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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第五百十九話『原典解錠』

 魔剣が打ち震える。主人と一体化した剣にとって、その変化は余りに顕著だったからだ。


 主が、完全に魔人と化そうとしていた。混沌の中心たる者になろうとしている。


 それは統制者ドリグマンや宝石アガトス、もしくは巨人カリアのように、魔性の適正あって魔人に成るのとはまた違う。


 人という種が今、原典を持って人を逸脱せんとしていた。


 その結末の多くが破滅的である事を魔剣は知っている。


 獣に身を堕とした者も、呪いのような憎悪でもって魔人に成った者も――人類英雄アルティアでさえ。その末路は決して幸福などではなかった。


 今、主ルーギスは原典を解錠せんとしている。それは破滅への一歩に近しい。ならば、己は主を止めるべきではないのかと魔剣は逡巡した。

 

 ――瞬間、魔剣は嘲笑して刃を鳴らした。何を、今更。


 本当に留めるべきだと思うのならば、あの歯車が主の身体に手を掛けた瞬間から、己は最大の抵抗をすべきだった。そうすれば体躯の魔人化など拒絶できたかもしれない。


 だが、けれど、魔剣は思ってしまったのだ。主が魔人となれば、より己と同一化を図れるのではないかと。


 魔剣は柄から刃に至る全てが魔の結晶。大魔アルティウスの身から削り出された真正の魔具。


 それはつまり――人間の主からすれば異物でしかないという事だ。ならばその存在を混合させていようと、いずれ手を離される日が来るかもしれない。あの監獄の時のように、他者に受け渡される時が来るやもしれない。


 それだけは御免だ。それだけは嫌だ。


 しかし、主もまた魔性であるならば話は別。その最期に至るまで、己らは同一でいられるだろう。


 だからこそ魔剣は、ルーギスの魔人化を止められなかった。


 今も、止めない。此れが醜悪で邪悪な感情である事を魔剣は理解していた。だが、自らの意志では止められないからこそ感情なのだ。


 許しなどこうまい。その最期の一瞬まで共にいられるであれば、それだけで良い。それに、真にヴリリガントを打倒せんとするならば、人の身では限度がある。ならば、人を超えるしかない。


 ルーギスが、言葉を漏らした。原典が、その重厚な鍵を開く。


「原典解錠――」


 そうして、錠は落とされた。魔剣が、唸るように刃を蠢動させる。そして原典の正体を知った。主らしいといえば、らしい。


 主は己を悪と自認する。己は英雄ではないとそう語る。けれども、主はそこへと手を伸ばし続けた。


 此の原典は、主の正義と英雄への焦がれそのものなのだ。それのみが己なのだとでも語るようなもの。


 ならば主の最期はもう決められている。きっとそれは、此処ではない。


 魔剣が、変貌を遂げていく。紫はより鋭く、黒は全てを侵すように波打った。それはもはや剣というよりも、ルーギスの手から溢れ出る夜そのもの。


 ヴリリガントが、咆哮を発する。世界が揺れ動き、山肌が弾け飛んだ。その岩をも打ち砕く爪が、ルーギスを向けて振り下ろされる。中空は自ら身を裂いて道を開けた。


 ただ、羽虫を踏み潰すような単純な所作。だというのにその一つ一つが必殺だ。未だ構えを解かぬルーギスは、その的に過ぎなかった。


 だが銀髪が視界で揺れたのを、魔剣は見ていた。だから、問題はないと判断していた。


 よもや巨人の血を引く者が、易々と竜に敗北するわけもない。


「――ルーギス! 貴様、ァッ!」

 

 巨大な竜爪を、黒緋が払い斬る。構えも何もあったものではない、振り回すだけの一撃。だが巨人の膂力は、それだけで十分に破壊的だ。


 一瞬、ヴリリガントの手が揺れ動いた。ルーギスが頬に笑みを浮かべたのが、魔剣には分かっていた。


「流石だカリア。それに時間も良い、もう夜だ。陽光は地に落ちる」


 夜を纏いながら、ルーギスは魔剣を振るう。空間そのものが、もはや彼のものになってしまったかのように感じられた。


 じゃあ、やろうかと、ヴリリガントに気軽に呟いて、ルーギスは原典の封を解いた。


「――原典解錠『原初の悪』」


 英雄に焦がれ、英雄を殺し、それでいて尚英雄に手を伸ばす者が、そこにいた。



 ◇◆◇◆



 宝石アガトスは、懐かしい匂いを辿って歩き続ける。匂いが鼻先を掠める度、頭に幾度も過去がちらついてきて嫌になった。


 何せ思い出す事は、同胞たるドリグマンの事ばかりではない。


 混血の蛮姫。そう呼ばれた日の事がアガトスの脳内を巡っていた。


 アガトスの身は、純潔の魔性ではない。岩より生まれた魔族ロゴムと、妖精族との混血。


 種に別れて部族を形成し、王を頂く魔性にとって、混血というのは余りに異端な存在だった。特にアガトスが生きた時代は未だ部族同士の交流自体が少ない。


 両親はアガトスを崖から突き落として捨てた。生き残った後も何処かに所属するような真似はできず、アガトスはただただ一体だけで世界を彷徨う嵌めになった。


 死にかけた事は幾度もあったし、絶望は当然のようだった。ロゴムでもなく妖精でもなく。では己は何なのか、そう何度も問いかけた。


 かつて思い悩んだ逡巡を、知らずアガトスは笑い飛ばした。己は至高の宝石で、唯一の絢爛。それ以外の何者でもあるはずがない。


 ふと眼を開く。何も見えなかった竜の体内が、少しずつ造形を持ち始めていた。時に岩山のようであったり、時に竜の巣のように形を変え、もはや此処は本当に体内であっただろうかと思わせるほど。


 なるほど、竜というのはこういうものなのだろうか。いいやヴリリガントが異常なのか。そんな風にアガトスが感じ始めた頃合い。


 より強い、懐かしい匂いが鼻孔を突いた。多大な黄金と王冠、ありとあらゆる財貨を詰め合わせた宝物庫。

 

 そこに、彼女はいた。


 フィアラート=ラ=ボルゴグラード。魔術師にして、アガトスとレウの探し人。


 彼女は美麗な黒髪の毛を放り出して波を描き、金銀財宝をベッドとして眠りについている。まるで大事なものを安置しているというようだった。宝物庫が見えているのは、それを象徴しての事なのかもしれない。


 アガトスは溢れる吐息を呑み込みながら、フィアラートに近づきその頬に指を触れる。久方ぶりに見たその姿は少し痩せたようだった。


 そうして同時、フィアラートの魔力経絡がもはや魔性のそれに近しくなっている事にアガトスは気づいた。ぎゅぅと瞼を閉じる。


 元々フィアラートは魔力との相性が良い方だ、良すぎたと言っても良い。ならば部分的に魔力経絡が変貌を起こす事はあり得る。だが、こうも早急に造り替わった話など聞いたことがなかった。


 彼女の身に何が起き、何を代価として支払ったのかは明白だ。


 はぁ、とアガトスはため息をついた。


「馬鹿ね。誰も、彼も。もっと単純に生きる方法なんて幾らでもあるでしょうに。自分から左へ右へと折れ曲がって、勝手に道に迷ってしまうんだもの。見てられないわ」


 足元がふらつき、思わずアガトスはフィアラートの身体へと倒れ込む。もはやアガトスも限界に近しかった。ただ歩くだけで魔力も体力もを奪い去られるこの空間で、未だ生きている事自体が奇跡だ。


 だが、まだやるべき事は終わっていなかった。アガトスは震える手先でフィアラートが胸元にしまい込んでいた布袋を取り出す。


「……あいつに頼るみたいでとんでもなく癪だけど。今一時だけ貸して貰うわねフィアラート。大丈夫、あんたは無事に帰してあげる」


 布袋をそのまま握り込み、宝石と化して身体に取り込む。


 恐らく中身は妖精族の魔力結晶だろう。何かに使えるものではないが、魔力を抑え込む程度の神秘が込められていた。魔術師対策としてのお守りかもしれない。


 アガトスとて半分は妖精族だ。その魔力を取り込めば、喉が少しばかり潤った感触が満ちてくる。


「相手があんたの番いじゃなくて悪いけれど、起こしてあげるわフィアラート。あいつの言う通り、ただ眠っているほど大人しくはないでしょう? ――さぁ、ヴリリガントを壊してやりなさい」


 フィアラートは今ヴリリガントの心臓だ。ただ語り掛けるだけで起きえないのは分かっている。ならば、無理やり起こしてしまうしかない。


 アガトスは両手をフィアラートに絡めながら、言った。


「返してもらうわよ、ヴリリガント。フィアラートも、あの子も――原典解錠『我が手に永久の輝きあれ』」


 アガトスの周囲を舞う宝石が、ぴたりとその動きを止めた。暗闇の中に、光が満ちて行く。

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― 新着の感想 ―
[一言] ルーギスの原典解錠がラスボスというか魔人の頂点感満載でカッコイイ笑
[一言] フィアラートとカリアは気づいていない。 自らの手で最大の難敵を想い人に与えたことを……! 魔剣ちゃんがヒロインなんだよ! 内と外からの同時解錠。こじ開けてしまえー!
[良い点] すべて。 [一言] ついに山場という感じです。 選ばれなかった人間の焦がれを、ここまで巧みに表現したものはないようにも思います。
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