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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第五百一話『毒と魔術』

 毒物魔人ジュネルバと、魔導将軍マスティギオスの一騎打ち。大きな目で見るならば、此処に至れただけでも人類にとっては奇跡に近しかった。


 如何な勇者英雄と言えど、万全の状態でもって魔人に辿り着く事は難しい。本来魔人には幾万を超える魔獣魔族、分霊らが控えており、其れすらも只人は突破できぬ。


 ゆえに勇者は全てを殺す。魔獣と、魔族と、眷属も。勇者だけが其れを成せた。


 事実、千の血河と、万の屍を乗り越えた後、消耗した身体と体力でもって魔人と相対せねばならなかった者は幾らでもいる。


 銀縁群青。番人ヴァレリィ=ブライトネスとてそうだった。かつて彼女は魔屍の山を築き、大魔すらも跳ね返した。その有様は紛れもない英傑と呼んで差し支えない。


 だが悲しいかな。彼女はどこまでも人間だった。人間には体力という概念があり、それゆえに彼女も最期は魔人に抗せなくなった。


 だから、英傑が魔人に無傷で相対した事。これそのものが奇跡に等しい。どれほどの者が望み、成せなかった光景だろうか。


 ――だが今日、人類はもう一度奇跡を起こさねばならない。人類が魔人を凌駕するという奇跡を。


 一瞬の時が止まったような緊迫。次の瞬間に生死が決まっていてもおかしくない、そんな狭間。


 対峙した状態から、先手を打ったのは当然マスティギオスだった。魔性、特に上位の魔に対して様子見などという言葉は使われない。その間に死ぬからだ。


 如何に敵に権能を使わせぬかが肝要で、一閃で首を刎ね落とすのが最上。


 それが出来ぬのなら、せめて主導権を握り続けなければならない。マスティギオスの両腕が唸りを上げながら稲光を煌めかせ、雷火を弾く。


「――踏み潰せ」


 マスティギオスの腕が振り下ろされる。一息の事だった。神の怒りを零落させた魔術機構が、一閃の雷光となってジュネルバへと注ぎ込まれる。


 いいや、一閃のみではなかった。二、三、四。もはや幾重もの数え切れぬ光の柱となって、其れはジュネルバを抉りぬかんと突き刺さる。さながら数多の牙の様相すら呈している。


 相手が反応出来ぬ間に食い殺す。そのためには速度が全てだった。四方、八方。全てから魔の極光がジュネルバの急所を狙い打っている。


「なるほど」


 ジュネルバは極光に包まれながら、一言を呟いて嘴を歪めた。この光一つで、魔獣の群れがそのまま吹き飛ぶ。それをこれほどまでに乱造出来るのはもはや人間を超えていた。


 ジュネルバは確信した。遅かれ早かれ、彼はその枠をはみ出ていたに違いない。


 極光をこのまま真面に受ければ、流石のジュネルバも無傷とはいかない。焼き爛れる事くらいは覚悟せねばならないだろう。かといって避ける事も困難だ。


 ――ならば、溶け落としてしまえば良い。ジュネルバを覆う周囲の空間、その輪郭が歪み溶けていく。


 風景がぐにゃりと曲がり溶ける様子は、ふと見れば世界が狂ってしまったのではないかとすら思う光景。だが残念な事にこれは現実だった。


 ジュネルバの持つ毒の病魔が、マスティギオスの極光を浸食する。毒にとって、生物も植物も魔力も等しく己の食い物だ。


 だがそれでも、ただそれだけであったならマスティギオスの敵ではない。


 残酷なのはその反応速度と、対応の的確さだった。例え如何なる大魔術や原典とて、扱い切れねば玩具と変わらない。


 だがジュネルバは、ただ権能を有し、業火や力を噴き出すだけの新品魔人とはまるで違う。彼はその毒の一滴一滴、先端に至るまで、まるで手足のように扱う事が出来た。


 大規模な魔を操舵する者の多くが精緻な運動を苦手とする中で、彼は圧倒的に例外だった。言葉通り、魔を嗜んできた年月が違う。


 そして千年を超える時を生きるジュネルバにとっては、たかだか百年も生きていないマスティギオスなど赤子に等しい。


「……堪らんな。本来であるなら、早々に撤退を選びたい所だ」


 極光の嵐を受けて、ジュネルバは未だ無傷だった。不意を突かれでもせぬ限り、毒物魔人の防御性能は抜きんでている。暴虐と言って良いマスティギオスの大魔術が、その毒を持って全て食い尽くされていた。


 正面、側面、背後、上空、地中。


 全ての方向からの苛烈な蹂躙が意味を成さない。魔術がこの魔人に触れるよりも、毒の魔力が魔術を浸食する方が遥かに速いのだ。

 

「それも良いが。お前だけなら生かしてやっても構わんわな」


 ジュネルバは本気だった。目的を果たす為に必要なのは大勢の人間が死ぬことだ。マスティギオス一人を逃した所で問題はない。


「それは出来ない――出し惜しみはせん。此れで全力だ」


 マスティギオスの即答。そして繰り返される極光の嵐。時間差を突いた一瞬の騙しや、不意を突かんとする小細工がその中には幾らでも織り込まれている。


 魔術師は魔術を編み出すのが仕事だが、軍人は敵を騙すのが商売だ。


 一連の大魔術は、軍人魔術師たるマスティギオスの集大成と言っても過言では無かった。頬には汗が伝い、周囲の建造物と魔獣が余波で弾け飛ぶ。


 其れは紛れもなくマスティギオスが放てる最大出力の魔。熱の威力は魔人の頬すらも粟立てせる。


 しかし、反面ジュネルバは冷静さを保ったままそれを受けていた。


 どのような騙しも小細工も、ジュネルバに取ってみればそれほど真新しいものでもない。魔を扱うものが考えつく事は、過去彼とて思いついている。


 ジュネルバが攻勢を抑え込まれているのは事実。しかし、こんな最大出力は長く続かない。此方には傷一つついてはいない。


 ならば待つ。慎重というよりも、どうすればより優位に立ち回れるかを考えたが故だった。こんなもの数秒も持つはずがない。


 そのはずだった。


 五秒が経つ。十秒が経った――三十秒、そうして次には一分が経った。未だジュネルバを覆い尽くす雷雨はその勢いを弱めない。


 流石のジュネルバもこれには喉を鳴らし猛禽の眼を見開いてその先を見やる。雷光に包まれた戦場は、もはや目の前すらも見えなくなっている。


 あり得ない。


 ジュネルバは口の中で小さく呟いた。これほどの最大出力が保てる人間などいるはずがない。幾らマスティギオスが人間離れしているからといっても限度を超えている。


 追い込まれているわけではない。しかし明らかな異常事態に、ジュネルバの表情から初めて余裕が失せた。


 闘争で最も恐れるべき事は理解できない事だ。理解できぬ事を放置しておけば、必ず其れは自らに帰ってくる。


 ジュネルバは慎重に態勢を前傾にした。それは戦闘態勢だ。


 ジュネルバは今この場で状況を把握できぬままの待ちよりも、多少危険を冒してでもこの場を脱する事が優位だと判断した。例え敵が何をしてきても対応できる自信もある。それは事実だし、過信でも慢心でもない。


 だからここでジュネルバが状況からの脱出を選ぶのは必然だった。


 そして必然ならばそれに対応する者がいる。


 ジュネルバが毒の範囲を変動させ、雷光の一角を跳ね飛ばし視界をこじ開ける。眼前が晴れた。だがゆえに一瞬、毒の密度が薄まる。


 眼前に、その魔術師はいた。大きな指が、即座にジュネルバの肩と首を掴み込む。


「――すまない嘘をついた。全力なのは今からだ」


 マスティギオスが眼を見開いて指に熱持ちながら言い、ジュネルバは嘴をつり上げた。


 全く愉快な事だった。ジュネルバはこの時になってようやくその事実に気づく。この人間は、本当に己を殺さんと殺意を向けているのだ。


 一切の躊躇なく、其れが出来うると信じている。


 こんな表情をした人間を、ジュネルバは何処かで見たことがあった。その視界を雷光と、砂煙が覆っていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] マスティギオスさんカッケー!
[一言] ふ、ふぉ…ふぉぉぉぉぉ………… かっけぇ、マジかっけぇよ魔導将軍!!彼の全力の魔術がどんなものなのか、それでジュネルバがどうなるか・どうするのか……うぅむ、早く続きが見たいなぁ!
[一言] >遅かれ早かれ、彼はその枠をはみ出ていたに違いない。 いや、もう既にはみ出てるよ。百歩ぐらいはみ出ちゃってるよ ルーギスは自身の原典か何かでマスティギオスがここまでやれるって見抜いてたんか…
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