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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第五百十四話『背を守る者ら』

 がつん、と強い音が鳴る。ボルヴァート首都王宮前の近衛殿に重厚な怒声が響き渡った。


「すぐに部隊を再編せよ! 工兵は防護柵を作り、進軍路を絞れ! 一時の猶予もない!」


 マスティギオスは黒髪を突き跳ねさせながら、砕けた両腕を振り回さんという勢いで声をあげ続ける。


 彼一人の勢いに押されるように、近衛殿を本部としたボルヴァート、紋章教の連合兵団が動き続けていた。


 此処の誰しもにとって、マスティギオスの怒声は救いですらある。彼の声に従い続けている限りは、咆哮をあげ続ける化物を意識せずに済むのだから。


 副官のハインドが、感情を押し殺した声で言う。


「我が将。第一、第二部隊の再編が完了しました。残り半分の四千兵も二時間以内には」


「ハインド、一時間だ。時間がない。魔軍はすぐにこの首都に来る。彼らを戦えるようにせよ」


「かしこまりました。一時間で最低限を揃えます」


 それで良いとマスティギオスは首筋に汗を垂らしながら頷いた。


 とにもかくにも、時間がない。ヴリリガントの復活は確かに脅威。しかし同時に、一時は惚けていた魔性共も偉大な存在の復活に勢いを吹き返し始めていた。


 ただ小規模且つ散発的な攻勢があるのみであれば兵数の差で押し切れる。


 しかし、相手が軍となればそうはいかない。そう、軍だ。数千を超える魔軍が、首都近郊に集結し始めていた。


 無論、彼らは虫のようにわいたわけではない。未だ周囲の村落を襲い荒らしていた魔性共が集まり、首都攻防戦にて敗走した魔獣を吸収した即席魔軍だ。


 どうやらその中にも指揮官に近いものがいるらしい。そうでなくては魔性は兵の集結など出来ない。彼らの本能には、群れという概念はあれど軍という概念はないからだ。


 それも指揮官は随分と強かだ。この致命的な機会を推し量っていたように、即席魔軍は今の今まで姿を隠していた。知らずマスティギオスは表情を顰める。心辺りが胸の奥底にあった。


 このような時を、よくも待てたものだ。


 だが、愚痴を吐く暇はまるでなかった。やらねばならない事が幾らでもある。


「閣下、脱走兵が絶えません! 見せしめを行う許可を!」


 副官エイリーンが、息を荒げて脚を駆けさせる。ぶらりと垂れ下がった片腕を意にも解さぬようだった。苛立ちの隠せぬ声が本部に響き渡る。


 脱走兵。その言葉を聞いても、マスティギオスは焦燥を見せなかった。軍隊において脱走兵というのはつきものだ。特に今回のように、敵の脅威が目に見えれば見えるほど、その数は増す。


 声を聞いた周囲の反応はどれも似たようなものだ。誰もが、致し方ないとそう思い始めていた。士気などというものが未だ存在しているかすら怪しい。


「許可する。だがその前に全軍に布告を出せ――ドーハスーラ殿! ルーギス殿は未だ剣を振るっているのだな!」


 ドーハスーラはソファに腰かけながら、毒物ジュネルバに貫かれた脇腹を手で抑え込んでいた。気だるげにしながらも、マスティギオスの問いかけに魔眼を開いて応じる。


 頬が僅かに上向いていた。まるで今眼前に在る光景を面白がっているかのようだ。


「ええ、ええ。何の狂気か。それとも本当に大物なんですかねぇ。真っ向からあの邪竜に立ち向かってやがりますよ。我らがルーギス殿は」


 それは虚偽ではない真実だ。ドーハスーラには、魔眼を通し実際にその光景が見えている。元人間が、大魔に立ち向かうあり得ぬ姿をだ。何とも懐かしい光景だった。


 ドーハスーラの言葉に、本部周辺の人間らが俄かに活気づく。僅かな歓声すらあがった。魔を帯びた空気に殺されそうな暗い瞳の中に、小さな灯りがともっていた。


 彼らの心にあるものはただ一つ。


 アノ怪物相手に、未だ戦っている者がいる。見上げるほどの天の竜を、敵と出来る者がいる。それも人類の中に。


 かの英雄ならば、あの竜を斬り殺せるかもしれぬ。


 それだけが彼らの希望だった。それがあるからこそ彼らは未だ手足を動かせる。這ってでも動く事が出来る。


 指を鳴らして、マスティギオスは言う。節々の傷口が軋みをあげていた。


「布告の文言はこうだ――皆、顔を上げろ、竜を見よ。未だアレを前に戦っている者がいる。彼は誰か。彼はガーライスト人だ、魔術師でも、ボルヴァート人ですらない。その彼が今、命を懸けて戦っている!」


 マスティギオスの一言一言に、燃え上がりそうな熱が込められていた。負傷し、戦いに行けぬ不甲斐ない己を呪う様に、そしてまた、狂気を込めて兵らの心に語り掛けるように。


「我らは一度、国と尊厳とを奪われた。今此処で逃げ出せば、永遠に我らは祖国を失う――我らが英雄は未だその刃を振るっている。その背中に槍を刺す気か! 戦え。そうして初めて、我らは魔性の家畜から人間に戻りうる。戦うのだ!」


 それは素晴らしく将としての資質に溢れた声色だった。他者を駆り立て、走らせる言葉。マスティギオスという人間の苛烈な本性が垣間見えた。


 伝令や小隊指揮官が、軍団へと言葉を告げる為駆け出していく。その瞳にはマスティギオスから受け渡された一種の狂気が宿っていた。


「よろしいのですか我が将。我々と兵の命、全てをルーギス殿に預けるわけですが」


「よろしくはない。本来なら兵を引き連れ我らもヴリリガントに相対すべきだ。それが出来んが故に、首都より魔軍を排除する消極的な支援しか出来ん」


 それがハインドの問いかけに噛み合った答えでないことは、マスティギオス自身がよく分かっている。恐らくハインドは、逃げなくて良いのかとそう告げたのだ。副官として、言うべき事を言ったというべきか。


 確かに幾らマスティギオスが魔軍を迎撃しようとも、ルーギスが竜の餌となってしまえばそれで全てが終わる。


 逆にヴリリガントの討滅を果たしたのであれば、後からでも首都の奪還は出来うるかもしれない。ならば一度兵と市民を連れ首都を脱出するというのも手ではある。


 ――だがそれをしてしまえば、もう二度とルーギスを盟友とは呼べぬだろう。


 それに、ヴリリガントとの戦役は必ず死力を尽くしたものとなるはず。例えヴリリガントを討ち果たしたとしても、その後魔軍に捕らえられる事があるやもしれぬ。


 そんな真似を許せるはずがない。


 英雄は命を懸けている。ならば、我らも死力を尽くして首都を守らねばならない。後顧の憂いなく、英雄がその剣を振るえるように。


 マスティギオスは再び口を開いて檄を飛ばした。


「エイリーン! 感染魔術の使用を許可する。即席魔軍共に、魔術師の戦い方を教えてやれ!」



 ◇◆◇◆



 ベフィムス山。其処には断固たる破壊の形跡のみが残されていた。抉り取られたような山肌に、砕け散った岩々。


 まるで神話の巨人が、その槌を振り下ろしたかの如き有様。


 銀髪の毛を垂らし、息をあげながらカリアは黒緋をくるりと振るった。


「――加減はせんと、言っただろう。貴様の運命とやらも、全てを歪めるような真似はできなかったようだ」


 それを受けて、一つのみになってしまった琥珀色の瞳が瞬いた。身体を丸々半分食い破られ、もはや上半身と顔の一部を残すのみとなったラブールが、声にならぬ声をあげた。


「……フリム、スラトの……原典で、すか。即時……」


 歯車ラブールは、もはや呼吸もままならぬ身体で、何事かを呟こうとしていた。カリアは痺れを覚える両手足を抑えつけながら、その声を聞いた。


「カリア……バード……。もはや……全ては、遅いのです。彼は……視てしまったの、ですから」


 カリアの銀眼が、僅かに見開かれた。

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― 新着の感想 ―
[良い点]  熱い!熱すぎる!!
[一言] ら、ラブール……! 遂に、遂に起きてしまった正妻戦争における初の死者!(違
[良い点] なんかもうずっと熱い展開ですごい
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