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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第五百十一話『例え過去があれど』

 銀髪が宙を掻き切る爪となって揺れ動く。黒緋の大剣は銀の意志に沿うまま線を描いた。その軽々しく振るわれる一振り一振りには、破壊が詰められている。


 精霊は与える者であり、竜が奪う者であったならば、巨人とは破壊する者。極端な話をしてしまうならば、彼らがその真価を発する時、この世に破壊できないものなどない。


 鉄と鉄が重なり合う音がする。


 魔脚と黒緋が噛み合う度、ラブールが一歩を引かねばそのまま魔脚はへし折れているだろう。徐々にではあるが、ラブールは後退を始めていた。逃がさぬとばかり、銀の一歩が踏み出される。


 カリア=バードニックは、この時心の奥底から歯車ラブールを破壊せんと目論んでいた。ルーギスを魔人化させ、同胞たるフィアラート=ラ=ボルゴグラードを連れ去った張本人。


 何より、彼女は魔人だ。即ち人類種の敵であり、ただそれだけで殺す理由になる。


 刃を互いに弾きあい間合いが開いた瞬間、カリアは左手を柄端に置き、右手を軽く添える。刃を水平にしながら切っ先をラブールに向け、顔のすぐ傍で構えた。


 敵を一息で突き殺すための洗練された構えではあったが、巨大すぎる剣ゆえに歪さと異様さを感じさせる。


 ラブールも応じて、魔脚を高々と振り上げた。カリアの髪先からつま先に至るまでを両断してしまおうかと言わんばかりの構え。


 互いに、間合いは近い。後一歩も入れば死が待ち受けている。


 琥珀色の瞳は、事此処に至ってカリアのみを見つめていた。気配から察するに、ルーギスとアガトスはヴリリガントと対面しているのだろう。


 それはきっと正しい。時間を稼ぐ事だけならば、ラブールはとても得意だ。


 だがこうなっては、何としてもカリアをいち早く仕留めねばならない。ラブールは腕を修復しながら刃を煌めかせた。


 ――互いが互いの命に狙いを澄ましている。ただ一息の呼吸ですら、命とりになると両者が自覚していた。


 空気が緊張と圧力に押しつぶされんとする中、動いたのはカリアだった。


 銀髪をはためかせ、右脚をもって強く大地を踏む。此の場において、一滴でも時間が惜しいのはカリアとて同じ。


 水平に構えさせた黒緋が、雄牛の角の如く突き出される。研ぎ澄まされた一突きは、ラブールからはただ一点が己へと向かってくるように見えた。


 巨人の破壊権能に、磨き上げられた人類の武技。本来相容れない二つをカリアは内包している。全くもって魔性にとっては危険だ。


 だからこそ、彼女は此処で殺害しなければならないと、ラブールは理解する。


 風を貫く音と共に、黒緋の一閃が眼前に迫る。このままいけば間違いなくラブールの脳幹を貫き、彼女の肉体は絶命を迎えるだろう。それはもはや予感ではなく確信だ。大きく振り上げた魔脚では、突きの速度に間に合うわけもない。


 だがラブールは指先一つとて微動だにしなかった。この先の運命は見えている。常に運命というものは、ラブールの味方だった。


 ――原典解錠『機械仕掛けの運命』


 がちりと、重厚に歯車が鳴った。運命が――ねじ曲がり、正される。全ては瞼を閉じた一時の間に終わり、次に瞼を開いた瞬間、世界は変わった。


 ごう、と空気が叩きつけられる音がラブールには感じられた。頭蓋へ突き刺さるはずだった黒緋の切っ先が、今僅かに彼女の耳を裂くだけの結末に終わっている。


 カリアのあり得ぬという驚愕が、ラブールには見て取れた。しかし、その驚愕を呑み込むまでの時間は与えられない。


「罪には罰を。ならば即時、排除しましょう」


 断頭台のギロチンの如く、間合いに入り込んだカリアに向けて、ラブールの魔脚は振り下ろされる。


 鉄が宙を薙ぐ鈍い音がした。それはカリアを真っすぐに両断するための一振り。


 刹那、カリアは反射的に右腕を頭蓋と刃との間に挟み込ませる。全ては本能に応じた咄嗟のものであったが、結果的にそれがカリアを救った。


 がちりと、骨が砕ける音がカリアに聞こえた。右腕が半分ほど千切れ、骨が拉げた。それに頭蓋骨も無事ではない。鮮烈な銀瞳を覆い隠すように血がどくりどくりと垂れ落ちて来ている。


 当然だった。右腕を挟み込みはしたものの、出来たことは精々軌道をズラしてやった事くらい。致命傷を重傷に変貌させただけ。ただの人間であればとうに死んでいる。


 互いに密着しあい、絡み合った状況。血にまみれた中で肌を隣りあわせ、カリアは呟いた。


「何が罪で何が罰かは知らんが、貴様は処刑人には不向きのようだな」


 死刑執行人という者は、必ず一振りでもって処刑を終わらせねばならない。罪人は、何時だってその首筋に狙いをつけているのだから。


 密着した状態のまま、カリアは犬歯を尖らせる。そのまま、ラブールの首筋を噛み貫いた。肉ではない固い感触がしたが、知った事ではない。口の中に広がる苦々しさに嗚咽を漏らしながらもカリアはそれを食らった。


 その死に物狂いの勝利への執念は、何もラブールへの敵愾心のみから齎されたものではない。


 ただただ、己への不甲斐なさへの憤激ゆえだ。


 思い返せば、ガーライスト王都アルシェでは、統制者ドリグマン相手に失態を演じた。此度とて、ルーギスと共にありながら彼が危難に陥るのを止める事が出来なかった。


 ――この様で果たして、己はルーギスの盾たる役目を果たせていると言えるのか。


 そんな自責の念が、夜な夜なカリアの自尊心を食いつぶす。ルーギスはもう十二分に強者だ。英雄としての道を歩み始めている。


 ならば己も、それに相応しいだけの役目をこなさねばならない。例えどれほど無様であったとしても。


 敵の首筋に犬歯を噛みつかせたまま、カリアは無事な左手を握り込む。ぶらりと垂れ下がった右腕を放り出し、腰を回転させた。そして腕をまるで武具として扱う様に、ただ一息に振り抜く。拳そのものが鉄塊となって、宙を穿った。


 拳は一瞬軌道をぶらしたが、それでもラブールの頬に叩きつけられる。


 しかしラブールもまた、無抵抗ではない。カリアと同様に腕を掲げ、拳を振り落としていた。


 一瞬の衝撃、骨格の軋む音と共に互いの身体が離れ、再び両者が武具をとる。カリアは左腕一本で黒緋を大きく振り上げ、ラブールは今度は魔脚による突きの態勢を取った。


 溢れださんばかりの戦意が、両者の呼気からも感じられた。


 さて、今の現象は何だったか。カリアは思う。決死の突きが、なぜか敵を貫く寸前に消え失せた。


 純粋に突きを外した、というのはあり得ない。それほどまでに技量が稚拙でない事には自信があった。それに、カリアには切っ先がラブールの額に突き刺さる寸前まで視えていたのだ。


 それが、ズラされた。それも瞬きの間に。事象の辻褄があっていないような気すらする。


 想定されうる所は、恐らく原典しかあるまい。ラブールが何かしらの権能を用いたのだとカリアは断ずる。


 向かってくる物体の軌道をズラす事が出来るのだろう。とは言えそれも、広範囲ではないはずだ。もしそうであるならば、己の腹に敵を引き込むような真似をせずとも、もっと容易に敵を制圧する手段はある。


 左手で強く黒緋を握りながら、カリアは両脚を開かせて強く地面を掴む。


 構え合った中で、ラブールが言った。灰色の体内を露出させながら、琥珀の瞳が炯々と光を帯びている。


「――今、一つだけ問うておきたい事があります。即時、理解を」


 時間稼ぎだろうか。かと言って、時間が惜しいのは相手も同じだ。カリアは吐息を落ち着かせながら一歩を近づく。


「例えば貴方が記憶を失っていて、その間に罪を犯してしまっていたら、どうします。愛する人を手に掛けてしまっていたら。取返しの付かない事をしてしまっていたら。即時、回答を」


 一瞬の動揺を狙って言葉を弄しているようではない。本当にカリアにそれを聞きたくて問うているという様子だった。


 正直を言えば、それが何を意味するのかカリアには分からない。だが答えは一つしかなかった。


 舌で顔に纏わりついた血を舐めとってから、唇を開く。


「……分からんな。苦しむかもしれんし、絶望するかもしれん。しかしそれでも、愛する事は止められない。それだけは分かっている」


 私は、愚かな女だからな。その最後の一言は言わなかった。


 左腕だけで、黒緋を天高く振り上げる。腕を折り曲げ、腰を捩らせた。本来はヴリリガントに抗するためのものだったが、ここで敗北していては話にならない。


「加減はせんぞ。我が始祖の名がそれを許さん――原典解錠『巨人神話(フリムスラト)』」


 ラブールの眼前で、古代の巨人が、大きな呼気をあげてその槌を振り上げていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] いずれ来たる過去との対面の予行練習と言ったところか。一周目のことを知ったら、各ヒロインがどう反応するか、気になっていた。たぶんそれこそがルーギスと結ばれるための最大の障害だろう。今回のカリ…
[気になる点] >例えどれほど無様であったとしても。 「たとえ~としても」の「たとえ」は仮定の意味を表し「例え」とは書きません。漢字で書く場合は「仮令」と書きます。「たとえ」とひらがなで書く場合の方…
[良い点] >しかしそれでも、愛する事は止められない。それだけは分かっている」 > 私は、愚かな女だからな。  読んでいる時に声が震えちゃいました。  バトルも会話も内容も相変わらず素晴らしいです!
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