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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第五百二十二話『原初の悪』

 原初の悪。


 詰まる所、この世界において最初に行われた悪行。それは何であろう。


 理由なき暴力か、悪意たる虚偽か、際限なき略奪だろうか。


 いいや、そのどれもが強みに欠ける。言わばそれらは全て、派生した悪事にすぎない。悪事に高低があるのであれば低俗だ。


 第一、正しき神が造り上げた世界において、悪事がなされるなどという考え自体思い違い甚だしいではないか。


 神は絶対で、その御手に納まる世界は全て神の視界の内。そこで起こる事は全てが必然だ。ならば悪事が起こるはずはない。万が一悪が存在したとして、其れは神が起こる前に消し去ってしまうだろう。


 だから、もしも紛れもない悪が起きてしまうというのであれば。


 ――それは、絶対の神を殺した事に他ならない。

 

 もはや文献にすら残っていない最古の神話。この世に悪が齎されたのは、最初の者が、最初の神を殺したからだとそう語る。


 そうなって初めて、生物に死が与えられた。悪と正義が、そこに生まれた。


 原初の悪とは詰まり、最初の殺害行為。誰かを殺すという事。


 魔人ルーギスは、大魔ヴリリガントの首元にあって原典を振り上げた。風が唸りをあげて彼の頬を切り、空気の圧力が体躯を縛り付ける。


 ましてヴリリガントがその巨体を暴れさせるとなれば、もはやまともに立っている事自体が困難だ。嵐の中に立っているのと変わりがない。


 だというのに、平然と彼はそこにいた。そして戦友に同意でも求めるような気軽さで言う。夜がその帳を降ろし、彼の頬を暗闇が包み込む。


「安心しろよヴリリガント。始まりがあれば終わるもんだ。そうだろう。今日が、その日ってだけさ」


 ルーギスは手首を鳴らして魔剣を握り込む。もはや彼を阻むものは何もない。 何が起ころうとしているのか、ヴリリガントは理解しえなかった。しかし、其処に敵がいる事は知っていた。


 そしてそれはどうやら、悍ましい存在だ。何かが、訪れようとしている。それは避けなければならない。


 大魔として生きてきたヴリリガントにとって、それは初めての感情だった。アルティウスと対面した時でさえ、このような情動は覚えなかった。


 竜の咆哮が山を越えて空を振動させ、嵐の如き突風がその両翼からは放たれていた。自然をも変動させる振る舞いはまさしくかつての神の一柱。


 ルーギスは、唇を滑らかに動かす。天城竜の暴威は、もはや間に合わない。

 

「原典解錠――永遠にさらばだヴリリガント。お前は偉大だった。だが俺が出会ったのは、アルティアに殺された死骸だった」


 紫電の魔剣が、神々しい極光を放ちながら一息に竜の巨体を斬獲した。


 それはあり得ない一振り。ただ首筋へ振るったようにしか見えぬ剣が、全身を貫いた感触が確かにあった。そうして、ヴリリガントの逆鱗をも砕き散らす。


 時間が息絶えたように一瞬の空白を生む。空も大地も、その一時だけは固唾を呑んで静謐を甘受した。


 そうして次の瞬間、止まっていた歯車が動き出す。


「――――ォ、ォオオオオ゛ッ!」


 声ではない、音ですらない。大気を脈打たせるだけの振動。


 ヴリリガントの巨体が、今まで発した事のない歪さを零れださせている。次には雷が落ちたかのような轟音が鳴り響き、大地は傾いた。


 そうしてからやっと、世界は此の意味を理解する。


 ヴリリガントという名の不死竜が、此の世界から初めて失われようとしているのだ。


 心臓を失ったあの日に迎えるはずだった死が、数百年の時を超えて今ここに始まろうとしていた。


 嗚咽とも絶叫ともいえぬ声が響き渡る。それはまさしく断末魔。


 ――だが、それでも尚ヴリリガントは止まらない。


 天城竜という自負に突き動かされたわけでも、痛みに呻いたわけでもなかった。


 ただ、彼は知らないだけだ。死を知らず、畏れを知らず、留まる事を竜は知らない。


 だから、もはや死に絶えたその体躯を振り回し、奪い滅ぼす事を竜は止めはしないだろう。それこそ決定的な破局が訪れるまでは。


 ――そうして滅びは赤銅の色をして降り注いだ。


 ヴリリガントがその眼を、剥いた。何時もであれば機敏に反応したであろう両翼は、もはや彼の言う事を聞かない。その喉もブレスを発さず、爪と牙は軋みをあげる。


 天城竜の全ては、何処までも死を迎えんとしていた。


 ゆえに、己を喰らい尽くさんとする赤銅の大火球を指先一つとて避ける事は叶わない。死を超えた、滅びがそこに迫っていた。



 ◇◆◇◆



 ――赤銅竜シャドラプトは、奇跡を見ていた。

 

 此れを奇跡と呼ばぬのならば、この世界に奇跡は存在しなくなる。


 あの人間が、魔人となった彼が。死を知らぬ虚無たるヴリリガントに、死を与えて見せた。奴の原典の一角を食いつぶして見せたのだ。


 有り得ない事が、有り得ている。恐らくは、其れこそが彼の原典。


 始まりあるもの全てを殺害せしめる権能。原初の悪。


 ヴリリガントの絶対無比であった体躯はその原典によって死を取り戻し、心臓を奪い去られた事実により滅ぼうとしている。


 どれほどの強者にも殺せなかった存在が、ただ一振りで。


 ぴりりと首筋が痺れるのをシャドラプトは感じた。歯が上手くかみ合わない。奇跡を見た感慨深さと同時、悍ましさが踵を襲う。


 原典とは願望の顕現ではあるが、望めば全てが叶うというほど万能ではない。魂が器となり、意志がそれを司る。


 意志が不可能と断じれば、原典は決して其れを成さないもの。


 詰まり、空を飛べぬと思っているものは原典をもってしても空を飛べないし、戦えぬと断じるものは原典を有していたとしても戦えない。


 だがルーギスは、死を知らぬ竜をその原典を持って殺して見せた。


 ――それは彼が、神ですら殺せるとその芯から信じているという事に他ならない。


 知らず、背筋が張った。頬が歪む。きっと彼はアルティウスですら殺せるのだと、間違いなく信じている。もしアルティウスと敵対する事になれば迷いなく魔剣を振るうだろう。


 何処かおかしいのだとは思っていた。しかし、此処まで致命的とは。シャドラプトは眉間に皺を寄せながら、歯を打ち鳴らす。


 だがそうしてから、頬をつりあげた。今は、ルーギスの事はどうでもよい。重要なのは、あの神の一角が滅びかけているという事だ。


 人間のものを真似ていたシャドラプトの肌が、赤銅の鱗を取り戻し始めていた。徐々に身体が、竜のそれへと変じて行く。指は鋭利な爪に替わり、背中に生やした翼がより強大な姿を取り始める。


 完全な竜の姿を取るのは何時振りの事だろうか。飛竜のような姿を取る事はあったが、かつての頃の姿となれば数百年は取っていない。


 何せ、何時ヴリリガントが復活を遂げるか分からなかった。この身は必ず隠さねばならなかった。


 だが、今一時だけはその必要もない。シャドラプトの心臓が、計り知れない興奮に動悸を打っていた。


 このまま放っておいても、ヴリリガントは何処かで滅びを迎える事は確か。本来であれば、それを選択すべきなのだろうとシャドラプトは思う。


 ――だが、今なら間違いなく一息に壊してしまえる。もはや、ヴリリガントは死を知らぬ化物ではなくなった。神から竜へと零落した。


 シャドラプト――赤銅の女王竜は偉大な竜の姿を取って大きく口を開いた。


「ルーギスは貴に死を与えた。ならば己は、滅びを与えようじゃないか」


 極大の火球が、その口から立て続けに放たれる。見覚えのある魔人がいる所は避けたものの、もはや其処に抑制など無かった。


 ただただ、千年を超える抑圧から放たれた喜びを、その胸に弾けさせていた。


「――ああ、ヴリリガント! 此れで貴の愛した竜族は滅びた! もう二度と立ち上がる事はない!」

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 漫画版終わっちゃったのは打ち切りじゃなくって、これ以上続けるとヒロインズのヤンデレ具合が規制はいるレベルになるからでは? こっからどんどんエスカレートしてくから。 [一言] シャド…
[一言] 獲った……!土俵入りを強制する原典とは、また彼らしいですね。 ところでシャドちゃん、女王竜?一時は王をやってて王位を持ってかれたのかな。 それはそうと、ヴリリガントさん、何だかんだ龍族好きだ…
[一言] 原典は、意志の力に左右される...。つまり思い込みの強さがそのまま原典の強さになるということかな。思い込みの強い人、自分の力を過信する人が強い...?。ちょっと想像が難しいですね。
2020/07/14 07:10 退会済み
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