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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百六十七話『犠牲を好む者好まぬ者』

 大陸東方部。ボルヴァート朝が影響を及ぼす一帯は、他国家と比べてより魔術化していると言って良い。


 それは領主による河川工事の痕から見える場合もあれば、村落付きの魔術師による医療行為や魔獣払い、魔術燃料の存在から見えたりと多種多様だ。


 何にしろ、結果的に村民らは他国と比べてより良い暮らしが行えていると言って良いだろう。


 大陸中央の肥沃な土地を独占するガーライスト王国にはその規模で及ばずとも、村落の一つ一つを見るならばボルヴァート朝は国家として富んでおり、ガーライスト王国よりも豊かだ。


 一つの小さな村落では、死雪だというのに幼子らが村の広場で駆け回っていられる。楽し気に、それでいて朗らかに。


 今日は領主から、外を出歩いても問題はないとそう告げられていた。村の外には流石に出られないが、大魔に支配されてからは久々の気晴らしだ。


 大人も、また子供も僅かな笑みを見せている。


 そこに課題は多く、未だ発展途上とはいえ、偉大な魔術文明の兆しをボルヴァート朝は確かに見せていた。


 そしてその萌芽は、今や崩壊の一途を迎えていた。


「お前ら人間が、なんで吾ら魔性に勝てないか分かっか?」


 魔人。毒物ジュネルバは、視線の先にある小さな村落を猛禽の眼で捉えながら問うた。


 傍らでは魔術師と思しき服装を身に着けた男が恭しく頭を下げて口を開く。その顔には媚びへつらった笑みが浮かんでいた。


「はい……考えるに魔人様より、魔力もなく力も弱いからでしょうか」


「そう思うんか。ハァーン、ハハハハ」


 ジュネルバはその答えにひとしきり鳥類の鳴き声のような高い笑い声をあげ、その男の頭蓋を食った。


 男は悲鳴も断末魔もなく絶命した。咀嚼音がくしゃりくしゃりと鳴り響き、零れた血液がジュネルバの羽毛を汚す。


 彼の周辺をまるで護衛かのように付き従っていた魔術師らが、情けない悲鳴をあげて肩を揺らした。


 その瞳には紛れもなく化物を見る色がある。けれど彼らは決してこの魔人に逆らおうとはしない。彼らは己らが魔人に勝てないと早々に見切りをつけ、自らの命惜しさにその配下へと自ら願い出たもの達だからだ。


 だが彼らを責められる者はいないだろう。その経緯がどうあれ、ボルヴァート朝という国家自体が、今やヴリリガントの虜囚に過ぎない。ならば後の選択肢といえば、服従か死かだ。


 その点、彼らはある意味身の置きどころを知っているのかもしれない。


 ジュネルバが男の頭蓋を食い荒らした後、その背後から頭を垂れて一人の男が進み出る。


「魔人様。よろしいでしょうか」


「んァ? 何だ。お前ぇは分かるんか。人間」

 

 男は笑みを浮かべ頷いた。言葉を弄する事に慣れた、柔らかな笑みだった。

 

「はい。我々が弱いのは、弱い者を生かしているからです。本来淘汰すべきものを殺していない。だから、人間全体まで弱く落ちてしてしまう」


 ジュネルバは、今度はじぃと男の顔を見て眼を強めた。その答えをどう受け取るべきか思案しているのだろう。


 男も柔らかな顔つきを歪めるような事はなかったが、流石に眼を硬くした。首筋を汗が流れ落ちていく。


 一瞬の間を置いて、ジュネルバは嘴を開いた。


「そんで?」


 男はその短い一言で、己の言葉が魔人の琴線に触れた事を確信した。逸る心を抑えきれず、胸を鳴らして言葉を荒げて部下に指示を出した。


 部下は一瞬表情を強張らせたが、魔人と主人の機嫌を損ねぬようすぐに足を駆けさせ消えていく。


 今日、魔人ジュネルバが自分の領土を見て回ると聞いた時から、男は一つ彼らにおもねるための用意をしていた。


 今この国家の主人は大魔だが、実質的に指示や命令を出すのは魔人達。ならば気に入られておくのなら彼らだろう。


 男は冷や汗でずれそうになった眼鏡をくいと戻しながら、僅かな時間を待って言う。


「――御覧ください魔人様。我々人間もより魔人様に近づくべく、弱きは切り捨てましょう! その為に我々はここにおります」


 男はそう言って、合図に腕を上げた。


 一瞬の後、村落周辺より火煙が上がる。その緑色の煙はただの煙ではない。魔術燃料によって焚きつけられた火の証。容易く消える事はなく、そしてより早く炎を照らす。


 本来は長い死雪を乗り越える為、村落に備え付けられている魔術燃料。その緑色の煙が今、村落を覆っていく。素早くより凶悪に、逃げ場を失わせるように。


 ――そして声にならぬ声があがった。肉の焦げる匂いが離れた場所へも漂ってくる。


 泣き声と悲鳴と絶叫。声の全てを押し包むように煙はあがる。風に吹かれるようにますます火はその勢いを強め、村を人を殺した。緑色だった煙が、黒く染まっていく。


 ジュネルバはその様子に満足したように、今度は小さく笑い声を鳴らして口を開いた。


「くはははッ! 人間にしては良い方だわな。何だ、てめぇ名は何てんだ」


 男は唾を飲んだ。魔性という存在は基本人間の事を名前で呼ばない。憶える気もないのだろう。


 だがもし、魔性の頂点たる魔人に名前を憶えられたならば、己はより良い目が見られる。男は一人胸中でほくそ笑んだ。


 今まで己は魔導将軍、名家魔術師の連中に抑え込まれ不遇な扱いばかりを受けてきた。だがこれからは違う。厄介な魔導将軍はおらず、もはやこの国は魔性の天下。ならば最も上手く目をかけられ、己が今度こそ日の目を見る。


 男はやはり柔らかな笑みを浮かべて言った。


「はい――キール=バザロフと申します。どうかお見知り置きを、魔人様」


 キールの屈めた頬を照り付けるように、村をやく炎が煌々と周囲を照らしていた。



 ◇◆◇◆



 ガルーアマリアの城壁内にて、カリア=バードニックは銀眼を軽く細めながら口を開いた。


「魔導将軍と手を結べた結果が、フィアラートの喪失とは……手痛い代償だな」


 カリアは可能な限り声を潜め、それでいて感情を込めぬように言った。自分が下手に感情的になってしまえば、それがルーギスを刺激するとよくわかっていたからだ。


 執務室内で、ルーギスは宝剣に磨き布をあてたまま先ほどから一言も発していなかった。彼がここまで無口であったことは、付き合いの長いカリアから見ても珍しい。


 勿論、兵士らを回って言葉で慰労し、魔導将軍らとも長く会議を続けていた疲れはあるのだろう。それでも、カリアと二人きりになれば彼は軽薄に冗談を口にするのが常だった。


 それが今では剣呑な目つきを更に深めて宝剣を磨いているものだから。傍から見れば凶悪この上ない。


 カリアはその様を見つめているのも嫌いではなかったが。長く続けば流石に心配だ。


 フィアラートの身柄が魔人に奪われたというのは、カリアとて安く受け止めてはいない。胸中に焦燥の念は表れているし、歯噛みもする。ルーギスが抱えている情動にも察しがつく。


 だがそういった焦りを表に出してしまえば、人を束ねる者としてはよろしくない。その点カリアは、騎士階級としての教育を受ける中で感情と理性を切り離す術を知っていた。


 ただただ、ルーギスという異分子が紛れ込むとその理性が一瞬で溶解するだけであって。カリアは何方かと言えば己が冷静な類だと信じている。


 カリアが銀眼を強めてじぃと視線を浴びせていると、ルーギスはため息を吐くように言った。


「安心しろよカリア。むしろ俺の成長を褒めて欲しいもんだね。昔なら、今頃は馬にのってボルヴァートに乗り込んでた所さ」


 口端を歪めながらそう言うルーギスに、思わずカリアは肩を竦め苦笑した。


 確かに言う通り、以前の彼は一瞬たりとも己を抑え込むという事を知らなかった。そういう意味では、成長と言えるのかもしれない。


「そうだな。貴様にしては、赫奕たる我慢強さと言ってやっても良い。私が認めてやる」


 軽口を叩く程度の余裕があるのなら、潰れはしないだろう。カリアが胸中で安堵の息をついた頃、執務室の扉が叩かれる。生真面目な叩き方は、傭兵の長たるヴェスタリヌのものに違いなかった。

 

「失礼致します、指揮官殿――それと、カリア殿も。ご報告が一つございます」


 ヴェスタリヌは何よりもまずルーギスの姿をその視界に映し、そしてその後暫く経ってからカリアを眼の端で見た。室内に入る前からカリアの存在がある事を知っていただろうに、だ。


 その整った顔つきは一見真面目で従順そうにみえるが、カリアからみればぎらつく刃に近しかった。こういった類は、一度敵と見たならば生涯その認識を崩さない輩だ。筋が通っているからこそ逆に性質が悪い。


 まるで少し昔の己を見せられているようで、カリアは頬をひくつかせた。きっとヴェスタリヌは一度肩を斬りつけられた事すら気にせず、必要であれば己に牙を見せるだろう。そういう類の眼をしていた。


 打って変わって、ルーギスに対しては機嫌良さそうにヴェスタリヌは言う。


「主要都市国家群から使者が来ております。用件は様々ですが……ボルヴァート朝と我々が停戦を行った事から、日和見から一転して態度を決めたのでしょう」


 ヴェスタリヌの報告に、思わずカリアはため息をついた。


 戦役の際にはこちらの使者に会おうともしなかった輩が、調子の良い事だ。都市国家群の大方の思惑がカリアには予想がついた。


 大方、矢面に立っていた此方にただ乗りし、都市国家連合としてボルヴァート朝と交渉をしたいとでも思っているのだろう。最終的には侵略の代償か、不可侵条約でも頂ければ上々と考えているに違いない。


 肥えた土には、雑草が蔓延るものだ。カリアは苦々しい表情を浮かべつつ、それでもルーギスは彼らを悪いようには扱ったりはすまいとそう思った。良くも悪くも、寛容に過ぎるのが彼という人間だ。


 ルーギスは宝剣に布をあてたまま、視線をヴェスタリヌにあげる。紫電の色合いが、瞳に映り込んでいた。


 ゆっくりと口を開く。


「追い返せ。二度と面を見せるなってな」


 最初にヴェスタリヌが、次にカリアが大きく眼を見開いた。余りに彼らしくない言葉に、一瞬二人とも耳を疑った。ルーギスは宝剣を丁寧に磨いて言う。


「フィアラートは奴らの安全の為に攫われたわけじゃあない。俺についてきた兵士は奴らの身代わりになる為に死んだわけじゃあない。そうだろう? 良いかヴェスタリヌ、こう伝えてくれ」


 カリアはその時になってようやく理解した。そうして妙に腑に落ちた。


「――俺の仲間を、兵を侮辱してみろ。日和見すら出来ないようにしてやる」


 ルーギスは全くもって平静でもなければ、いつも通りでもなかった。

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