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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百六十一話『運命の歯車』

 魔人ラブールは腹から銀色の内臓を露出しながら首を傾ける。その琥珀色の瞳は、フィアラートを手元に抱えながら、じぃと俺の方を見据えていた。何とも奇妙な色合いだ。見つめられる度、嫌なものが喉にせり上がってくる。


 遠くで、鳥の鳴く音が聞こえていた。


「随分と歪んだものですね人間。人とはこうも捻じくれ返るものなのですか。即時、理解を改めます」


「そうしてくれ。どうせなら、考えも改めてくれると嬉しいがね」


 言いながらも、目が細まる。胸中に嫌な予感が走っていた。


 魔人ラブール。魔人ゆえに多少の特異性は有しているのだろうが。それにしても、傷を負ってなお血の一滴も流していないというのはどういうわけか。例え魔性の類と言えど、血は通っているものなのだが。土人形でもあるまいし。


 血を流す相手ならばいずれは殺せるのだろうが。血を流さぬ相手というのは、どうやって殺せば良いのだろう。眦が僅かに浮く。だがフィアラートが敵に捕らわれている以上、逡巡してる暇は瞬きすらもない。


 呼吸をする。息を飲みこみながら宝剣の刃を肩に乗せ、前傾となって足を踏み出した。宝剣が俺の意思に沿うように刃を鳴らす。生きるように脈動するその刃がその身をより鋭く、強大に打ち据えていく。


 ――なぁに、死なずとも殺してしまえば良い主よ。殺してしまえば、否応なく死ぬのだからな。


 そんな物騒極まる声が、頭中に響いた気がした。もう少し言い方と言うものがあると思うのだがどうだろう。


「ルーギス殿ッ!」


 俺が一歩を踏み出したと同時に叫んだのは、マスティギオスだった。その表情には苦痛を押し殺して尚前に出ようとする意志がある。


 言葉を聞かずとも、言いたい事は分かっていた。フィアラートの身を案じたものに決まっている。だから視線だけを一瞬配って、返事はしなかった。


 無論俺とてフィアラートに傷を付ける気はない。だがこのまま魔人なんぞに俺の数少ない仲間が浚われるのを見ているわけにもいかない。


 何時だって事態というものは、手放しにみているだけでは坂道を転げ落ちていくように悪化するものだ。例え無様であろうと傷を負おうと、手を伸ばさねば好転などするはずもない。


 特に敵が災害そのものたる魔人であるならば尚更だ。何、人質に取られているのならば、それ相応の戦い方というものがある。


 もう一歩を入り込むと、もはやそこはラブールの領域だった。禍々しさすら感じる青銅色の魔脚が、俺の心臓を突きあげるように伸びてくる。いいやそれ一度ではない、心臓と首と脳髄。それら全てを穿たんとすべく魔脚は放たれ、風斬り音が強く耳朶を打った。


 殺意というものを、そのまま脚に植え込んだようなその連撃。余りに華麗に過ぎる。


 反射的に半身になってもう一歩前へと踏み込んだ。足首、膝、腰とを駆動させ、手首を返して宝剣を振るう。紫電が中空に円を描き、鈍い鉄噛音が鳴り響く。奴の魔脚を宝剣が喰らい、その軌道が反れていった。


 だがそれでも完全には捌ききれなかったようだ。頬と肩の肉が削がれ、自由を得たとばかりにはね跳んでいった。


 一瞬で理解する。長期戦ではとても敵うまい。けれども、遠距離から此方を掴み取ってくるドリグマンよりはよほどやりやすい相手だ。


 宝剣と魔脚を噛み合わせたまま、再び手首を使い魔脚の切っ先を地面に叩き落す。一呼吸もしないまま、ラブールの首元に狙いをつけて紫電の線を描き切った。


 奴は避けるそぶりすらなかった。中空が震えをなし、俺とラブールとの間に障害は何もない。不思議と奴は両手で掴んだままのフィアラートを盾にする様子も見られなかった。


 宝剣が一切の間断なくラブールの喉を突き貫く。その光景が間違いなく双眸に見えていた。


 けれどもその前に、確かに耳が聞いた。ラブールがその端正極まる唇を開いていた。


「不合理な生き物ですね。即時、私が矯正を致します。人間の殻を打ち破る方法を教えよう」


 宝剣の刃が、フィアラートに傷を付けぬままラブールの首を穿つ。人間であれ魔性であれ、血を噴き出し枯れ落ちる致命の一突き。それだけのものだった。


 しかし手には肉を抉り血を弾き飛ばした感触はなく、何か硬いものを叩いてしまった違和感だけがある。


 ――何だ此れは。思考が一瞬、止まる。


 生物とはとても思えない。まるで無機物に手足が生えてうろつき回っているかのよう。怯えよりも、不可解さの方が先に来た。一体、何なのだ此れは。

 

 疑念と困惑とが頭蓋の中身を跋扈し、思考を絡み取っていく。そうしてあろうことか俺は、足を止めてしまった。魔人の眼前で。


 ラブールは喉を穿たれて尚、当然のように口を開いた。その彫刻のような指が、困惑しきった俺の胸へと触れる。


 いいやもしかすると、俺が宝剣を首へ突き刺した瞬間にはもう触れられていたのかもしれない。


 痛みはなかった、不思議な熱だけがあった。


「運命の歯車は常に我が手中。歯車一つの掛け違えで、即時運命は遥か彼方へ流転するもの――ルーギス。貴方は運命を誤った。本来であれば、貴方はとうにこちら側です」


 何故、こいつは俺の名を知っている。そんな疑念よりも、ラブールの指が肉の中へと無理やりに入り込んでくる気色悪さが勝った。


 吐き気を催す。視界が明滅し、今自分が何故立っているのか分からない。魂が無理やり掻きまわされている気すらする。


 そうして、かちりと、頭の奥で何かの音が鳴る。そんな気がした。


 それが何を意味するものなのか。ラブールは何をしたのか。まるで分からない。だが腹の底が捻じれかえったような感触のみがあった。


 瞬間、宝剣が嘶くように蠢動した。眼が見開き、意識が無理やりに舞い戻ってくる。


 腰を無理やりに駆動させ、奴の手を突き放し、そのまま刃を横にして奴の首骨を叩き折った。本来であれば絶命を免れないであろう其れ。


 けれどラブールは、ドリグマンのように再生するでもなく。銀の内臓を露出しながら、そのままに声を紡いだ。


「ええ……抵抗をするのは良いでしょう。ですがどちらにせよ、一度回った歯車からは決して逃れられぬもの。もはや貴方は逃げられない。即時、理解を」


 そこには、端正な人形のような顔つきが作った、歪な笑みがあった。ぞくりと、背筋が跳ね起きる。


 相変わらずラブールが何を言っているのか分からない。だが腹を穿たれ、首を半分以上損壊しながら、尚堂々たる振る舞いで喋りつづけるその様は余りに不気味だ。

 

「そりゃあ不味い、俺は自分に都合の悪い運命は信じない方でな――だから此処で終わってくれ」


 言いながら、刃を返す。仕組みは分からない、本当に生きているのかすら不明。けれどどんな奴だって、首を完全に断ち切ってしまえば生きてはおれまい。


 刃をぐいと振り上げる、次の瞬間。


 ――暴声が鳴った。空を劈き、何一つ畏れるものはないとでも語るような声。


 鳥。それも人間より遥かに大きな魔鳥の鳴く音だった。それが数羽、俺とラブールのすぐ真上を飛び交っている。そのけたたましい声は、まるで俺達を威嚇するかの如く。


 その余りの奇声に、一瞬身体が痺れを起こす。頬が歪み、その場で耳すら塞ぎたくすらなった。鼓膜の奥底まで鋭い針で貫かれた気分になる。


 そうして、その一瞬が全てだった。ラブールはまるで勝手を知ったかのように魔脚を地面に穿ち、宙を舞う。魔鳥は慣れた様子でラブールを背に乗せた。そう、フィアラートと共に。


 ラブールが、喉を穿たれて尚悠々たる声で言う。


「貴方を褒めましょう魔導将軍。意外な事にも、私の目的は達せられました。後はそうですね、適当に西進を続けなさい。即時、実行を」


 マスティギオスが、何ら言葉を返す暇はなかった。きっとラブールにとって、人間は会話を交わす相手ではないのだ。一方的に言葉を言いつけ、人間はそれを聞き入れる。魔人にとって人間とは本来そういう相手なのだろう。アガトスが少々奇特なのだ。


 視界の端を魔弾の閃光が走る。それらは僅かに魔鳥の大翼を掠めたが、射ち落とすには尚至らぬ。


 そうして、天空は俺にとってもはや届かぬ領域だ。唯一対抗できそうなフィアラートは、今なおラブールの手元にある。もう彼女の姿は、天空に消え見ることすら叶わない。


 奥歯を、強く噛みこむ。苦渋のようなものが、口の中に滲み出た気がした。そうして同時、心臓が強く鳴る。


「あの、野郎……」


 何か。致命的な何かが、俺の中で音を鳴らした気がした。過去、未だ貧民窟にいた頃の情景が瞼の裏に蘇っている。

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― 新着の感想 ―
[一言] いっつも女に存在を変質させられてんなこの英雄
[良い点] 面白いです。頑張って下さい。
[一言] また改造されてる…
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