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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百三十八話『東方より来たれり』

「サレイニオ、ねぇ。そうか、死んだか。死んじまったのか」


 都市フィロスの外壁上。噛み煙草を口に咥えさせて、地平に連なる山脈を見つめる。太陽が名残惜しそうに茜色を照らし出し、そうして山間へと溶けていった。途端に夕闇が惜しげもなく頬を舐める。


 俺の言葉に呼応するように、ブルーダーは声を潜めて言った。


「……何だよ雇い主。兵を連れ込んできた政敵が馬から転げ落ちてくれたんだ。少しは喜ぶべきところじゃあねぇのかよ。悪くない、むしろ、良い事だろう?」


 ブルーダーの口調は珍しく機嫌を悪くしているように感じ取れる。別段、彼の命を奪ったことを攻め立てたわけではないのだが。


 頬を崩し、肩を竦めながら言う。ブルーダーの帽子の縁がふいと跳ねていた。


「ああ、そりゃあな。まるで悪くないさ。だがこれだけの事をしでかす爺さんだ。どれだけの人間か、と思うのが好奇心ってもんだろう」


 外壁から見下ろすと、多くの死雪が足跡に踏みにじられているのが分かる。眼を細めれば、今だ撤収しきれていない野営の跡も残っていた。その様子からは、千を超えるだろう兵を率いていたことが見て取れる。


 それもただ兵を率いるだけではなく、聖女マティアに反旗を翻させてだ。恐らくはろくでもない爺さんだったに違いない。


 ひょっとするとリチャード爺さんのような輩だったのだろうか。そう思うとやはり会いたくなくなってきた。


 未だ納得がいかないようなブルーダーに噛み煙草を投げ渡してやりながら、腰を下ろす。奇妙な事だが、随分久しぶりに腰を落とした気がした。


 王都陥落に魔人の顕現、その後には紋章教内の反乱ときた。どうにもここ近頃は、神様がこれでもか、さぁこれでもかとばかりに難物厄介事を俺に降りかからせてくれている。


 こんなにも気にかけてくれるなら、もう少し良い目に合わせてくれても良いのじゃあなかろうか。そんな事をブルーダーに言うと、生真面目そうな声が逆側から響いてきた。


「致し方ないでしょう。優れた奏者には、優れた楽譜が与えられるものです、指揮官殿」


 態勢を崩した俺やブルーダーとは違い、背筋を美麗に伸ばしたまま、ヴェスタリヌは踵を鳴らした。真面目というべきか、気の抜き方を知らないというべきか。鉄鋼姫殿は相も変わらずの様子で何よりだ。


 これで姉のブルーダーを見習って崩れた態度を見せられたらそれはそれで変な気になる。


 ヴェスタリヌは、こほんと喉を鳴らしてから言葉を続けた。


「……まぁ。休息を望まれるのであれば、姉さん共々、存分にお付き合いはしますが」


「それはいいな。どうせなら石木みたいにずっとこうしてたいもんだ」


 何ともありがたいことだった。何せ俺の周囲には癖の多すぎる気の抜けぬ連中ばかりだ。反面、彼女らと共にいるのは何というか、気楽なのだ。


 ブルーダーはかつての頃の唯一といって良い友であったし、それにヴェスタリヌが持つ傭兵特有の雰囲気は、俺には懐かしさすら感じるものだった。


 思わず、吐息が漏れた。白い煙を強く吐き出しながら、外壁にもたれかかる。宝剣がかちゃりと鳴った。


「それで、ブルーダー。頼んでた件だが、大聖教様に動きはあったのかよ。この騒動だ、手が付けられなかったってのならそれでもいいが」


 歯を鳴らしてそう言うと、ブルーダーは不服だとばかりに茶色いの髪の毛を崩れさせる。そうして俺と同じように噛み煙草を歯に転がして言った。


「聞き出す奴なら幾らでもいたさ。何せ、北方からこっちまで逃げて来る人間は腐るほどいたからな」


 実際、ここまで辿り着けずに肢体を朽ち果てさせ、腐臭を漂わせた奴もいただろうよと、ブルーダーは加える。


 なるほど。それは間違いがない。


 王都アルシェは魔人によって喰い尽くされ、最北端のスズィフ砦は大魔ゼブレリリスの手によって失陥した。今なお北方の都市村落はゼブレリリスの蠢きに怯え、唸り声に心臓を跳ね上げている。


 そんな状況では、たとえ生まれ育った土地であっても投げ捨て南方へ逃げるものは幾らでもいるというわけだった。


 瞼を軽く瞬かせる。第一、大魔や魔人でなくとも、魔獣でさえ人間には十分な脅威だ。本来抗うべき存在ではなく、盾と槍をもって追い払う存在だった。それが出来ぬなら、人間には逃げる事しか出来ない。


 俺だってかつての頃、幾度魔獣共の目を潜り抜けて命拾ったことか。彼らはただ生まれるだけで人間より遥かに強大だというのだから羨ましい限りだ。


「……そうだな、めぼしい所と言えば。ヴァレリィ=ブライトネス。雇い主と、ヴェスも知ってるよな。銀縁群青、番人様だ」


 顎を引いて頷くと、顔を固めたヴェスタリヌの表情が見えた。どうやら監獄ベラでの一幕を思い出しているらしい。


 俺としては一騎打ちの果てに散々な結果だったのだから、今一思い出してほしくはないのだが。腰骨が震えるように痛みを起こす。


「あの魔人と見紛う御仁なら、よくよく存じていますよ姉さん。彼女が何か?」


「奴は今じゃ北方の守護者様だ。あれが指揮する軍隊が、唯一魔獣群を食い止めてる……知ってるか雇い主。大魔ゼブレリリスってのはな、本当に山か城が動くほどにでかいらしいぜ」


 それをどうやって食い止めるんだよ。ブルーダーは両手を挙げながら、大仰にため息をついて言った。


 肩を竦めて返事をする。俺もそこの所がまるで分からない。


 かつてヴァレリィ=ブライトネスは十二度魔獣群を追い散らし、ガーライスト王国がその準備を整えきるまでスズィフ砦を陥落させなかった紛れもない英雄だ。


 例えどれほど有り得ぬ事であっても、あの群青の英雄ならやってのけてしまうのではないかと思えてしまう。


 だが、そう。確かかつての彼女は魔人と血みどろの一騎打ちの果てに戦死したと伝え聞いた。今回も同じ轍を踏むのか、それとも鮮やかに飛翔して見せるのか。それは分からない。


 もはやこの時代は余りに流れを変えすぎた。どれもこれも、俺の知っているかつての頃から足をはみ出している。俺の分かることなどもう僅かだろう。


 だが、一つだけ断言できる事があった。唇を歪め、吐息を漏らす。余り思考に耽りたくはなかったのだが、こうも静かだとどうしても考え込んでしまう。


 かつての頃に大地を思う存分蹂躙してみせた移動災害、要塞巨獣ゼブレリリス。森林も建築物も獣も人も、等しく食い荒らし浪費するアレ。

 

 ――今の紋章教に、奴を止める手立てはない。接敵すれば間違いなく全滅する。


 あの巨物をどう殺す。カリアの有する戦撃も、フィアラートの戦場魔術も、エルディスの呪いですら、あれに指がかかるのか分からない。俺なぞ当然に毛先を動かすこともできまい。


 それでも、殺さねばならない。あの災害を。


 正気じゃあないと自分で分かる。ヴァレリィ=ブライトネスが、純然たる英雄が敵わなかった存在を俺がどうにか出来るとも思えなかった。


 それでも諦めてやるのは堪らなく嫌だ。そんな様で、奴に顔を合わせられるものか。黄金の姿を僅かに思い浮かべていると、くいとブルーダーが俺の顔を覗き込んだ。


 眼を動かして、何だとそう呼びかける。


「酷い目つきだ。何時にもまして悪人みたいになってるぜ雇い主」


 それを聞いてヴェスタリヌが虚を突かれたように咳き込んだ。恐らく生真面目なヴェスタリヌはこの手の冗談を余り用いないのだろう。目を白黒させているのが何となく愉快だった。


 肩を傾け、生まれつきだとそう返すと、ブルーダーはため息をついて言う。


「そうじゃあねぇよ。無理してるんじゃあねぇのかって言ってんだ。忘れんなよ、俺様も、ヴェスも、そうして雇い主だって人間さ。一人でやれる事には限度があんだぜ」


 それとも英雄様は人間なんてやめちまったのか、とそうブルーダーが頬を緩めながら問うてくる。実にブルーダーらしい心配の仕方だった。

 

「ええ。私も姉さんも、指揮官殿の命令であれば付き従いましょう。それが朝であろうと、夜であろうと」


「ありがたい話だ。ああ、田舎にでも引っ込みたくなるね」


 ブルーダーが、僅かに眼を大きくしてまた口を開く。他愛ないやりとりが数度あった。


 そうして、そんな余暇ともいえる僅かな幕間。その後には当然のように、新たな幕が開くというものだ。そうして誰もが思い知る。一日、一睡、一呼吸の間にすら。


 ――人間には破滅が迫っているのだと。


 報せは、東より来た。自治都市領に向け、東方の雄ボルヴァート朝が侵攻を開始したと。

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