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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百三十五話『天城巨獣』

 ガーライスト王国の東方に位置する独立自由都市群より更に東。大陸東方部一帯は、魔術国家ボルヴァート朝の支配下にある。


 それゆえか此処は魔術師が生まれ、そうして没する場所とそう呼ばれる。

 

 魔術文化を色濃く受け継ぐこの地において、魔術は日常生活に根深くしみ込んだ切り離せぬものと言って良い。


 他国では異質な扱いを受けることがある魔術も、此の地方においては良き隣人にすぎなかった。


 魔術師が魔を込めた石は夜を煌々と照らし出し、医術では決して癒えぬ傷が魔術の名においては完治する。


 ボルヴァート朝における魔術水準は、大国ガーライストと比較しても容易く置き去りに出来るほどのもの。比肩する存在を探す事すら出来ない。その事から口さがない魔術師などは、他国の事を未開国家などとそう呼んだ。


 とはいえ、魔術が全てを解決したわけではない。如何に魔術の栄光が輝かしくとも、誰もがその恩恵にあやかれたわけでもなく。また魔術が尊ばれるからこそ、魔術師とそうでない者らの隔たりは果てしなく深い。


 魔術を至高のものとするその不寛容さこそがこの国家と地域の象徴であり、そうして未開国家ガーライスト王国に未だ追いつけぬ何よりの要因だろう。


 魔術の光が素晴らしければ素晴らしいほどに、彼らは他のものに目を向けることが出来なくなる。


 だがその栄光の灯も、大災害という絶え間ない嵐の前に、何時にない陰りを見せ始めていた。


「アァ。腹が……減った。だが、生きるとは空腹だわな。腹が減るから吾らは生きる。満腹続きなら生きる気ぃもおきん。違うか、どう思う? そう思わんか」


 その言葉は放り投げるように、口から出された。出したのは大柄な男だ。だが、人間ではなかった。


 顔は羽に覆われ、口には人間の頭を丸ごと呑み込めそうな嘴がついている。そうして両腕は翼が奇妙に変形し、歪みを起こしたような姿をしていた。


 彼は翼を器用に動かしながら、目の前の人間の頭を掴み取った。そうして聞く。どう思うかと。人間の女は答えなかった。いや、もう応えるだけの気力も残っていなかったという方が正しい。


 女には両腕がなかった。先天的なものではなく、食いちぎられたように痛々しい傷跡が見えている。大量の血を吐き出しただろうに、彼女は決して意識を失わなかった。


 また女には両脚もなかった。これもまた、腕と同じ有様だ。無理やりに手足を引きちぎられ、本来であれば当然に死んでいるか、悪くても気を逸しているはずだった。


 だというのに未だ正気は失われず、安楽の死も彼女には訪れない。


 それは彼女が魔術師であるからこその不幸なのか。


 もしくは、大鳥の姿を見せる魔人――毒物ジュネルバの影響であるのかは分からない。けれどもただここにある事実として、今だ女はジュネルバの玩具だ。


 ジュネルバは回答が無かった事にため息をついた。何気なしに嘴が、女の肩の肉を喰う。女が久方ぶりに声を漏らした。嗚咽とも悲鳴ともとれる声だった。


「くはは。しかし、凄いもんだわな。笑いも出る。吾は褒めてんだぞ、人間がこんな事しでかすようになるとは、ちぃと前のゼブレリリスの時代何かには考えられなかったわ」


 そういって、ジュネルバは其れを見上げた。ボルヴァート朝を構成する五大都市の一つ。その都市が今、薄い緑の煌めきに覆われていた。


 大規模魔術結界。境界魔術の一つ。己と敵を隔絶し、絶対の守護を約束するもの。それが都市一つを完全に覆い尽くしている様子は壮絶の一言だ。


 他国の人間が魔術結界を扱うにしても、己の周囲や空間を覆う程度が限度だろう。小規模な村に対し同じような真似をする事すら不可能だ。此れだけの事が出来るのは、一重にボルヴァート朝が国家をあげて魔術の叡智を求めたがゆえに違いない。


 当然、何ら代償がないわけでもないが――精々維持し続ければ都市内の人間の命数を悉く吸い尽くす程度のものであろう。

 

 何せ今この結界が存在しなければ、都市一つが丸々ジュネルバの餌場となっていた事を考えると安い代償なのかもしれない。少なくとも人間としての尊厳を保って死ぬことは出来る。


 何せ魔人を打破するために遣わされた精鋭の魔術兵らが、今こうしてジュネルバの手元で食料になっているのだ。正面から立ち向かったとして、どれほどの結果が待ち受けているか知れたものではなかった。


 人間にとってはただじりじりと、身体から血液を吐き出し続けるような日々。そんな様子でもジュネルバにとっては紛れもなく驚嘆だ。過去の人間の惰弱さを思えば、魔人に対抗する手段を持つ事すら考えられなかった。


 ジュネルバは猛禽の眼をくいと拉げさせて空を仰ぐ。僅かに影が見えていた。


「マ。凄いっちゃ凄いけど、それだけだわな。アルティアは、これくらいの事一人でできたからよ」


 今まで弄んでいたはずの女の腸を、遠慮なくジュネルバは嘴で穿った。もう、無理やり持たせる必要もなくなったからだった。


 血肉が弾け飛び、文字通り腸を生きたまま喰われる激痛が女の中を這いまわる。五感の全てが、その苦悩一つにすり潰され壊されていく感触があった。大きすぎる刺激が、女の思考すら奪っていく。


 けれど、女にも意地というものがあった。彼女は魔術師だ。誇りがあり、栄光がある。だから最後の最後、敵が大口をあけて油断をする時を待っていた。


「あ、が……し、ね。殺して、や、る……っ!」


 それは呪文というより、もはや呪いに近しい。ジュネルバが開けた口を目掛け、女の血が跳んだ。それらは姿を変え、剣となり槍となって殺到する。


 魔力が最も通しやすいものとは即ち血液だ。血液は魔術師の魔力に生まれたころから慣れ親しみ、その特色を何よりも知っている存在なのだから。

 

 女の血液は硬化しただ殺意だけを有しながら、ジュネルバを殺すために唸りをあげる。それで良い。何せもう己は死ぬのだからと女は双眸を見開いた。


 色濃い呪いと共に吐き出された血液の武具達。


 けれども勇ましく振るわれた其れらは、ジュネルバの身体に欠片も入り込むことはなく、そのまま溶けていった。


 いいや血液だけではない。女の肌、歯、骨、臓器。それらがみるみる内に溶け落ちていく。もはや悲鳴もあげられなくなりながら、女はとうとう気を逸した。


 もはや痛みかどうかすら分からない、全身が熱湯と化するような筆舌しがたい感触に襲われたまま、待望の死を彼女は迎える。


 その死の間際、女は空にそれを見た。そうして言葉もないままに、絶望を抱いて死んだ。


「ようやっと王さんも到着してくれたわ。これで今日は愛しのラブールの下に早く帰れるわな」


 ジュネルバが、溶解した女になぞ目もくれず空を見る。


 視界に映るものは、空そのものを覆い尽くすかのような大翼。巨体に陽光が食らい尽くされ、その場はいち早い夜を迎えた。それこそがジュネルバ、そうして空を故郷とする者ら全ての王。


 ――天城巨獣。大魔ヴリリガント。

 

 竜が、吠える。かつて喪った自らの心臓を追い求めるように。天の覇者から追い落とされた己を侮蔑するかのように。


 それはもはやそれそものが脅威であり、人の子を容易く殺す竜のブレス。ただ純粋に力強き者を前にして、人は耐えうる力を持たない。


 ぐしゃりと、あっけなく都市を覆い尽くす魔術結界が崩れ落ちる音がした。


 その衝撃に大多数の人間が打ち殺され、死を逃れた者も自らの運命を確信する。この大災害を前にして、人間に出来うる事など何もないのだと。


 大魔、魔人。災害存在たる彼らを前にして、鉄の剣も祝福に満ちた矢も、優れた魔術も全ては意味を失う。洪水を前に剣を向けた所で何の意味もなく、大嵐に対し矢を射かけた所で何一つ影響がないのと同じ事だ。


 だからもう、此の都市の命運は決まってしまった。


 要塞巨獣ゼブレリリスを前にして、難攻不落たるスズィフ砦が陥落の憂き目を見たように。奇跡も、慈悲も、救いもなく。


 この日ボルヴァート朝の五大都市の一つは、災害を前に消滅した。


 家屋も都市を覆う城壁も、魔術師もそうでない者も、ある種全て平等に。一夜の内に消え去っていった。


 大地の一切を食らい尽くすゼブレリリスと対を成す存在、ヴリリガント。

 

 この邪竜の存在をもってして、ボルヴァート朝及び大陸東部地方一帯は、絶対的な魔術信仰を悉く喪失する事になる。

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