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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第五百十三話『素晴らしい日』

 子供の頃、誰もが耳にする寝物語。親から、兄弟から、周囲の大人から、何処かで必ずその物語を知る。


 大昔、悪を冠する竜がいた。


 竜は千を超える魔性の部族を引き連れ、大陸に覇を唱えた。彼の息吹は大地を灼熱に変え、空気を毒へと変貌させる。運命すらが彼の手中にあった。


 彼は悪逆非道の限りを尽くす。いずれ唯一神アルティウスに心臓を砕かれ息絶える、大悪邪竜ヴリリガントの物語。


 子供たちは皆その物語を聞いて、時には心躍らせ、しかして時には怯えて親にこう問うのだ。


 では今、その邪竜が復活したらどうなるのか。


 ――その問いの答えが、今此処に顕現しようとしていた。


 ボルヴァート朝首都。兵も、市民も、生き残り逃げ延びた魔獣さえも、それを見ていた。


 竜が、大いなる顎を開いてベフィムス山より体躯を伸ばす。遥か遠くにありながら、明確に視認できる巨体。そして、耳に響く竜の咆哮。


 認識できる全てが異様だった。どれもこれもこの世のものとは思えない。 皆、ただ視界に移る光景に圧倒されていた。魔獣達すらも、王の帰還を歓喜するではなく動揺すらもって迎えている。


 大魔ヴリリガントの姿は、それほどに鮮烈で吐き気をもよおすほど衝撃的だ。


 誰もが、子供の頃にきいた物語を思い返していた。天貫く竜の神話を。



 ◇◆◇◆



 竜のブレス。焼き尽くすでも破壊するのでもなく、ただ敵からその存在すら奪い取って消滅させる吐息。


 真正面から受け止めようと思うならば、そのまま消滅する事を覚悟しなければならない。それだけの脅威。


 だというのにそれを眼前にしておきながら、どうして己は生き延びているのだろう。宝石アガトスは荒い吐息を漏らしながら、宙を漂っていた。周囲を舞う宝石が、必死に煌めいてヴリリガントの死角を這う。


 命を拾っていたのは、傍らの魔人も同じだった。


「いや、なるほど。酷ぇもんだ。あれが竜か、あれがヴリリガントか」


 ふいとアガトスが視線を向けてみれば、ルーギスは歯をむき出しに頬をつりあげてそう言った。それが無理やり造り上げた表情なのか、自然に齎されたものかアガトスには分からない。


 しかし雄々しい魔剣からは煙を吐き出し、笑みを浮かべる姿は余りに魔的だ。どうして笑える。アレを相手に。あの怪物を相手に。


 そういえばブレスを視界に入れた瞬間、彼の声が聞こえていた気がした。


 アガトスは呟くように口を開いた。


「そ。あんたが何かしたってわけね……ま、助かったわ。それでなぁにその笑みは。もしかして上手く逃げ去る妙案でも思い浮かんだって事? それとも目覚めたヴリリガントを敵に回そうだなんて気じゃないわよね。まぁそこまで愚かだっていうんなら逆に気楽で良いでしょうけど」


 あからさまなアガトスの皮肉と、諦念の言葉。声こそ余裕を含めたものだったが、彼女は唇の端を噛みながら悔し気に眦を上げた。


 彼女が目的としていたフィアラートの救出は、ヴリリガントが未覚醒である事が条件だった。そうでなくては、怪物の心臓を抉りだす何てことが出来るはずがない。


 事此処に至っては如何な宝石と言えど、出来る事は撤退のみだ。もはや、歯車ラブールの事など気に留める事すら出来ない。


 後悔が、屈辱がないと言えば嘘だ。完全無欠の宝石たる己が、目的も達さずにおめおめと敗走を強いられるなどと。だが、相手が悪すぎる。


 アガトスの忸怩たる思いを込めた言葉に向けて、ルーギスは軽く応じた。


「いやいや、すげぇ。寝物語に聞いた邪竜そのままだ。胸が躍るね――それで、どうやって殺す? アガトス」


 感嘆するように。それでいて、噛みしめるようにルーギスは言葉を語った。それこそまるで、宝の山を目にした子供のようだった


 一瞬の呆れ、そうして次に来るのは浅慮への憤怒。アガトスは胸中に渦巻く激しい感情をそのまま吐き出すように唇を尖らせた。


 お前は何も分かっていない。


 あの邪竜がどれほどに強靭で、どれほどに敵がおらず、どれほどに君臨した事か。大魔にとってみれば、魔人とて決して脅威ではない。ただ他より力が強いという程度にしか感じていないだろう。


「言ったでしょう。あんたが斬り散らかしてるだけで死ぬ相手なら、私が幾億回だって殺してるって。大体私がいなきゃ地べたを這いつくばるしか無いっていうのに、どう戦う気なのよ。あいつの首にだって刃が届かないでしょう!」


「お前が浮かせてくれりゃあいいだろう? それになアガトス、この世界に殺せない奴なんて絶対にいない。どんな奴だって必ず殺せる」


 何の確信だ、其れは。相手から比べればこちらは少々大きな虫と変わらないというのに。


 無論、ヴリリガントとて一度はアルティアが殺害せしめてはいるのだから、殺せないとは言えない。だが、それをもって己らも出来るとは到底言えないだろう。


 ヴリリガントが怪物であるように、アルティアはそれ以上の化物だったというだけだ。決して、力弱き者が力強き者に打ち克ったわけではない。


 世の摂理からして、弱者が強者に勝つなど不可能だ。


 だがルーギスはそれを聞いて尚言う。


「摂理に準じれば不可能というなら、反摂理的であるなら不可能じゃあないって事だろう――第一だ。アガトス、お前此処から逃げて何処に行く気だ」


 その言葉に、アガトスは思わず心臓を打たれた気分になった。頬を冷たい汗が伝っていく。


 確かにヴリリガントから逃げ延びたならば、次はそれに類する強者に下らねばならない。つまり正気を失ったままの精霊神か、もしくはエルフの森にのみ住まう大精霊。だが、どちらにせよ全盛期からは遥か遠い。


 今こうして心臓を飲み干してしまったヴリリガントに敵うものだろうか。ひょっとすればただ最期の時まで、逃げ続けるだけの結果に終わるかもしれない。


「アガトス、俺はよく知っている。都合の良い明日なんて永遠に来ない。あるのは今日だ、今日だけなんだ。良いか、此処であの竜は殺す。今日は素晴らしい日になる」


 迫力と言うべきか、それとも勢いというべきか。思わずアガトスは、息を呑み宝石の如き眼を見開いた。


 どうやらルーギスは、その記憶の片隅を掴み始めているらしい。今の彼はかつての彼に近しい。歯車に何かがあったのやもしれなかった。


 アガトスは思った。此れこそが、フィアラートが此の男に入れ込む理由なのだろう。呪いとも思える強固な自我と意志。他者の心を傾けるだけの熱と言葉。


 一瞬、胸の辺りがつっかえるような気分がアガトスにはあった。本当に、殺しうるのだろうか。この男であるならば。出来てしまうのか。


 アガトスは指先を自然に口元に置いた。もしフィアラートを助けようと思ったならば、確かに機会は今しかない。時間が経てばたつほどに、彼女は心臓そのものに変貌してしまう。そうなればもう彼女は彼女でなくなる。


 ならば駆動し始めた今だけが、最後の機会。


 吐息を軽く漏らした。アガトスは宝石をより煌めかせ、その数を増やす。そして首を伸ばした。上空を見て尚上にある竜の顎。


 レウに胸中で問いかける。


『悪いけど、あんたに構ってられないわよ。それこそ、死に物狂いだから』


『私がダメだといっても、貴方はするじゃないですか。はい、フィアラート様や、ルーギス様のためです』


 まるで苦笑するように、レウは応えた。その態度がアガトスは気に食わなかったが、反論はしなかった。


 此れは、この大陸の中で気に入った、美しい存在達の為だ。美醜こそがアガトスにとっての全て。彼らは美しく、あの竜は醜い。


 何だ。簡単な事だった。答えは初めから全て決まっていたのだ。唇を尖らせたまま、アガトスは言う。


「私はあんたが死んでも気に留めずあいつを殺すわ。だから、あんたもそうしなさい」


「分かった。俺を見捨てて奴を殺せる時は、是非そうしろ」


 二体の魔人が、互いの戦意を重ね合わせた。強大な邪竜が、咆哮をあげていた。


 素晴らしい一日が、始まった。

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― 新着の感想 ―
[一言] なんだよこの果てしないアンテ感は
[一言] 名言やな 必ず殺せるかぁ
[一言] 今回ちょっと泣けました。
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