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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十七章『聖戦時代編』
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第五百三十九話『熱持つ竜』

 その日フィアラート=ラ=ボルゴグラードが悩まされていたのは、珍しく想い人の事ではなく、心臓の異常な熱さの事だった。


 ソレは人生で感じた事がないほどに強く脈打ち、鼓動も速い。


 普段この臓器は存在していても、こうも強く存在を主張するものではない。耳をすませば、静かに心音を感じ取れるくらいのもの。


 けれど、フィアラートは――竜の心臓と成った日から、胸が奏でる色濃い不協和音を感じ続けている。


 心臓だけが強烈に存在を主張する余り、身体から浮彫にされていた。


 己の中で、ソレだけが己ではない。


 フィアラートは自分の身体に空恐ろしさすら感じている。


「――あっ、つい」


 知らない内に首筋が汗を垂らしている。未だ死雪が降り注ぎ、頬を打つのは冷風だ。フィアラートだけが、全身から発する熱を感じていた。


 日に日に増していくこの熱量は、ガーライスト王国王都に戻っても勢いを消していない。もしかするとこのまま、心臓が火を噴いて燃え尽きてしまうのではと思う程だった。


 とはいえ、だからと言って寝込み続けているわけにもいかない。


 魔術師たる者が、身体の異常一つ制御できないなんて恥だ。そんな矜持とも意地とも言える感情だけが、フィアラートを奮い立たせている。

 

 ――それに実際の所、熱の正体は判明していた。


 一時的とはいえ、フィアラートは大魔ヴリリガントという殻に魔力を運び込む循環器と化していた。


 竜の魔力。それは人間や、魔獣魔族のものとは比べ物にならない、純正の魔。フィアラートは全身で混じりけのない魔性を浴びせられた。


 今も身体はその感触を覚えている。心臓は、竜の魔力に覆い尽くされていた。少なくともそこはもう――人間ではない。確かな直感があった。


 身体が異様な熱を吐き出すのは、きっとその心臓に順応するためだ。


 竜の魔性を齎された心臓に適合し、相応しい殻となるべく全身は夥しい魔力を発している。術式に依らない魔力の発散が、そのまま熱となってフィアラートの脳を、身体を蕩けさせていた。


 しかし驚くべき変容を遂げているのは、何もフィアラートだけではない。彼女が今ふらつく足取りで探し求めているルーギスも、その一人だ。


 元帥という役回りを肩に背負ったあの日から。いいや、ヘルト=スタンレーの名を聞いたあの時から、彼の目には黄金しか映らなくなった。


 彼の下に辿り着くため、一日中戦役の準備に没頭している。フィアラートにはそれが堪らなかった。


 彼女も、ヘルト=スタンレーという黄金の存在は知っている。彼の名を聞いて思う所が無かったと言えば嘘だ。


 だが、ルーギスの其れは異常だった。まるで愛憎を全身から漲らせているようですらある。


 フィアラートは嫉妬すら覚えた。心臓以上に、その感情が熱かった。


 全ての想いを、己に向けてくれればいいのに。例えそれが、愛であろうと憎悪であろうと、何であったとしても、己は受け止める。フィアラートは熱が上がれば上がるほど、思考が加速するのが分かった。


 加速した思考が、余計にルーギスへの慕情をどうしようもない地平にまで連れ去っていく。今のフィアラートは、例え彼の手で首を締め上げられてもそれを喜んだかもしれない。


「……よくそんな体調で出歩いているな、貴様。無茶も過ぎれば無謀だ」


 手広い談話室の入り口で、目を丸くしてカリアはフィアラートを迎え入れた。


「一人でいるよりマシよ。ずっとずっとね」


 フィアラートは胸を撫でおろしながら、やはりここだったか、と思った。


 カリアがいるという事は、そこにルーギスもいるという事だ。いいや順序が逆か。ルーギスがいれば、そこにカリアも付随するのだ。


 とはいえ、フィアラートも周囲からは似たような扱いだったが。 


「――大聖堂がそこまでするかね。高みの見物を決め込んでいた方が良策だと思うんだが」


 果たしてルーギスは、そこにいた。


 珍しく軍服ではない私服に着替えながら、談話室の中心で噛み煙草を転がしている。


 ルーギスが女王から与えられた邸宅の談話室は、今では一種のサロンと化していた。


 部屋は人が十数名入り込んでも十分に余裕があったし、寛げるように設計された為ソファやテーブルも充実している。


 密談は出来ずとも、集まって話し込むには適当な場所だ。


 近頃、このサロンがルーギス――そして彼の派閥の人間らが言葉を交わすための落ち合い所になっていた。


 カリアやエルディスは言うまでもなく、傭兵隊長のヴェスタリヌ=ゲルアも傍仕えだと主張するようにルーギスの傍らにいたし、今は顔を見せていないがブルーダーやアンもよくその姿を表している。


 けれど今ルーギスが正面から視線を合わせているのはその誰でもなく、彼の師たるリチャードだった。


 片腕を失い、もはや往年の力を失ったといえど未だその瞳からは生々しい光が覗いている。


「来るさ。もしも――お前が軍を率いてゼブレリリスに対抗しようと北上してみろ。奴らは間違いなく南下する。先王も教皇も戦に敏い人間じゃない。護国官ブラッケンベリーは彼らのお守りで動けない。が、あっちにはヴァレリィがいる」


 リチャードは、目の前ではなく何処か遠い所を見つめた。


 それは老人が過去を懐かしむ瞳ではなく、老獪に思考を走り回す瞳だ。


「あいつは戦争が上手いんじゃねぇ。指揮だけなら今でも俺は負けやしねぇよ。だが、あいつは例え指揮で負けても勝っちまう。単独で一個の軍みたいなもんだ。軍って概念に手足がつけばヴァレリィになる。お前も埋葬監獄で見たんだろう」


「ああ、酷かった。人間じゃないと思ったね。攻め込んでくるのに躊躇ってもんがない」


「それに、大聖堂の奴らも呑気はしてない。お前が魔人だの大魔だのを殺し続けた所為だ。大聖堂はてめぇらこそが人類の救い手だと語ってるわけだからな。挽回の機会を狙ってる」


 詰まりこういうわけだ、とルーギスは師の言葉を掴み取る。


「このまま王都で座していれば、大魔ゼブレリリスは留まる事なく前進を続け、例え勝とうが俺達は領土を食い荒らされて半死半生。かと言って前に出れば、狙いすました大聖堂が脇腹に食いついてくる」


「――その通りですね元帥閣下。見事な采配に期待いたします」


 当てつけのようにルーギスに言ったのは、リチャードの副官ネイマールだった。リチャードとの関係性だけでみれば、ルーギスとは兄妹弟子の間柄になるのだが。彼女は全く不服極まりないと考えているらしい。

 

「……そもそも、ゼブレリリスをどうするかって、所からじゃないの」


 熱にふらつくフィアラートがルーギスへと声を掛けられたのは、丁度話題が一つ終わった所だった。


 遠慮なんてないとばかりにルーギスの隣に座り込む。


「フィアラート。お前熱が出てるんだから流石に――」


「――私と、起きたら勝手に寝室からいなくなってた貴方。どっちの方が悪い?」


 一瞬表情を大いに歪めたが、暫く押し黙った後、ルーギスはフィアラートを受け入れた。彼女の黒瞳が、余りに有無を言わさなかった。


 そもそもフィアラートに言わせれば、熱の見舞いと言って寝室まで押しかけておきながら。何事を起こすでもなく、一瞬油断をして意識を手放した瞬間に部屋を出ていく彼は酷薄が過ぎる。


 汗の匂いなどを気にした己が馬鹿のようではないか。


「……まぁ、フィアラートの言う通り。まずはゼブレリリスだろう。手は打つさ。何とかしなけりゃ、死ぬだけだからな」


「手を打つ、とは? 詳しくお聞きしたいですね」


 噛み煙草を唇に咥えたルーギスに対し、威嚇でもするようにネイマールが言った。どうにも、師が気に掛けるのが兄弟子ばかりであるのが、気に食わない様子であった。

 

「ゼブレリリスは動く要塞。天を穿つほどの巨大さだ。人間が、軍隊が相手に出来る存在じゃない。自然災害そのものだろう。いっそ、本当に災害だと言ってもらった方が有難いくらいにな」


 だがそうはいかない。あの要塞巨獣は、今この時もガーライスト王国に向け前進を続けている。大地を、人を、魔を貪りながら。


「――竜を使う。災害の相手は、災害にして貰おう。筋書はもう出来ている。爺さん、最前線に出る元気は残っているな。それとももう引退する歳か?」


 ルーギスはふらつくフィアラートを支えながら、すっくと立ちあがった。


 瞳は全てが定まったとでもいうように光を放ち、老将軍を見つめている。


「いらねぇ心配だな。後方に引きこもるのは、死んだ後の贅沢にとってんだよ」


 リチャードはせせら笑うように言った。教え子のものを凌ぐほどに、その瞳には炯々とした色彩が宿っている。


 野心も、意志も、何一つ衰えてはいなかった。彼にとって全盛とは、常に今この時なのだから。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いつも面白いです。軍という概念に手足がつけばヴァレリィになるは、最高の表現ですね。
[良い点] ルーギスとヒロイン達の関係を指して、地雷源でのタップダンスと揶揄されますけど、そのなかでのヘルトとの関係はさながら地雷源でのバレエとでも言えば良いのでしょうか。優雅に跳躍して地雷源を飛び越…
2020/09/05 12:36 退会済み
管理
[良い点] フィアラートが乙女なところ(o^^o) [気になる点] リチャード爺さん、一発かましてくれっ!! [一言] 談話室内の熱き視線バトルが知りたい( ^ω^ )
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