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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百六十二話『英雄たる者』

 城壁都市ガルーアマリアより遠く離れた上空。魔鳥はその大口をふてぶてしく開きながら、鳥らしくもない鳴き声を漏らし宙を揺らす。


「オウ。ラブールゥ……万全じゃあねぇのかぁ。高々人間に傷を付けられるなんてよ。昔ならあんな事なかったわな」


 鳥の声をもって器用に紡がれる言葉。ラブールにとっては聞きなれた声だ。


 ラブール同様に大魔ヴリリガントに仕える魔人、毒物ジュネルバ。彼が己の使い魔を経て声を届かせているのだろう。翼類王たる彼にとっては、その程度の事は容易い。


 ラブールは手元に黒眼の魔術師を抱えたまま、いつも通りの様子で言った。首元や脇腹を抉られた痛みなど、まるで感じていないようだった。


「ジュネルバ。戦いの場において、万全であるか否かは重要ではありません。即時、訂正を。ただあの人間が、あの場において私を上回ったというだけの事です」


 ラブールは大きな羽毛に身体を預けながら言う。


 それは彼女にとっては厳然たる事実。例え己が万全でなかろうと、敵にとっては何ら関係もない。弁解などというのは、この世で最も意味のない行為である事とラブールは理解している。


 しかしジュネルバはまるで納得していないようだった。それは彼の性格でもあるし、その矜持故でもある。魔人が、人間に遅れを取るなどという事は本来あり得ない。


 魔人とは災害であり、大魔以外にとってみれば絶対の存在であるはずだ。例外であったのは、人間英雄アルティアのみ。


 ジュネルバはその視界に先ほどの光景を思い浮かべる。緑色の衣に身を包んだ、あの男。確かに人間の中では異物だ。理を外れ始めているのも間違いがない。


 ――しかしアルティアに比肩するなどとは到底思えない。それほどにアルティアは唯一無二だった。


 ジュネルバは、ある意味では非常に純粋な魔性だった。彼は人間を酷く見下しているし、侮蔑すらしている。


 人間は卑劣で弱弱しく、すぐに仲間内で諍いを起こしては裏切りを起こす。軽蔑に値する存在だ。


 けれども、アルティアだけは違った。だからこそ、ジュネルバは人間と言えどアルティアに敬意を示す。


 彼女は赫々たる振る舞いで、微塵も卑小さなど見せつけずこの世全ての魔を制して見せた。瞠目に値するとは、即ち彼女の事を言うのだとジュネルバは思う。


 ジュネルバが思案しているのがラブールの視界にも入ったのだろう。ため息でもつくように、小首を傾げてラブールは口を開く。


「貴方の評価は何時も一面的だ。それは正しくありません。私は彼に一定の評価を与えています。即時、訂正を」


「ほぉ、羨ましいねぇ。愛しのラブールから評価を与えられるなんざ。嫉妬しちまうわな。だから生かしたのか」


 まるで感情の籠っていない、冗談めかした声だった。ラブールはその軽口に大した反応はしなかった。ジュネルバが己に向けて好意に近しい感情を向けている事は知っていたが、ラブールにはその本質的な部分が理解できないからだ。


 だから、一言だけを言った。


「ええ。何にしろ、もう問題は発生しません。私は目標を完遂しました。心臓、大量の血潮、そうして新たな魔性」


 全ては万全だとラブールは語った。それは間違いのない真実で、此れから人間達がどう足掻いたとて変わることのない事実。


 もはやラブール、そうしてジュネルバに至っても、成すべき事は少ない。ゆっくりと、洗練された手つきでラブールは手元の人間の瞼をなぞる。


 最も懸念していた心臓の代価が、こうして手に入った。後は主たる大魔ヴリリガントが、その全盛を取り戻すだけ。それで全てが終わる。


 大魔ヴリリガントとは、それ即ち終わりの象徴なのだから。



 ◇◆◇◆



 副将ハインドは椅子に腰を下ろし、大きく息を吐く。視界は死雪の白と森林の黒とを行き交い、どうにも落ち着かなかった。


 将軍の息女たるフィアラートを連れ去った魔鳥は遥か彼方。その姿すら見えはしない。打ち捨てられた道宿場の中、紋章教とボルヴァート軍の人間は言葉も出さぬまま沈黙の中にいた。


 紋章教兵、ボルヴァート兵、どちらも隠れていた兵すら顔を見せその場の対処にあたっていたが、誰も彼も沈痛な面持ちだった。


 当然だろうとハインドは奥歯を噛む。紋章教軍とボルヴァート軍、その司令官たる人間が集っておきながら、魔人一体に翻弄されて終わった。奴らの思惑が何かわかりはしないが、それでも尚こちらは手の内で回されただけだ。兵達に沈むなという方が無理だった。


 皆の中には無念と屈辱、そうして隠しきれぬ無力感が浮き出ている。ハインドとて、許されるなら取り乱してしまいたかった。


 だが、本来最も激情を露わにしたいだろう己が御大将が必死に平静を装っている。ここで言葉や感情を零すのは、彼への侮辱になりかねなかった。だからこそ、ハインドは唇を噛んで必死に声を殺す。


 マスティギオスは、時折唸りをあげながらその片腕の治療を受けていた。自らの雷火が逆流したのか、僅かに血と肉が焼け焦げた匂いがテーブル越しに感じられる。


 紋章教軍の司令官たるルーギスも、軽く治療を受けながら噛み煙草を嗜んでいた。


 何とも奇妙な空間だ。本来敵対すべき総司令官二人が、今ここでは敵意すら見せずに軒を同じにしている。


「……ルーギス司令官」


 ハインドは思わず、その男に声をかけてしまった。その鋭い双眸が、くるりと此方を向いてくる。


 というのも、何かしら声を出さねばハインドはこらえきれそうになかった。視界が揺らぎ、頭がどうにかなりそうなのが自分で分かっていた。


 だが自軍の中には愚痴をこぼす相手もいない。ある意味敵軍のルーギスだからこそ、気安く声をかけられたのかもしれなかった。


「我々は一時撤退する。将軍が負傷した以上、もはや継戦するわけにもいかない。貴方はどうされる」


 それはハインドの迷いがそのまま言葉にでたものだった。マスティギオスが負傷した以上、今のまま攻城戦を続けるなどというのは有り得ない。だが、一度撤退したからといってどうする。


 魔人ラブールが消えたとはいえ、状況は大して変わってもいない。此れからもボルヴァート軍は、依るべなき征西を続けなければならない。


 まるで縋るような声で、ハインドは言った。反面、ルーギスは随分と気軽に唇を開いた。


「どうするか、なんて決まってるさ。言っただろう」


 噛み煙草を唇から離して、傷痕を隠さない顔がハインドを見据えていた。心臓が妙な高鳴りを覚えているのを、ハインドは感じていた。


「何も変わりやしない――人間に敵対する大魔、魔人共をこの大地から一掃するんだよ」


 ハインドは自然と己が酷く表情を歪めているのが分かった。眼がぐしゃりと引き攣っている。指が軽く鳴り、思わず口を開いていた。


「何故……何故。貴方はそんな事が言える。アレを、見たではないか!」


 そう。どうして、そんな事が今言えるのだ。魔人をあれほど間近で見ておきながら。


 魔人とは、ただ強大だというわけではない。奴らはそこにいるだけで、容易く人の心臓を鷲掴みにし、精神を摘み取っていく。人間はその圧倒的な存在感に、蛇に睨まれた蛙の如く竦まされるしかないのだ。


 ハインドとて、ラブールを前にして震えを覚えなかったと言えば嘘になる。どれほどの豪胆も、どれほどの勇壮も、奴らの前では砕けてしまう。だというのに、なぜ。


 ルーギスは一瞬驚いたように眼を開いたが、それでも当然のように語った。


「それしかないからさ。分かるだろう。奴ら人間の命なんざ塵程度にも思っちゃいない。今ここで誰もが膝をつけば、人間は子々孫々に至るまで奴らの家畜になる。好きな時に殺され、好きな時に踏みにじられる時がやってくる。愛した女一人すら守れぬ時代がやってくる」


 ハインドは、この時に至ってどうしてこの男が英雄たるのかを知った。


 その言葉に、奇妙な魅力があるのだ。どん底に落ちた心を無理やり掻き立てるような言葉。彼は人が本来足を止めるであろう所で、足を止めぬ。狂的なまでに前しか見ていない。


 まるで諦めるという事を知らぬかのよう。


 だからこそ人は、彼から目が離せない。だからこそ人は、彼の背を追うのだ。


 危険だとハインドは一瞬で理解した。此れは人を変じさせてしまう男だ。人を遮二無二突き動かしてしまう男だ。非常に、よろしくない。


 ハインドがそれを感じた時には、声がすでに聞こえていた。低く、それでいて地の底から響いてくるような声。


「……ルーギス殿。貴殿は魔人を殺したと聞いた。アレは誠か」


「嘘を言ってどうなる。とはいえ俺一人の力じゃあないがね。だが見たろ、奴ら傷もつけば逃げもする。なら、強かろうと勝ちの目はあるさ」


 いつの間にか、マスティギオスがその眼を開いていた。表情はもはや温厚さなどとは掛け離れ、激情に満ち溢れている。


 もはや魔導将軍としての威厳よりも、マスティギオス本来の精悍な顔つきが色を見せ始めていた。


「ならばラブールも、ヴリリガントも殺せるか。どうだ」


 異様な雰囲気があった。何時しか空気は死雪が蒸発しそうなほどに熱気を持ち、そして二人の男がその中心に在る。


 その中で軽口を叩くようにルーギスは言った。


「あんたが協力してくれればね。どうする将軍。追い立てられて、使い走りになって死ぬか。それとも前を向いて死ぬかい――」


「――どちらも御免だな。どうせなら奴ら全員、目にもの見せてやってから死ぬ。そうだろう、ルーギス殿?」


 刹那、雷火が迸った。轟音が鳴り響き、魔術の神髄が周囲を覆う。もはや一切の留め具を失ったかのように、魔の咆哮があげられた。

 

 この僅かな目撃者しかいない街道の会談は、後に大いに脚色を以て伝えられる。互いに何万もの軍勢を連れていただとか、将軍の息女がその場で紋章教軍の英雄と婚姻を交わしただとか。


 だが確かであるのは、ガーライスト新王国とボルヴァート軍。この両者は紛れもなくこの場において、初めて手を結んだという事だ。

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― 新着の感想 ―
[一言] この作品はほんとに鳥肌が止まらない 言葉選びが素晴らしすぎる
[一言] >将軍の息女がその場で紋章教軍の英雄と婚姻を交わしただとか フィアラートか、争奪戦の状況次第ではマスパパの犯行の可能性もある。
[一言] 終わりの文にやばい噂が紛れてる……
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