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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百三十六話『一つの終わりと始まり』

 ガーライスト王国上空。


 人々を彼方に見下ろしながら、魔人、宝石バゥ=アガトスは身体をもぞつかせた。自らの肉体を宝石に支えさせたまま寛いだように欠伸をする。


 視線の先にあったのは人間達の営みだ。遥か上空からは虫が動いている程度にしか見えないが、それでも何をしているかは分かる。昼も夜も問わぬ、王都の復興作業だろう。


 よくも飽きないものだと、アガトスはそう思い眼を拉げさせた。


 ついこの前魔人ドリグマンとの対立によって燃え立ち、見る影もなくなった王都は今、ようやく人間達の手によって緩やかな復興を見せている。


 毎日毎日、どこからか人間達が湧き出てきては家屋だの教会だのを造り上げていく。どうしてそうも同じことだけを繰り返せるのだろうか。アガトスは実に不思議だった。


 人間の誰も彼もが、かつての栄光を失ったというのにその気力を失ってはいない。むしろ失ったからこそ、再び立ち上がろうと気力を振り絞っているのかもしれなかった。


 当初はそのような気位は何処にもなかっただろうに。


 恐らくは彼女らの影響なのだろうと、アガトスは思う。常に民衆の前に立ち、寝食すら忘れたかのように動き回るあの女達。


 紋章教聖女マティア、そうして今や王都の主として振舞う妾腹の王女。あれらが旗印となってこの王都は、今再び輝きを取り戻さんとしている。


 やはり人間というものはよくわからぬと、アガトスは小首を傾げた。


 そんな事に何の意味があるというのか。一度壊されたものは、再び壊される運命にある。幾ら渾身を込めて復興を成し遂げようと、魔人が姿を見せれば一晩で吹き飛んでしまうだろうに。


 無論、アガトスとてその魔人の一つだ。失われた魔力が戻りさえすれば、この都市そのものを美麗な宝石に変えてしまっても良いとすら考えている。


 そうすれば宿主たるレウも考えを改めるであろう。それに、己以外にもすでに多くの魔人が目覚め始めていることをアガトスは知っている。


 そうしてその中には、己よりもっと残酷な者など幾らでもいた。ドリグマンや己など、ずっと可愛いものだ。


 彼らの虜となってしまう事を考えれば、人間とて己の宝石として共にあった方が幸せに決まっている。


 そう思いながらアガトスはふと自らの真下に視線をやった。そこでは相変わらず、黒髪をはためかせた女性が何事かを叫んでいる。


 またかと、アガトスは白い髪の毛を揺らした。


 彼女も少しは魔力で空を駆けるコツを知ったのか、徐々にその声はアガトスへと近づき始めていた。胸中で、レウがアガトスの名を呼ぶ。言われずとも気づいているというのに。


 アガトスは大きくため息をつきながら、自ら高度を下ろして黒髪を迎えに行った。中空に浮かぶ身体を抱き留めてやると、黒眼がじぃとアガトスは見て言う。僅かに息が切れている様子だった。


「貴方、ねぇっ! 何時まで上にいるつもりよ! 少しはその子の身体を休めさせると約束したでしょう」


 用件はこの手の事だろうと、アガトスには想像がついていた。唇を尖らせて言葉を返す。


「あのねぇ、何度もあんたには言ってるでしょう。私は宝石なのよ。あんたたちには魔人って言った方が分かりやすい? この程度の事で疲れも、死にもしないの。魔力さえあれば食事だって趣味の領域よ。弱っちいあんた達とは出来が違うのよ。おわかり?」


 例えレウの体躯が人間のそれであろうとも、もはや内部はまるで違うものに作り替わっている。力が強いものと弱いものが混じり合えば、弱いものは自然と強いものに靡くもの。


 もはやレウの肌は剣の鋭さも通用しなければ、生半可な魔術も意味を成さない。アガトスが意識をしてレウの魂を残していなければ、魔人として完全な姿となる事も可能だろう。


 ゆえに食事も休養も不要なものだと語るアガトスに、フィアラートがまた何事かを言おうとした瞬間だった。


 アガトスは自らの眼を見開く。そうして自然とフィアラートを抱き留める手を強く握っていた。喉を唾液が這い上ってくる気配がする。


 嫌な、とてもとても嫌な風が鳴った。


 ――アガトスの魂が、忌々しい咆哮を感じた。瞼に想像されるのは、破滅の権化、大魔ヴリリガント。

 

 アガトスにとって最も目覚めて欲しくなかった存在が、目覚めた音がした。無論、心の奥底では、何時かこの時が来るだろうと理解はしていた。


 何せかつての精霊神ゼブレリリスすら、今再びこの大地に降り立っているのだ。ならばかつて空の神を名乗ったヴリリガントが、同様に眼を開いたとて何らおかしな事ではない。


 恐らくは奴に仕える、毒物や歯車も蘇ったのだろう。額に冷たいものを流しながら、アガトスは思う。


 ますます持って、駄目だ。


 ヴリリガント、そうしてその配下の魔人らは人間を明確に敵視している。あれはより積極的に人間を食らい、殺し、そうして滅ぼすだろう。


 ゼブレリリスにヴリリガント。そうしてその魔人達。彼らが顕現した以上、もはや人間国家などそう長くもちはしない。かつての頃そうであったように、このままでは当然のように大陸の覇者が魔性となる時代が来る。


 だが、それをあの女――人類英雄アルティアが何故許すのかがアガトスには分からなかった。今、魔性を制しその根源を握りしめているのはあの女であるはず。ゼブレリリスもヴリリガントも、アルティアに魂を握り込まれているはずだった。


 それが。どうして顕現を許された。


 アガトスが知る限り、アルティアはかつて自らの仲間たちと共に、並みいる神と魔性を粉砕した。幾度も血と嗚咽を吐き出しながら、間違いなく人類を救うため、人類の尊厳と自由の為に戦った。だからこそアレは人類神話となったのだ。


 その女が今、どうしてかつて敵対した大魔、魔人らを解き放つのか。そこの所がアガトスにはまるで想像がつかない。


 ある意味で、アガトスという魔人はどうしようもなく純粋だ。愛しいものは抱き上げ、憎々しいものは噛み潰す。


 美しい宝石には一滴の汚れも許されないのと同様に、彼女には濁りがない。それゆえに他者が持つ二面性というものを彼女は今も昔も、決して理解が出来なかった。


 アガトスは顔を俯けながら言う。ふと、思い当たる所があった。

 

「……フィアラート。そう言えばアレは何処にいったのよ。あんたのつがい。今の人間の英雄はあいつなのよね。人間の英雄っていうのは、どんな考え方をするものか聞いてみたいわ」


 つがい。そう言われて一瞬フィアラートは何のことか分からぬような顔をした。


 そうして一瞬の後には、目を見開き頬を少しばかり染めながらまた大きな声を出す。何を動揺する事があるのだろう。よもや、今更つがいではないというつもりなのだろうか。


 どうにもやはり、人間の心情の機微は分からないとばかりにアガトスは唇を尖らせた。


 

 ◇◆◇◆



 ガーライスト王都アルシェより南方、傀儡都市フィロス。


 元老サレイニオ、およびその側近らによる反乱は、完全な沈黙を迎えていた。旗印となるべきサレイニオは落命し、都市フィロスにはルーギス及びカリアが帰還。反乱軍による奇襲は、ラルグド=アンの策謀によってその優位性を失った。


 もはや反乱軍に抗うだけの力も意志もなく、歴史上では都市フィロスの喉元まで迫った反乱は、この時点で鎮圧されたものと扱われる。


 だが今を生きる当人らにとっては、これで全てが解決したとなるはずもない。反乱軍主力の処分、兵の取り扱い、今後の組織体制の組み換え。紋章教に残された課題は数多い。事後処理こそが本当の戦争だという者もいる。


 そうしてこれも、恐らくは事後処理の一端なのかもしれなかった。ラルグド=アンは頬に張り詰めたものを感じながら、眼を静かに隣へと向ける。


 頬をひくつかせたルーギスが、視線を逸らすように顔を背けた。


「英雄殿……? 出迎えてくださったのは嬉しいのですが、これは……どういう……?」


 ついつい、追い詰めるような色が言葉にこもってしまった事も仕方がない。いいやむしろ直接的な言葉を使わなかった分、情が有るというものだろう。アンは震える唇を抑え込みながら再びその状況を直視した。


 都市フィロスの城門前、そこに立ち竦む者らを硬直させながら、彼女らはいた。


 片や空間を歪ませるほどの殺意を滲ませながら黒緋の大剣を振りかざし、片やそれを受けて尚揺らぐ事なく豪壮たる黒色具足を輝かせている。


 英雄の盾たるカリアと、イーリーザルドが闘士テルサラット=ルワナ。比類なき武威を有する彼女らが、どうしたわけか殺意を振りまきながら対峙している。


 いいや実際の所、アンには理由がわかっていた。


 アンが敵陣営を説き伏せ都市フィロスへと舞いもどった際、どうした事かルーギスがアンを出迎えた。


 早急に駆けつけるというのは信用されていないという事か、など思うところもあったが。それでもやはりアンも悪い気はしない。少なくとも英雄殿に命を案じられる程度には意識をされているという事ではないか。それも態々と出迎えてくれるなどと。


 ああ、そうだとも。珍しく英雄殿がそのような気遣いの素振りを見せたのがきっと最初の予兆だったのだ。


 ルーギスの姿を見て、アンも一瞬安堵と共に呼気を吐き出してしまった。引き締めていた精神が、あっさりと緩んでいくのを感じていた。


 その合間を突いたかのように、傍らのテルサラットがルーギスの名を呼んだのだ。まるで敬意でも示すような口ぶりで。そうしてそのまま、全身を以って抱き着いた。


 当然、ルーギスの傍らには盾とも懐刃とも言えるカリアがいたわけで。


 それからの事はアンも思い出したくはなかった。


 アンは問い詰めるようにじぃとルーギスを見つめ続ける。そうすると観念したようにルーギスは言った。


「……分かった。俺が悪い。分かったよ」


 そう言って大きく息を吐くルーギスに、満足気にアンは頷いた。此方は命がけだったというのに、再会して最初に見せつけられたものが此れなのだ。


 少しばかり、意地を悪くしても良いだろう。アンは頬を緩ませながら唇をつりあげた。

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