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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十七章『聖戦時代編』
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第五百七十七話『最悪の日』

 崩れゆくゼブレリリスの外郭を、魔女バロヌィスは見上げていた。それがもはや身体ではなく、遺骸となり果ててしまっていた事をいち早く彼女は理解した。


 だが、彼女は周囲の魔獣のように戸惑い取り乱す事は無かった。


 湧き上がった感情は、驚愕と茫然。


 ――あの精霊神が死んでいく。あの大魔が死んでいく。


 己は勿論。偉大だった最初の人間王メディクすら勝利し得なかった存在。それの死がバロヌィスの視界に映っている。


 千年前とは状況も環境も違うことは分かっていた。それでも尚、信じきれない。


 だが崩壊し消滅していくゼブレリリスの身体が証明しているのだ。彼女の外郭は信仰そのもの。それが失われてしまったという事は、彼女が死したという事。


 もう少し時間が経てば、ゼブレリリスの身体は完全に消滅するだろう。彼女が大陸に残した傷痕以外に、その痕跡は失われる。


「ルーギス――」


 フィアラートが、上空を見上げながら呟いたのをバロヌィスは聞いた。その人間が、此れを成したのか。


 頬が上がる。バロヌィスにとって、今日二度目の未知だった。


 魔術を超越したフィアラート。大魔を殺したルーギスという人間。


 生まれる欲求はただ一つ。


 ――知りたい。


 何者であるのか。どのような才を秘めているのか。如何にして大魔を葬ったのか。


 人間王メディクを、全てにおいて超えうる人間なのか。


 そう思った所で、バロヌィスはふと視線を下ろした。既知を制覇し未知を求め続ける彼女らしくもない過去を省みる感情が、生まれてしまっていた。


「――君らが、後千年も早く生まれていればな。いや。ド馬鹿な考えだ」


 魔獣群を押し留め続けたカリアも、バロヌィスを縛りあげたフィアラートも、そうして大魔ゼブレリリスを殺した存在も。


 いいや、魔性を前にして臆せず騎馬突撃を開始し、槍を持って戦う兵にしてもそうだ。


 千年前。人間王メディクと魔女バロヌィスの時代には、夢に見る事すら出来なかった強者たち。かつて多くの人間は魔性に抗う力を持たなかったし、メディクに縋る事だけが取り得だった。


 けれど眼前の彼らはどうだ。


 アルティアの時代のように、ただ一人が異常なのではない。誰もが意志を持って立っている。彼らは、自らの力でもってして大陸の覇権を人類に取り戻した。


「人間は、強くなったものだ」


 感嘆と、僅かばかりの羨望を込めた声色だった。しかし、バロヌィスに後戻りする道はない。


「ええ。もう二度と貴女達に踏みつけにはされない。好きなようにされてたまるものですか」


「けれど、君では私を殺せない。だから私達は一歩も動けていない。そうだろう?」


 フィアラートの眉間に皺が寄ったのをバロヌィスは見逃さなかった。


 フィアラートの魔術は赫奕たるものだ。『収奪』の魔眼と、自ら造り上げた七本の杭でバロヌィスの魔力を奪い去ってしまう。


 魔力を失ったバロヌィスに、フィアラートを殺す事は出来ないし、魔眼を行使する事もできない。文字通り此処に縛り付けられた。


 だがフィアラートもそれは同じだ。彼女はバロヌィスを縫い留める為に、全魔力を使用している。動けず、縛られているという意味合いでは二人は変わらなかった。


 ある種の均衡状態。――しかし、それはもう破れた。


「確かに、私では貴女を殺せないでしょうね。でも私の仲間たちは、私ほど弱くないわ」


 ゼブレリリスが死んだ以上、魔獣群はそう時間なく散り散りになる。言わばこの群れは、ゼブレリリスを神と崇める狂信者の群れ。神が失われれば、力を無くすのは当然の事だ。


 魔獣群が戦力として崩壊すれば、小さな巨人たるカリアは必ず此処にかけつける。そうして、彼女ならばバロヌィスを殺せる。


 それは数多の窮地を共に潜り抜けた事から生まれる、無類の信頼と確信だ。


「そうだ。ゼブレリリスまでもが死んだ。私も死ぬだろう。だが――それは今じゃない」


 バロヌィスが、魔力を失った影を再び展開させる。


 此れは魔術でも魔法でもない。ただ貪欲なバロヌィスの性質を反映させただけのものだ。ゆえに、消費する魔力は最も小さい。とはいえ、フィアラートの『収奪』の前では十全な力を発揮する事は不可能だ。


「ッ! 何を――」


「フィアラート」


 死雪の白の中、バロヌィスの影はぽつんと浮かんだ黒のようだった。どう足掻いても魔力が足りない、ここから逃亡する魔術も魔法も、フィアラートに縛り付けられている。


 だが、バロヌィスは同時に実感していた。フィアラートの『収奪』は、百ある魔力を途端に零にするものではない。速度はあれど、徐々にその魔力を吸い上げる類のもの。


 ならば――極大の魔力を生み出してしまえば、一つの魔法の行使は出来る。バロヌィスは、この逃亡にはそれだけの価値があると断じた。


「此れは君の勝ちだ。私は敗北した。私は、これまで積み上げたものを失わなければならない」


 フィアラートの困惑を置き去りに、バロヌィスは詠唱を開始する。たった一言の詠唱は、誰にも押し留められない。それは魔法ではなく、ただ取り決められた合図に過ぎないのだから。


「――壊れ、失われろ」


 一瞬の事だった。


 バロヌィスの死を齎す至高の魔眼が、その場で打ち砕かれる。彼女が原典を用いる為の道具であり、数百の時を積み上げて造り上げた魔の眼。魔力を集積し続けた其れ。


 魔眼の崩壊とともに噴き出した魔力が、奔流をあげた。存在そのものが秘宝に近しい双眸は、今この時を持って終止符を打つ。もはや死の魔眼は失われた。


「う、そッ!?」


 フィアラートにとってもそれは埒外の事だった。魔術師と魔法使いに関わらず、魔を扱う者にとって自ら魔力を込めて造り上げた魔具は自らの分身と言える。ただの喪失とは違う、魂の逸失に近しい。


 それを今、彼女は切り崩した。周囲を飛び散る魔力はフィアラートが一瞬で呑み込める量を超えている。


 影が、バロヌィスを覆い尽くした。


「また会おうフィアラート。私はド衰えても、メディクの隣にいてやらねばならんのだ」


「こんな、真似ッ! ふざけ――ッ!」


 言い終わる前に、バロヌィスは消えていた。もはや魔力の残滓すら此処には残っていない。


 彼女は原典に関わる一機構、魔眼を失った。あれだけの魔の極致を、再びすぐさま造り上げるような真似は出来ない。半身を失ってようやく逃げ延びたのだ。


 フィアラートは、バロヌィスを引き付ける目的を果たした。魔術師としての勝利とも言えるだろう。


 だが、


「――く、そぉ――ッ!」


 フィアラートは言葉にすらならぬ感情を抱えながら、バロヌィスの逃亡を見送った。それは彼女にようやく芽生えた、闘争心の発露であったのかもしれない。



 ◇◆◇◆



 大魔ゼブレリリスは死に絶え、魔女バロヌィスは敗走した。此れは人類軍にとって確かな勝利であり、何物にも代えがたい成果と言えるだろう。


 しかし、その為に必要な代価も支払った。


 死の魔眼によって数多の兵は命を失い、戦線は崩壊した。魔獣群との争いも、決して無傷だったわけではない。幾度も部隊の再編を迫られ部隊長の数も減じた。


 二万五千はいた兵の内、未だ戦える者は二万を割っている。それも無傷な者の方が稀だ。各部隊の指揮系統は切り刻まれ、継戦能力を失ったに等しい。


 だが崩壊したゼブレリリスから帰還したルーギスは即座に言った。


「――すぐに軍を再編する。メドラウト砦への先行部隊と、本隊に切り分けろ。爺さんが六万の兵を止めてるんだ。間に合わなくなる」


 当初目指していたような、二日でオリュン平野に辿り着き、即座にゼブレリリスを殺して本隊ごと砦に舞い戻るという方策は、バロヌィスに進軍を押し留められた時点で不可能になった。


 だが、まだ時間はあった。半日があれば少数の先行部隊は砦に辿り着く。


 リチャードならば、先行部隊だけでも十分に活用が出来るという確信がルーギスにはある。その間に稼いだ時間で、本隊を送り届ける。


 むしろルーギス本人の意志としては満身創痍の身体であろうと、先行部隊となってメドラウト砦に自ら赴きたかったのだが。それには万を超える軍勢が足枷だった。


 ゼブレリリスとの戦役で多くの部隊長と兵、そうして指揮系統が失われた。そうして厄介な事に、此の軍はボルヴァートらの援軍を受け入れた複数国家の混合軍。


 統括して軍勢を素早く動かすには、権威が必要だ。そうして今この場で必要なだけの大権を持ちえる人間は、ルーギスしか存在しない。


 また――後の事を考えればルーギスが先行部隊を率いなかったのは幸運以外の何ものでもないと言えるだろう。


 メドラウト砦から伝令のネイマールが到着したのは、丁度先行部隊を送り出したのと入れ違いだった。


 ルーギスが全身に包帯を巻きあげている天幕の中に、崩れ落ちるような勢いで彼女は来た。 


「で――爺さんは何だって? まぁ、大体は分かるんだがよ」


 治療を受けながら対面したルーギスに向けて、ネイマールは吐き出すように言った。一度も馬を降りる事なく走り続けた為か、視界が未だに揺れ動いている。


「……砦は落ちたもの、自分は死んだものと扱えと」


「まぁ、そう言うだろうさ。だが、まだ落ちてないんだろう?」


「勿論です、元帥閣下。行って頂けるんでしょう、当然!?」


 ルーギスは包帯を巻き終わって、すっくと立ちあがる。指先一つ動かすだけで関節が悲鳴をあげたが、立ち止まっている余裕はない。


 同じ師を持つからか、ルーギスとネイマールの間には良くも悪くも奇妙な気安さのようなものがあった。そうして両者ともに信じていた。あの師が、易々と砦を明け渡すわけがない。むしろそう信じる事が前提条件のようだった。


 事実、メドラウト砦を失えば大聖教軍の王都進軍を押し留めるものは無くなる。その最悪を避けるためにも、打てるだけの方策を打たねばならない。


 軍本体が再編成と出陣準備をようやく終えたのは、先行部隊を見送って半日が経った後だった。


 魔獣群の残党を掃討せねばならなかったのを考えれば、これでも随分乱暴に編成した方だ。


 ――伝令が来たのは丁度、そんな頃合いだった。


 大天幕。人類軍とエルフの軍勢の主だった面々が集まり、最後の軍議のために顔を合わせる中。伝令が、一瞬の躊躇と焦燥を感情に乗せながら声を響かせる。


 大天幕の数名は、伝令の表情を見た時点で、おおよその事を理解した。


「――メドラウト砦が、陥落いたしました! リチャード将軍は、生死不明。恐らくは燃えた砦と命を共にされたと」


 瞬間、愕然とした空気が天幕の中を満たしていく。


 まだ報告を持ってきた伝令は一人だけ。もしかすると先走った報告という可能性はある。伝令の全てが正しい情報を持ち込むものでないというのは当然の事だ。


 だが状況が、彼の言葉に信憑性をもたせてしまっていた。


 何せ、前情報の時点で敵軍は六万。こちらは三千。むしろ砦があるとはいえ今まで戦線が保っていた方が不思議だったのだ。


 もっと早くこの報告が来ていたとしてもおかしくはなかった。これだけの日数が稼げたのは、紛れもなくリチャードの手腕による所と言えるのだろうが。

 

「――そん、な事……ッ!」


 一番に感情を露わにしたのはネイマールだった。当然の事だ。彼女は一番最後にリチャードの姿を目にし、救援を求めてオリュン平野まで駆けてきた。その救うべき相手が失われたという報告は、彼女には余りに受け入れがたい。

 

 ――本来であれば、彼女は此処であらん限りの感情を吐き出す所だった。


 もしかすれば無謀と言っても良いリチャードの作戦を承諾した、ルーギスに罵倒を投げかけていたのかもしれない。


 だが、それが成らなかったのは。大天幕の中、誰一人として言葉を発せなかったのは。


 彼が、圧迫感すら感じる重い言葉でこう切り出したからだ。


「――嘘だろう。嘘だと言ってくれ! 俺にその言葉を信じろというのか!?」


 かつてない程に、感情を露わにしたルーギスが其処にはいた。

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― 新着の感想 ―
[一言] また救えなかったとしたらあまりに残酷すぎる…
[良い点] 爺さんの事だから足掻いてるはずだよね
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