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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第五百二話『魔術師の本懐は此処に』

 マスティギオスの太い指先がジュネルバの首を掴む。巨躯の彼であっても尚握り込めぬほどに毒鳥の図体は大きい。


 魔性と人間との最も顕著な差異をあげるのであれば、それは体躯。根本的な生物としての格差だ。人間の冒険者や軍人が如何に鍛えようと、魔性の身体能力には敵わない。


 その差異を埋めたものは何か。武具も一つの答えだが、完璧ではない。其れは人間が魔性に抗う為に生み出したが、勝利はしなかった。


 人類が勝利し得たのは、ただ一つ。


 ――弱き者に尊厳を。飢えた民に幸福を。


 人類英雄アルティアが謳った魔術こそ、人類の覇権の根源だ。ならば、魔術とは魔を殺すためにある。


 己が魔術師として生まれてきたのは、今此処で魔を殺すためだったのだとマスティギオスはそう信じた。


 マスティギオスは指をジュネルバの首へと食い込ませ、そうして口を開いた。一瞬でも魔力が途切れれば、毒がマスティギオスに浸食する。


 だが、未だ魔力は無尽。何せ魔術師数百人の魔力が此処にはあった。


 魔人に心折られ、生きたまま戦えぬようになった彼彼女ら。その魔力は今、勇者となってマスティギオスと共にある。


 己の魔力を他者に託すというのは、血を限界まで吐き出すのに近しい。その全てを受けて、その全てを注ぎ込み。


「――我らが積み上げた神髄をお見せしよう。魔人ジュネルバ」


 その全ての果てが、この男の手中にあった。


 雷轟の嵐から比すれば驚くほど緩やかな間。奇妙な静寂と空白が両者の間に流れた。


 ジュネルバが再び迎撃にその両翼を広げ、マスティギオスが呼気を吐くまでの、気が遠くなるほどの永い一瞬。


 音は失せ、不思議と人も魔も呼吸を忘れた。零れた声は一つだけ。


「――『変造』」


 魔力の奔流と、何かが弾ける音。


 瞬間、次には夥しい血が空間を汚した。


 体内の血という血が逆流でもしたかのように零れ落ち、飛び散っていく。


 白が赤に変貌し、久方ぶりの陽光に晒される。美麗な血が、土に零れればすぐさま黒となり失せていった。


 血が吐き出され続ける光景。それは余りに異様だった。血の色だけが、此れを現実だと知らしめていた。


 ジュネルバは、口から赤を吐き出しているマスティギオスを見ながら思う。やはり彼は限界だったのだと。


 あれだけの魔力は明らかに人間単体のものではなく幾人もの魔力をつぎ込んだもの。複数人の魔力を受容できるだけで規格外だが、それを身体から放出すればその分身体は衝撃と傷を受けるに決まっている。


 例え大量の水があったとしても、それを吐き出すための管は一定なのだから。


 それでも尚、このマスティギオスという人間は成したのだとジュネルバは瞼を開いた。奇妙なまでに陽光が眩しい。


 胸中にあるのは、久方ぶりの敬意だった。心からジュネルバは彼を尊敬した。そうして思う。


「くはは、なるほど。ようやるわなぁ」


 ――本当に、人間は強くなった。血で真っ赤に埋まった視界でジュネルバはそう感じた。


 再び、ジュネルバの全身から赤が吐き出される。眼から、口から、ありとあらゆる血管が、彼の意志に反しているようですらあった。


 その場でふらつきを見せるジュネルバを、マスティギオスは血を拭いながら見た。赤に塗れた毒鳥の身体が、彼に何が起きたか知らせてくれている。


 頬に疲れ切った笑みを浮かべながら、マスティギオスは再び雷光を腕に纏った。


 マスティギオスが行ったことは、ただ一つ。ラ=ボルゴグラードの神髄。


 体躯の変造。


 他者の身を造り替えるという禁忌の一。魔術師ならば知っていても触れようとはしない領域だ。何せ、相手の体躯だけではなく、己の体躯も巻き込まれて崩壊しかねない。


 だが、魔人がそう易々と傷ついてくれぬ事は先の戦役ですでに知っていた。剣の鉄も、魔術の炎も彼らには意味を成さない。


 ならば同じ轍を踏む事だけは御免だった。だから、マスティギオスは彼を傷つけようとするのをやめた。ただ、己の思うように造り替えれればそれで良い。例え己が死したとしても。


 結果、マスティギオスは血塗の魔術でジュネルバの臓器の一部を、鉄とも炭とも分からぬものに変造した。


 言ってしまえばそれだけだが、生物である以上臓器は常に生命の糧でなければならない。


 大魔ヴリリガントとて心臓を失ったがゆえに眠りについた。ならば魔人とて、その臓器を失って容易に立てるわけがない。


 ジュネルバの足元に砂が舞い散る。

 

「あぁー……ほんっとう強くなったわな。人間がなァ。吾には信じられん。だが信じるしかない」


 マスティギオスが雷光を放たんと腕を振り上げた瞬間、ジュネルバはその場に膝をついて座り込んだ。苦しそうに倒れ込むでも、気を逸するでもなく。


 間違いなくある種の致命を受けていたというのに、それが当然というように、ジュネルバは未だ生きている。


「――認めよう人間。お前は強いわな。正直に言うが、吾は今必死だ。必死にお前を殺す」


 ぽつりとジュネルバが言い、応ずるように声が響いた。


「――伏せやがってください」


 瞬間、マスティギオスの視界に映ったのは夥しい毒の破裂と砂の嵐。浸食する毒を砂が喰い、次には毒が獰猛に砂を叩き伏せる。御伽噺で語られる、地の獄のような光景だった。


 砂嵐に弾き飛ばされてマスティギオスが数歩を退くと、ジュネルバの猛々しい声が背筋を這う。


「こりゃあ……おぉ……おお、見覚えのある奴もいるもんだわなぁ。まだ人間の犬やってやがんのか魔眼野郎! 吾の邪魔だけは相変わらず得意だわなァッ!」


 ジュネルバの視界の先。毒と砂が少しずつ晴れはじめ、彼の姿が露わになる。恐らく隙を伺っていたのだろう魔眼獣ドーハスーラは、殆ど朽ちかけた屋根の上から毒鳥を見下していた。


 未だ子供のような姿をしているが、その異様な眼と頭蓋につけた双角は、彼が魔性の類である事を示している。

 

「俺は人類の犬、あんたはヴリリガントの犬。どうせならマシな方につきたいもんです。生きるってのはそういうもんでしょう――ねぇ、将軍」


 視線をジュネルバから逸らさぬまま、ドーハスーラはマスティギオスに向けて言った。声にはある種の敬意が含まれている。


 ドーハスーラ自身、よもや人類が魔人に膝をつかせる真似を――いいや殺す寸前まで至るとは思っていなかった。


 恐らくは魔術の祖たるアルティアも、人間を此処まで育てる気はなかったに違いない。だからこそ、ドーハスーラは一瞬だけマスティギオスを見た。


 もしもアルティアの『支配』がこの世界全域に及んだならば。きっと彼はただ生きる事を許されない。何かしらの役割を背負わされるか、死ぬかだ。


 いずれそうなる。だから今の、ただ人類として在るマスティギオスをドーハスーラは見ておきたかった。


「止めてくれるな、君。後一歩でアレを殺せる。皮一枚だ」


 マスティギオスの声は勇敢さの表れのようだった。口元に血を見せ、その体躯は膨大な魔力の奔流に軋みをあげている。


 それでも尚、彼は魔を殺す機械足らんとしていた。素晴らしく人間的だ。


「……ええ、殺しましょう。ただ、慎重にやりやがってください」


 だがそれゆえに、不味かった。毒物ジュネルバは人間には劇薬過ぎる。あれは死にかけに見えて、そこから尚周囲を食い散らして見せる。必ず奥の手を隠し持っているはずだった。


 別段、今のドーハスーラに人類に与する理由は薄いのだが。それでも魔人共に好き勝手やられるのはかつての頃を思い出すようで好きではない。それにヴリリガントに目覚めてもらうわけにもいかなかった。


 だから、ジュネルバの思惑は全て殺さねばならない。この場で、完膚なきまでに。


 ルーギスが動かないのならば、自らが出て場を動かさねばならない。彼が動かざるを得ないほどにかき乱してやれば、その重い腰も上がるだろう。


 ふいと、ドーハスーラは周囲を見渡す。本来であればドーハスーラが起こした砂嵐に乗じて、シャドラプトも権能を用いるはずだった。だが機を外したのか、まるでその姿が見えない。


 いいや、それどころか魔眼で見渡せどシャドラプトの魔力の気配すら感じない。すぅと眼を細めながら、ドーハスーラは後方を見る。


 シャドラプトは、まるでルーギスの背中に隠れるようにその赤い髪の毛を弾ませていた。


 ――アレを信用するのはやめよう。


 ドーハスーラは眉間に皺を寄せながら、シャドラプトから視線を背けた。

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― 新着の感想 ―
[一言] ああなるほど コレはジュネルバに恨まれますわ しかも恨まれた理由理解してないし
[良い点] 将軍めちゃくちゃかっけぇ!! 魔に敬意すら抱かせる人間の極致の一つ!
[良い点] オチ要員のシャドラプトw
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