの手を取らねばならんのだ」


 大聖教の聖女アリュエノ。――アルティアが体躯を借り受けたかの少女こそが、彼の想い人という事はとうの昔に分かっている。彼女の為に立身出世を望んだのだとすらカリアは聞いている。


 そのような人間が率いる勢力に、どうして己が力を貸さなければならないのか。むしろ全く逆の立場だ。彼の想い人と分かっていても、まだ敵対していた方が納得ができる。


「ははは、それでは自分の幸福を失うと?」


「黙れ貴様。失うわけではない、幸福とは自ら掴み取るものだ」


「いいえ、お前は失うでしょう」


 ジルイールは即断する。一切の迷いがない。


 おかしな気分だった。魔人の言葉など聞く必要はないというのに、カリアの銀瞳は熱に囚われたように彼女を睨みつけている。言葉に込められた魔力こそが、此の魔人の真髄だとでも語るかのよう。


「お前が真に幸福を手に出来るというのなら。――どうして今お前は一人で此処にいるのです? どうしてあの男はお前の傍にいない? お前がこうして私と相対しているというのに」


 カリアの魂を縫い付けるかの如く、女が舌を動かす。一歩を踏む込む音がして、ようやくカリアはジルイールが己に近づいた事に気づいた。


 詭弁だ。言葉を弄しているに過ぎない。幾らでも反論の余地はある。下らない戯言だ。全て分かっていながらカリアは言葉を発しなかった。


 それはきっとカリアも、心の片隅で思ってしまっていたからだ。


 どうしてルーギスは、己の傍にいないのだろうか。


 彼からの信頼と言えばそうかもしれない。ガザリア内戦の時、いいやもっと前からルーギスはカリアを認め、共にあったからこそ彼はカリアに戦場の一翼を頼むのだ。


 そうとも。類まれなる信頼、信用。カリアは他者の誰よりもルーギスからそれらを与えられている。


 ――だが信頼も信用も、決して愛ではない。

 

「巨人たるお前の中に未だに人類愛が隠れているとは思えません。ただあの男がいるから人類に与しているのみでしょう。

 ならば別に我々と手を結ぶ必要は無い。我らは我らの為に、お前はお前の為に動けば良い。あの男をお前しか目の届かぬ場所に連れ去ってしまえば良いのです。

 ――それこそ死の世界であれど。お前は人類など本当はどうでも良いのでしょう?」


「そうか」


 銀の瞳が、ぐにゃりと歪む。一つの液体のようにすら見えた。カリアは鉄の如き女だったが、この時ばかりは溢れんばかりの熱が彼女を溶かしている。


 瞳に宿るものはもはや感情を超越したものだった。名を付けるのならば、狂気に近しいのかもしれない。

 

「――私は貴様に黙れと言ったぞ」


 一瞬の内に黒緋が三度舞った。ジルイールの魂で造り上げた幻像が、吹き飛ばされ打ち壊される。


 剣技ではない、闘技でもない。


 ただ片手で力のままに大剣を振り回す傲慢さ。その傲慢をもって人類が辿り着けぬ神域に至る姿は、紛れもない巨人王が血統。


「……傲慢な」

 

「黙れッ! 私が奴に事を成すとするならば、それは常に私の意志だ! 貴様如きに唆されるものではない! 私は私以外の何者にもならないッ!」


 カリアが吠えた瞬間、ジルイールの最後にまで残っていた唇がすぅと閉じて消えた。彼女の姿は影の一つも見えなくなっていた。


 ようやく、荒い息をカリアは呑み込む。胸が高鳴る理由は、激しく動いたからだと誤魔化した。瞼に浮かぶ甘美な想像を、必死に噛み切って堪えた。


 魔人が想像より遥かにあっけなく掻き消えた事への安堵はなく、逃げさせたマティアらへの心配もなく、当然旧王国軍への懸念はない。


 ただ声が聞こえたのだ。カリアの心にひっかき傷でも付けるように。ジルイールの声がした。

 

「――お前の『願い』は必ず狂い咲くでしょう」


 唇を噛みしめる。犬歯が僅かに血の感触を覚えていた。カリアは俯き、思わず呼気を垂れ流す。


 耳に聞こえた声が反響していた。


 何も聞きたくなかったが、どういうわけか聞こえていた。


 カリアは己が冷静だと理解していたが、奇妙な熱が体中にあった。


「ルーギス……」


 血が混じった紅を唇に塗って、カリアは頬を緩ませる。激昂したためか白い肌がほのかに赤く染まり、彼女の艶やかさを強調する。


「そうか、分かった」


 黒緋を握りしめながら、カリアは雪原に足跡を残した。一歩一歩踏みしめるように駆ける。それは考えてと言うよりも、本能的に魔力の存在に近づいただけかもしれなかった。


 ――巨人の傲慢な本能が、ゆっくりと瞳を開かされていた。カリアはそれに気付いていたが、もはや閉じる事はしなかった。



 ◇◆◇◆



 紋章教の馬車が魔獣の群れを抑えて駆け抜ける。


 カリアの原典の一振りで魔獣は数こそ減らしていたが、それでも十や二十は湧いて出てきている。本来馬車など一息で崩壊する数だ。


 今馬車がかろうじて走行出来ているのは、あのゼブレリリスの魔獣群を突破したベルナグラッドら精鋭の騎兵がいた事と、光輝く宝石の存在だ。


 レウは数々の宝石の補助を得ながら、馬車から振り落とされぬように及び腰で屋根に乗っていた。特徴的な白髪が宙に揺れ動いている。


 彼女自身は未だか弱い少女に見えるが、宝石はモノが違った。


 宝石が煌めき、瞬く度に熱線が光の如き速さで空を駆ける。馬車の上からだというのに奇妙なまでにその狙いは正確だ。一本一本が、魔獣の眉間を狙い打っていく。


 極光を持って魔獣全体を消し飛ばすアガトスと比べれば小規模なものだったが、それでも魔人の力に魔獣は決して及ばない。


 次々と放たれる宝石の熱線は、馬車を追う多くの魔獣を寄せ付けないかった。例え漏れが出たとしても、少数であれば騎兵達も後れを取らない。


 湧き出る魔獣と一時的な拮抗すら見せながら、馬車は疾走を続ける。


「本、当にっ!? 大丈夫ですか!?」


 地獄だったのはむしろ馬車内だったかもしれない。元より必要以上の加速を想定していない馬車は、一定の速度を超えれば座っている事すら難しい。


 聖女マティアはレウを慮りながらも、自ら舌を噛まぬように口を抑えた。


「も、問題はありません、聖女マティア。彼女も魔人です。私達より遥かに強靭でしょう。ひょっとすると……いいえ、間違いなく周囲の騎兵らよりも」


 マティアはアンが言った内容に思わず背筋を張った。


 聞いてはいる。そうして見てもいる。それでいて尚信じがたい。まだ幼さすら見え隠れする少女が、戦力では大人を凌駕する魔であるなどと。


 理性と打算こそを尊ぶ紋章教の聖女としては彼女のような存在が近くにあるのは喜ばしいのだろうが。それでも素直に納得できぬものがマティアにあった。何も彼女は、幼子を戦わせたい為に聖女になったわけではない。


「最悪の場合は彼女に聖女マティアのみを逃がしてもらう方法もあります。そう思えばまだ私の気持ちは軽いものですよ」


「……アン。そのような事を冗談でも言うものでは」


「いいえ。必要であればそのようにして頂きます。これは譲れません」

 

 窘めようとしたマティアの声を、珍しくアンが遮った。マティアの盲信者と言って良い彼女が、その言葉を噛みとるのは酷く珍しい。


 アンの瞳は大きく見開かれ、唇は強くとがっていた。


「紋章教の軍事を司っているのは英雄殿かもしれません。が、精神を司っているのは聖女マティアの他にはありません。私には勿論、他の誰にも出来ない事です。

 私達にとって、必ず生きて頂かねばならない存在なのです。例えこの場で他の全員が死んだとしても、聖女マティアが生き残るなら私はその為の手段を選びます」


 アンは本気でそう言っていた。紋章教が今こうして生き延びているのは数多の人間の犠牲と信仰があったからだが、こうも一つの纏まりを見せているのは聖女の存在があるからだ。


 紋章教の基盤は未だ不完全。彼女が此処で死ねば再び迫害の憂き目にあう時代がすぐにでも来るかもしれない。


 あの時代を再び迎えるのであれば、死んでしまった方がまだ良い。それに聖女マティアが失われてしまった世界にアンもさほど未練はない。何処まで行っても、アンにとって聖女マティアが世界の中心である事に代わりはなかった。


 それに此処で死んでしまったのなら、彼の心に一つくらい傷をつけてやる事は出来るだろう。まぁ悪くはない。


 アンは頬を歪めて自嘲を浮かべながら、傷をつけられたのがどちらだったのかを思い出した。


「旧王国の面々も襲われていておかしくありません。最悪の場合は――聖女マティアッ!」


 アンは言いかけて、途方もない怖気が背筋を這っていくの感じた。


 頭の中が音の渦を巻き、身体が凍り付く。久しぶりに味わった戦場の気配。いいや、死の気配。


 マティアも同じだったようだ。アンと視線を合わせ、凍り付いた瞳が覚醒する。馬車の外を騎兵の死骸が飛び散り、宝石の熱線が舞っている。


 しかし間に合わない。


 鈍く重い音。矛盾するようだが、その音が――まるで空でも跳ぶような軽やかさで近づいてきた。 地面をえぐり、砂を散らし。その巨獣は馬車に飛び掛かる。


 ――砂をまき散らす巨獣は、馬車よりも巨大だった。馬車を破砕せんと、そのまま大口を開き噛み砕く。


 巨獣には輪郭が無かった。大量の砂だけが彼を形造り、ただ二つの双眸だけが凛々と輝いていた。


「――ド面倒だな。全て食べてしまったのか。馬車の中に何がいるのか知る暇もなかった」


 その後ろからゆったりと、一体の魔人が姿を見せた。両の眼から光を失って尚、その振舞いは底が知れない。


 魔女バロヌィスは、呆れたような様子で言った。


「私の言えた事ではないが、君はもう少し加減を覚えるべきだな。――ドゥー」

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― 新着の感想 ―
[一言] カリア...これ以上狂い咲くの...。まぁ、この物語はカリアから始まったから、カリアに終わるのも納得ですけど。
2021/02/27 18:41 退会済み
管理
[一言] コリオラティとかは出てこないのか
[一言] なんでわざわざ最近死んだのを蘇生してまで使うんだろう?昔のバケモン達蘇生した方が絶対強いだろうに
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