第五百十話『素晴らしい復讐を』
魔人、歯車ラブールは青銅色の魔脚を一息に三度振り抜く。その武技は鮮やかの一言に尽きた。三連撃ではなく、ほぼ同時に降り注ぐ至高の刃。
一つ一つが致命の一振りとそう言えた。それも闇雲に振り舞わしているのでなく、全てが的確に急所を狙い打っている。
ラブールは中空にあって尚、華麗な舞踏を踊るようにして其れを成した。彼女はまさしく舞台にあがった役者だ。脚本に定められたまま、決められた道筋に沿って舞技を演じる。
それだけで良かった、それだけで世界は彼女の脚の下に収まり続ける。
それこそ、相手が脚本の外側に置かれた者でない限りは。
対面した魔人が、小さく歯を鳴らす。肩に置いた魔剣が、瞬きも待たず強引に振り下ろされた。
――瞬間、鮮烈な魔が走った。音はもはや追随を許されず、ただ光だけが見えている。
次に起こったものは異様の一言。三筋の閃光が、ただ一振りの暴撃に振り落とされる光景だった。余りに無茶だ。人間業はとうの昔に踏み越え、魔技としても呑み込みがたい。
だがラブールは造形された顔つきを歪めもせずに、ただ事実だけを受け止めた。
どうやら、魔人ルーギスには手数が意味を成さないらしい。彼は三撃を、ただ距離を同時に殺す事で纏めて跳ね飛ばしてしまった。
理屈で言えば分からないでもない。複数の攻撃に対し、それぞれの距離を失わせて己の刃の下に同時収束をさせるのであればそれは可能だ。
だが、とはいえ信じ難いのも確か。可能である事と実行する事には大きな隔絶がある。それだけの魔技を成すだけの精密動作を、つい先日まで人間にすぎなかった彼が成せるとは思えなかった。
ふいとラブールの視線が、彼に絡みつく魔剣に向いた。人類英雄アルティアの鼓動を有する其れが、ルーギスの意志を支えているとでもいうのだろうか。
ラブールとルーギス、両者の魔技が衝突を重ね、否が応にもその間合いを広げさせる。大地に足をついたのは同時だった。
「やめようぜラブール。ヴリリガントはお前にとっても、本来の主じゃあないだろう。義理を尽くす必要が何処にある」
ルーギスの軽々しい飄々とした言葉に、ラブールの睫毛が僅かに上がった。そこに感情はなかったが、ルーギスの言葉をどう処理し受け止めるべきかという一瞬の逡巡があった。
「即時、否定します。私が従うのは常に正しい運命のみ。私は此れが定めと理解しているのです、ルーギス」
ラブールの放った言葉には乱れも歪みもなかった。彼女は虚偽を発さない。
だから、ルーギスの運命を正したことも、フィアラート=ラ=ボルゴグラードを心臓と化した事も、そうしてヴリリガントが再び大地に顕現する事も、全ては定めに沿った事だと彼女は信じている。
ならばそれを覆す事などあり得ない。
「貴方こそ、即時振る舞いを正しなさい。貴方は未だ、呪いに振り回され続けているだけなのですから」
「そりゃあ恐ろしいな。呪いなんてものにかかった覚えはまるでねぇが」
端正な唇が、人形のように動き続ける。魔脚を構えさせたまま、ラブールはただ口だけを動かしていた。ルーギスは、じぃとその様子に眼を配る。
「正しき運命の下にあれば、貴方は一個の悪で済んだ。それが、呪いにかかったが為に苦しみを覚えている――ルーギス。正義は貴方を侮蔑し、善意は貴方に唾を吐いた。誰が、貴方を報いてくれましたか。誰が、貴方を尊んでくれたのです。即時、彼らを断ずるべきとは思わないのですか」
ラブールの凝り固まった瞳に、今は一つの火照りがあるように感じられた。それが何であるのかは彼女にすら分からない。いいや今語っている事すら、ラブールは己の裡にあった事を知らなかった。ルーギスに語ることなぞもうないはずだ。彼の運命は、もう己の手で正された。
けれどそれはあふれ出すように、ラブールの口から言葉となって零れ出る。
「かつて貴方は何も持たなかった。神の寵愛も無ければ、運命の宣託も得ていない。その上、貴方がどれ程に身を削ろうと、世界は何も与えなかった」
けれど、と、そう言葉を継いでラブールは続けた。これほどまでに長く言葉を発するのは何時振りだったろうか。
「けれど。貴方が何かを得た途端、世界は貴方を賞賛し、そして全てを背負わせる。かつて貴方に鞭打った事など誰も知らない。即時理解を、ルーギス――世界は醜悪に満ちている。貴方には、心からの復讐を成す権利がある!」
この時、初めてラブールは己の中に美醜という価値観が生まれたことを知った。ルーギスの運命と生涯を垣間見た時、それはもう彼女の中に流れ込んでしまっていたのかもしれない。
無論ラブールとて、今の彼からかつての頃の記憶が失われてしまっているのは知っている。それでも尚、魂から削り取られたわけではない。
だからこそラブールは言葉を尽くした。まるでそれは、言葉を覚えた幼子が、必死に自らの想いを語ろうとしているようですらあった。
「――ならば即時、復讐をしましょう、ルーギス。全てを壊す権利は貴方の手中にある。燃え尽きないだけの憎悪を、主ヴリリガントは望んでいるのです」
ラブールが手を差し出して言う。その瞳はいつも通りに真摯な眼差しを有していた。一切の虚偽はなく、ただ真実のみを語っている。
復讐ね。そう呟き、ルーギスは魔剣をもって自らの肩を軽くたたいて目を細めた。一瞬遠くを見やりながら口を開く。
「お前の言ってる事がまるで分からないわけじゃねぇ。俺にも覚えがあるよ。きっとお前の言った通りの事が俺にはあって、一度は同じ事だって考えたはずだ」
復讐は何時だって、掛け値なしに素晴らしい。そう語るルーギスの頬は、何かを噛み締めるようだった。
それを見てラブールは、一歩を踏み出す。だが彼女を押しとどめるように、ルーギスは手の平を開いた。
「――それを差し置いても、成りたいものがあっただけさ。ラブール。お前の言う通り、俺はただの悪党だ。だが案外、悪党にも憧れるものはある。その為に生きる事が、救いになる事もな」
此れが呪いだというのなら、俺は死ぬまで呪われたままだ。それだけを言って、ルーギスは再び肩に置いた魔剣を引いた。戦いの意志を示したとそう言って良い。
ラブールは知らず、唇を噛んでいる事に気づいた。魔脚を地面に突き立てながら、問う。
「それが、不可能な事であったとしてもですか。即時、回答を」
「意志ある限り、不可能なんて言葉はない。少なくとも、俺にとっては」
問答を終え、互いが再び臨戦態勢に移る。
その、瞬間だった。ラブールの眼前を白の極光が貫く。しかも一本などではなく、まるで雨のように降り注いでいった。
――魔人アガトスの宝石極光。
ラブールは反射的に魔脚を持って半円を描いた。それでもってしても、極光は削り切れない。その場から払いのけられるように跳ぶ。
だが、跳んだ後になってそれが誤りであった事に気づいた。ぞわりと、ラブールの背筋を悪寒が貫く。
中空を跳んだラブールに向けて、黒緋の一線が駆け抜ける。其れが何であるかを問いかける事はもはや意味がない。巨剣に吹き飛ばされるよう、ラブールはきりもみした後に地面にたたきつけられた。
片腕が、失われたかのような痛みを訴えている。どうやら今の一瞬のやり取りで、その機能を喪失しているようだった。
「ふむ、此れでは死なんか。魔人とはやはり丈夫なものだな」
空間そのものを貫くような鋭い声。巨人を彷彿とさせる魔力の波長。ラブールは受けた傷を修復しながら、其れを見る。
黒緋色の大剣を軽々しく振りかざし、魔そのものの顕現のようにして、彼女はいた。
「――魔人ラブール。貴様は、私のモノに随分と好き勝手をしてくれた。罪は罰によって解消されるべきだとは思わんか」
その言葉は回答を求めていない。何処までも自己完結。ラブールの首を刎ねる事しか彼女は考えていなかった。
ラブールは、魔脚を振り上げて言う。
「――私は罪を犯した覚えは欠片もありません。即時、理解を。貴方こそ、己が行いを振り返られてみては」
カリアは銀髪をはためかせ頬をつりあげた。もはや言葉はないと、無言がそう告げていた。