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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百四十八話『巨人の号令』

 二日が経った。


 ガルーアマリア大城門。東向きに拵えられたそれは、西進を続けるボルヴァート軍を正面から迎え撃つ為の盾となるべく、牙を磨く。城壁を補強し、柵を作り上げ陣地を作り、兵が白い息を吐き出して待ち構える。


 だがそれもどれ程の意味があるものだろう。敵は四万に届くかという大軍。それも魔術を備えた精鋭ばかり。兵の誰しもに、そんな思いがあった。


 大量の心臓が、どくり、どくりと脈を打っている。地面に身体を近づければ、それだけで足音が聞こえてきそうではないか。


 兵は予感していた。数時間前に斥候から報告された其れが、もう間もなく姿を現すと。


 数分が経ち、城門前、そうして城門に配備された兵の誰もが焦れて唾を呑み込んだ瞬間だった。


 昇り行く陽光と共に、其れは来た。光に満ちた大地を踏み潰すようにして。


「……来た、来やがった。来たぞォッ! ボルヴァートの侵攻軍だ!」


 誰の声だったかは分からない。多くのものがそう叫んだからだった。だが、声が発した言葉は事実。


 魔術獣兵が重厚な体躯を駆動させ、先陣を切って咆哮をあげる。魔術装甲兵は赫々たる振る舞いで戦場を駆り、それに精鋭達が続いた。


 紛れもない国家の先兵共。傭兵や、都市国家間で扱われる衛兵の類などではない。自衛ではなく、他を食い殺す事に長けた集団。


 ボルヴァートの魔導軍。


「カリア様! 敵が、奴らが来ました、もう間もなく接敵を――ッ!」


 部隊長の一人が、指揮官たるカリアへと報告を上げる。どうしようもなく声が気焦っている事は、彼自身がよく分かっていた。


 致し方がない事だ。幾ら心構えをしていようと、いざ大軍を目の前にすれば話は別。今より自らと兵らの生死を賭した戦いが始まる。敵を殺し、味方が殺される。当然のように口は乾ききり、背筋と指先に痺れのような震えがあった。


 けれども部隊長は自らの指揮官の横顔を見て、痺れも忘れ瞠目する。


 カリア=バードニックは、まるで愛おしいものを見るかのように頬を緩めていた。いいや、見入っていたといっても良いかもしれない。


 銀髪を風に靡かせ城門の上からカリアは敵軍を見下ろす。知らず、嘆息していた。口元を覆って笑みを隠す。


 ガーライスト王国にとって、ボルヴァート朝もまた仮想敵国である事に違いはない。その兵種や軍事行動の性質についてはカリアとてよく学ばされた。


 それによれば、ボルヴァート軍はその多種多様な兵種の存在によって、整った行軍や進軍を余り得意としていない。時に独断専行を行う下士官がいるのも常だった。


 だが今目の前にある進軍は、過去の記録に刻まれたどんな軍よりも美麗だ。行軍速度は異様と思うほどに早く、勝利を続けていては兵の士気も緩むだろうに、まるで閲兵式かと思うほどの整然とした様子。


 ただただ、素晴らしかった。軍に携わるものであれば、一度はああいう兵を率いてみたいものだと、カリアは思う。


 ボルヴァート朝魔導将軍、マスティギオス=ラ=ボルゴグラード。対面した事はないが、よほど指導力に溢れた将なのだろうとカリアは確信する。


 そうして同時に思った、フィアラートがここにいなくて良かったと。カリアにも、父君の死に様は見せたくないという程度の思いやりがあった。

 

「……カリア様、敵が」


 部隊長の言葉に、ふとカリアは正気を取り戻す。銀眼を輝かせ、語気を強くして言った。


「ああ。これだけの行軍だ。正面からばかりではあるまい。他方も重々警戒するよう伝達を出せ。それと、離れていろ」


 意をくみ取りかねた部隊長が、厳つい顔を傾げさせながら一歩を引く。同時、大剣をカリアは構えあげた。黒緋が陽光に照らされ、妖しげに揺らめいている。混沌の坩堝と思われるその黒を、緋色が纏わりつき御していった。


 部隊長、そうして兵の誰もが息を飲んだ。これが何なのかは知らない、だがその様子は余りに魔的だ。人間のものとは思われない。第一、カリアが振るうその大剣そのものが、人間の振るうような存在ではなかった。


 部隊長は、耳にした事があった。


 紋章教の上層、特に英雄に付き従う三乙女は、誰もが人智を超えた権能を有すると。それこそ、まるで神話の如く。


 カリアが大剣を振り上げたと同時、ボルヴァート軍に一筋の光が落ちる。天から零れ落ちたそれは、稲光の如く雄々しく唸りをあげ、我こそが空の覇者と吠える。


 諸都市があっけなく陥落する事になった何よりの要因。マスティギオスが魔術の神髄が、雷霆となってガルーアマリアをも呑み込まんと顎を開けていた。


 諸兵から見ればそれは、紛れもない伝承の竜の如しだった。神にしか扱えぬ雷鳴を唸らせ、雷霆となって襲い来る御伽噺。


 多くの者が、稲光を前に死を予感する。人が抗うには、その光景は余りにも残酷だった。


 魔の雷霆が、轟きを纏いガルーアマリア城門へと迫りくる。大魔術が雷の竜となりて兵を食らい、城門をそのまま貫かんと咆哮をあげる。


 だが、巨人から見れば竜など所詮大きな蜥蜴だ。


「――悪いが背後には奴がいる。何人たりとも通しはしない」


 カリアは吐息を漏らし、もはや魔性そのものの笑みを浮かべながら歯を鳴らした。内側に眠る原典が、脈動してその声に呼応する。


 原典とは、その者が持つ至高の欲求にして、無尽の願望。本来は理性たる鎖でもって縛り付けられている本能に近しい。


 何者よりも強くありたい、民を守りたい、アレを我がものとしたい。そんな根源的な願望が、鎖と錠前を捻りつぶし、世界の理すら歪めた時に初めて原典は生れ出る。


 カリアは黒緋を振り上げながら、眼で雷霆竜を見定める。大剣は周辺の空間を軋ませ、一瞬の後に唸りをあげた。


「我が始祖よ、巨人の王よ。その偉業でもって竜を大地へ叩き伏せろ――原典解錠『巨人神話』( フリムスラト)


 僅かな間もなく、黒緋が振りぬかれる。古代の神話そのものが、閃光となって雷霆に相対した。


 それはまさしく、未だ大地に巨人と竜が存在した神代の再現。巨人が放つ破滅の一撃を、雷霆と化した竜が捻りつぶさんと顎を開く。


 衝突と、永遠に思われる一瞬の拮抗。天上が裂け、死雪の雲空がそのまま弾け飛んでしまわれるかと思われるほどの衝撃があった。


 けれど悲しいかな。今この両者は片や真なる神話、片や人間の模倣に過ぎない。そうして古来より続けられる純然たる歴史がある。


 人間は、神に勝ちえない。神を打破する者は、何時であれ神自身だ。


 決壊は、当然に訪れる。黒緋の閃光が激流となって雷霆を食らい、そのままに空を制した。


 巨人とは傲慢の極致にありながら、それを許されるだけの万力を持っている。黒緋の閃光が荒々しく咆哮をあげながら、ボルヴァート軍の一角を食らっていった。


 ボルヴァート兵も、そうしてガルーアマリア兵ですら、その一瞬の光景に眼を奪われていた。生涯経験するはずもなかったであろう事が、今眼前で起こっている。その衝撃に心臓が激しく動悸をあげ、思考が硬直した。


 もはや何が正で、何が魔かすら分からぬその一瞬。ただ一つ、銀が吠えた。


「――行け。奴らに何方が狩られる側で、食われる側であるのか教えてやれ我らが勇士よ!」


 黒緋の剣を体躯の一部のように扱いながら、巨人が号令を轟かせる。空白となった兵の胸中に、ただその命令のみが入り込んだ。


 陣形の一部を食い取られ、哀れにも態勢を崩したボルヴァート軍が、眼前に見えている。


 紛れもない好機。隊長らが其れを見逃すはずもない。ガルーアマリア兵らが蛮声をあげながら、脚を駆けさせ勇ましく突撃を開始した。例え僅かな解れでも、敵を砕け散らす為に。


 此れで少しばかりは、ボルヴァート軍を食う事も出来るだろう。カリアはそう思いながら、その場に腰を下ろした。


 大粒の汗が、額を覆っている。身体の節々が軋みをあげていた。全身の血流が、痺れを起こしたような気配があった。喉が酷く熱い。


 だというのにカリアはただ思考の中で、一人の男の事を気にしていた。血が、彼の行動を伝えてくれている。


 唇が、妙に寂しかった。カリアは艶のある吐息を吐きながら、男の名を呼んでいた。


 魔号戦争。その内でも激戦を飾るガルーアマリア防衛戦が、ここに始まりの音を立てた。

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― 新着の感想 ―
[一言] カリアのヒロイン(?)ムーブいいぞ!
[一言] 三乙女・・・? もう人外やん
[良い点]  カリアたんカコヨス♥
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