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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十六章『東方遠征編』
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第四百八十九話『処刑人』

 細やかな陽光が大地を刺し、街並みを照らす。


 本来僅かに暖かなだけのものだったが、キール=バザロフはそれだけで肌が焼け落ちそうな熱を感じていた。神経は指先まで駆け巡り、一分一秒とて正気はない。


 キールの風貌は酷く変わった。優男という様子は消え去り、常に目を動かしながら周囲を伺う。彼が待つのは、魔導将軍マスティギオス=ラ=ボルゴグラードの処刑ただ一つだ。


 化物にしか見えなかったあのマスティギオスが今日ここで死ぬ。本当にか。


 キールは思わず己にそう問いかけた。あの化物が死ぬ。俄かには信じがたい。眼を窪ませながらぎょろりと動かした。


 この公開処刑を言い出したのは己とはいえ、時間が経つにつれどんどんと疑心が大きくなっていく。マスティギオスは、魔術師の象徴のような人間だった。魔人に敗北したとはいえ、処刑などであっさりと死んでしまうものだろうか。


 キールは、答えの出ぬ問答を何度も繰り返す。

 

 ――そうして時刻になった。魔鳥達が次々に声をあげ、その始まりを告げる。


 観劇者は人間最高指揮官キール、首都の王ヌト。そして大勢の民衆達。誰もが不安げに、しかして離れる事も出来ずに処刑場を見つめている。もしかすると魔人達もどこかでこれを見ているのかもしれない。


 簡易に作り上げられた処刑台と木製の首枷は、命を刎ね落とす為に作られたものだ。本来は罪人にしか宛がわれぬもの。


 しかし今は違う。それの前に立つ運命にあるのは、ボルヴァート朝の為に命を賭し戦った勇者たち。


 勇者が罪人として処刑される。それは歪な光景だった。


 民衆の誰もが、自分が何故ここにいるのか分かっていない。今から見るものが半ば悪意の顕現だとしても、背を向ける事が出来なかった。ここを離れる事は、より酷い悪夢を見る切っ掛けにしかならない気がするのだ。


 魔性共がじゃらりと鉄の鎖を引いて、ボルヴァートの魔術師や精鋭達を処刑台に繋いでいく。中には暴れる者もいたが、魔性に囲まれた状況でどうにか出来る者はいない。


 十名ほどが横並びに連なって、処刑台に固定される。民衆達が息を飲んだ。魔性らが、各々に武具を振り上げる。


 ――そして一瞬の後、十の首が落ちた。血しぶきが、夥しく民衆へ向けて噴き出される。


 悲鳴と絶叫が周囲一帯からあがった。信じたくなかったものを見た衝撃は、人の精神を大いに揺さぶる。地面を踏んでいる確信が持てなくなる者もいた。


 しかしそれが幾度も続けば、もはや受け入れるしかない。民衆は茫然としながら、ただ自国の兵が死んでいくのを見つめていた。


「うぅん、しかし地味だな! これなら互いに武器を持たせて戦い合わせた方が良い余興だった」


 首都の王たるヌトは、拵えられた貴賓席で葡萄酒をかぶるように飲みながら言う。何時もは目が回るほどに忙しいが、今日はこの余興のお陰で酒を飲む余裕がある。そのためか、すこぶる機嫌が良かった。

 

「違う。これで良いんだ。少しでも自由を与えれば奴らは息を吹き返す。それに民衆に無駄な希望を与えてしまって良い事はない」


「ふん、臆病者の考えだ。オレには分からん! 人間から魔性に引き上げて貰ったというのに、どうして人間に怯える」


 あからさまにキールを侮蔑するようにヌトは嘴を開く。青い羽毛が翻り宙を撫でた。キールはヌトを省みもせず、両手を組んで処刑台を見下ろす。


 次、更に次と首が滑り落ちていく光景を見つめていた。かつて言葉を交わした者がいるかもしれなかったが、もはやキールには思い出せない。キールにとって、彼らは前菜に過ぎなかった。


 そして、百ほど首が落とされた所で、彼の順番が来た。民衆から思わず声が上がった。


 両手首を鉄の拘束具に締められ、鎖で引き連れられて彼は来た。罪人というよりも、むしろ堂々とした振る舞いで黒髪の毛を風に靡かせながら。


 マスティギオスは腹心たる副官を引き連れ、数か月ぶりに民衆の前に立った。将軍と、マスティギオスを呼ぶ様子が目立つ。


 知らず、キールは席から立ちあがった。心臓がどくりと唸りをあげる。


「――マスティギオス! お前もようやく死に時のようだな。今ここで、痩せ犬のように死ぬがいい!」


 キールの一声に、民衆が押し黙る。ここ数か月の事で、この都市と、そうして人間の支配者が誰であるのかを民衆はよく知っていた。


 例えそれが憎悪すべき敵であったとしても、口を閉じるしかないのだ。閉じぬのはただ一人だけ。


「――誰もがいずれは死ぬものだ。私も、お前もな」


 キールの視線が強まり、マスティギオスが一歩を進む。木製の首枷が、その太い首に重ねられた。


「閣下……マスティギオス閣下ッ」


 両脇に繋がれていた副官の内、エイリーンが思わず声を漏らした。必死に噛みしめていた唇が、血を流している。その血には尊厳と屈辱がしみ込んでいた。


 反面、ハインドはただ無言のまま前を見据えていた。殺意すら込めた眼で魔性を睨みつけながら、未だ死を受け入れていなかった。


 魔性の手で乱暴に三人が処刑台に収められた頃合い。


 伝令の小鳥が大きな声を鳴らす。民衆の耳朶が、大きく震えた。


「ご来場、ご来場! ――魔人ルーギス様のご来場!」


 流石のマスティギオスも眼を開く。己の耳を疑い、そうして次には目を疑った。死に際に、おかしな夢でも見ているのかと思った。


 本来処刑人が行き交う登場口から、それは来た。


 雰囲気はかつて出会った頃より暴力的な色合いを帯び、禍々しい魔剣を肩に置いている。以前と違い血飛沫のように紅い眼は軽々と人を見下し、憎悪を練り込んでいるようだった。服装も、その様子も何もかもが違う。


 ここにきて初めて、マスティギオスに動揺の色が見て取れた。疑問と情動とが胸中で混ぜ合わさり、声にならぬ声となって口から吐き出される。


「……ルーギス、か」


「おぉお? 何だよ、俺の名前を知ってる奴が多すぎねぇか。俺は知らねぇのによ」


 でもまぁ良いと、そう一拍を置いて。ルーギスは剣を鞘から引きずりだした。脈動し紫電に輝く魔剣が、今ばかりは断頭台の刃となって唸りをあげる。


 民衆も、周囲の魔性共も。一瞬、唾をのんだ。それが何なのかは分からなかったが、もはやただの剣でない事は誰しもに理解できた。


「人間、死に方が大事だってな? 俺は生き汚いがお前はどうだ。言い残す言葉があれば聞いてやるよ」


 これから人が死ぬ。そんな重みなど一切感じていないように、魔人ルーギスは首を鳴らした。


 遠くの喧噪が、耳に入り始めていた。



 ◇◆◇◆



 ボルヴァート軍人オイルラントは、目を見開いてその光景を視界にとらえる。凶悪に見える三白眼が、思わず揺らいだ。


 処刑場と化した近衛殿前広場。マスティギオスの奪還を目的に、民衆の中に兵とともに紛れ込んだまでは良い。予定通り、余りに多く集まった民衆の存在に、魔性たちはとても統制など出来ていない。


 仲間の軍人らが次々と処刑されていく光景は、まさに地獄だった。共に訓練を耐え合った存在達を、見捨てなければならないという屈辱。


 しかし下手にこの時点で踏み込めば、きっと魔性はマスティギオスを隔離するか、その場で殺してしまうだろう。彼の警護が異様に厳重であったのは、敵もその重要性を認識しているからこそだ。

 

 ならばこそ、待つしかなかった。今一瞬、マスティギオスが衆目に晒される時間を。人前に引き出され、処刑される瞬間。それこそが奪還の好機。


 そうしてその時は、来た。


 ――災害を引き連れて。魔人ルーギスは、悠々とした素振りすらもって、マスティギオスの前に立っていた。


 英雄と、そう伝え聞いていたはずの人間。それが、どうしたわけだろうか。余りに魔的な様子でありながら、処刑人としてマスティギオスに接している。


 どういう事だ。何が起こっている。オイルラントは困惑を三白眼に浮かべながら口元を覆った。足元から世界が覆されたような気分すらある。


 遠くから、鉄が鉄を打つ音が聞こえた。カリア率いる、陽動の別動隊が動いている証拠だろう。魔性らを彼女らが惹きつけてくれる事で、こちらは手薄になる予定だった。


 しかし魔人が出てきたとなれば話は全く違う。今まで魔人ラブールと、魔人ジュネルバは人前に姿を現す事がほとんどなかったからこそ、この計画を立てたのだ。


 一瞬の動揺と、逡巡。オイルラントが唇を歪ませた瞬間に、マスティギオスの声は聞こえた。


「――中々な姿になったものだな。似合うじゃないか」

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― 新着の感想 ―
[一言] 死ぬ寸前でもこういうことが言える人間になりたい
[一言] わからん… 運命を弄る(正す)ことによって本来歩んだはずの道を経た姿(記憶)になってるから仲間であるはずの皆を覚えてないのかな?
[良い点] 続きが気になる!待ち遠しいです。 マスティギオスの最後のセリフは皮肉なのかな?
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