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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百三十二話『憎悪の行方』

 バーナードによる都市フィロスへの進軍敢行。


 意外な事にその場にいた千余りの兵の大半が、この進軍に付き従った。サレイニオの遺骸が鳥獣に食い荒らされぬようにと残った者以外はほぼ全てだ。


 誰もが目的を欲しがっていた、不安をかき消すべく自分のすべき事が欲しかったのだ。指揮官のサレイニオが失われ空白となったその場所に、バーナードの言葉が突き刺さった。


 バーナードは波打つ刃を腰に提げながら、先頭を行く。もはや都市フィロスの影が視線の先に見えていた。


 サレイニオの遠征、その戦術目標であった都市。現在の紋章教拠点の東西を繋ぐ此処を陥落せしめれば、聖女も此方と交渉の席に着かざるを得ぬ。


 無論、サレイニオ亡き今となってはそう簡単に事は進まぬ事をバーナードはよく理解していた。聖女側との交渉も、彼の影響力あって初めて上手く行くものだろう。


 だがだからといって易々と事を諦めて膝をつくのは、サレイニオへの裏切りのようにバーナードには感じられた。兵達もまた、同じ想いを抱えている。


 だから、足を止めるわけにはいかなかった。少なくとも、己らが信望した者に対する裏切りは犯したくない。そんな信仰とも意地ともいえる感情が、彼らの臓腑の底に泥のようにはりついていた。


 バーナードの頬を冷たい風が薙いで行く。眼球が乾燥し、眦が痛んだ。


 都市フィロスの城門は多少の修繕はなされたとはいえ、過去魔獣の襲撃を受けた際の綻びが未だ多く存在していた。決して堅牢ではないとそう言える。バーナードは傭兵時代、こういった都市はよく見てきた。


 門を値踏みし、心臓が強く脈動したころ合い。バーナードの眼前で、その門が軋みをあげて口を開きはじめた。


 何故だ。バーナードは疑問を抱きながらそれを見る。彼らの兵は未だ少数であるはずであって、それに兵を率いれる将も今はいないはず。門を開いての会戦など出来るはずがない。


 だが次の瞬間、そんな疑問を弾き飛ばしてバーナードの眼が痙攣する。剣を腰から抜きながら、足を速めた。敵が城門を開いた理由が分かったからだ。背中越しに兵のざわめきを感じていた。


 城門正面から、馬に乗ってそれは来た。緑色の軍服が、死雪の中に映えている。


「……お前らは、攻めかかってきた敵でいいんだよな。紋章教同士じゃあ、敵も味方もはっきりわかりゃあしない」


 どこか飄々とした様子で、男は言った。傍らに彼の懐刃たる銀髪の女性が並んでいる。


 彼こそがサレイニオが兵を挙げた最大の要因。紋章教勢力拡大の立役者。英雄、もしくは大悪と呼ばれる者。


 ルーギスその人が、背後に兵を率いながらフィロス門前へと姿を見せていた。バーナードの瞳が、大きく開く。


 そうか、そういう事か。バーナードは全て納得したように眼をすぅと細めた。


 やはりこの大悪がいたのだ。ラルグド=アンの背後には。ああ、彼の為に我らが主は死んだ。


 憎悪すべきその相手が今眼前にいる。バーナードは、胸中に沸き立つような感情が込み上がってくるのを感じていた。



 ◇◆◇◆



 僅かに息が口から漏れ出る。それは白い靄となって中空に飛び出ていった。つい先ほどまで馬を駆けさせていたものだから、まだ肺がその身を躍動させている。


 眼前に迫る兵の一隊にじぃと視線を這わせる。警戒はしていたが、有無を言わさず此方に襲い掛かってくるという様子ではなかった。隊長格らしき長身の男が、威風堂々と前へと進み出る。


 傍らでカリアが、その視線を固く強めたのが分かった。


「如何にも。我らが指揮官サレイニオ様は貴方を敵と仰られた。ならば我らは敵同士だろう!」


 その言葉に思わず眼を丸くする。余り予想はしていなかった返答だ。


 何せ敵であるというのならば、我らこそは味方であると言っておけば此方を奇襲できたかもしれないだろうに。それを俺が信じるかどうかは別の話だが、それでも惑わすくらいの意味はある。


 どうやら彼は、俺のような者と違い全く実直な人間のようだった。参ったな、こういう手合いは余り敵に回したくない。


 何せ今回は紋章教内の喰らい合い。相手が正直であればあるほど、味方の兵らもその指に力が籠るまい。それにどうせなら敵は卑劣で凶悪であってくれた方が、こちらの僅かばかりの良心も痛まぬというものだ。


 傍らで手綱を引きながら、カリアが口を開く。銀髪が揺れ動き、光沢を示していた。


「ならばサレイニオとやらは何処にいる。指揮官であるならば、前に出て言葉の一つでも交わしたらどうだ!」

 

 長身の男の表情が歪みを起こし、眦が吊り上がる。彼は剣を振るいながら声を張り上げ言った。その切っ先が真っすぐに此方を向いている。


「何を言う! 我らが指揮官を、サレイニオ様を卑劣な罠に掛け殺したのは貴様らではないか! よくぞその口で語ったものだ!」

 

 カリアの眼光を跳ねのけるように彼は言った。長い腕が振るわれ、一歩彼が前へと踏みでる。眼が燃え立つように波うっているのが分かった。率いられた兵達もまた、男と同じ眼をしていた。


 その瞳が示す感情を、俺はよく知っていた。何せ俺自身よく親しんだものに違いない。


 そうしてその感情を抱えた人間は、大抵がもう後ろに退けぬのだ。例え頭では不合理だとよくよく理解していようと、心がまるで承知をしない。憎悪という感情は、人を容易く逃しはしない。


 アンはサレイニオと交渉をするために都市を出たと兵は言っていた。そうして、ブルーダーとヴェスも連れたったと。なるほどそうか、どうやらアンが上手くやりすぎたのだろう。流石といえば流石なのだが。


 反乱や革命というものは、大抵首謀者が命を失えば、それで全ての勢いは死んでしまうもの。アンもきっとそこに狙いをつけた。彼女の才覚は、それを見事成し遂げたのだろう。


 だが、だからといって皆が皆足を止められるわけではない。何かに牙を突き立てねば、他の道には進めなくなってしまう人間がいる。


 俺がそうであったように、彼らもまたそうなのだ。小さく息をついた。


 長身の男が、刃を俺に向けたまま口を開いた。視線が俺の頬を貫いている。そこには圧すら感じるほどのものが込められていた。


「――大悪ルーギス。私と堂々たる刃を交わして貰いたい! 貴方に戦士としての誇りがあるのであれば!」


 声が中空をよく走る。男の浅黒い肌がよく研ぎ澄まされていた。詰まりは、一騎打ち、決闘のお誘いというわけだ。


 以前、大嵐ヴァレリィ=ブライトネスから投げかけられたものと比べて随分と上品な誘われ方だった。彼を育てた者は案外品の良い者だったのかもしれない。


 カリアが俺の名を呼び、馬を軽く嘶かせた。分かっていると応じるように小さく頷き、口を開く。


「良いだろう! 誇りがどうという気はないが、もはや其れ以外分かり合えんというのであれば、仕方がない」

 

 実際の所、兵は俺が連れてきた分を含めても此方の方が少数。籠城をしようにも軍備は殆ど整っていないこの状況だ。正面からお互いを喰い合うという事は避けたい。


 それに俺自身、出来うるなら兵を殺しすぎたくはなかった。これは紋章教内部の抗争。もし兵が死に過ぎれば、必ずそこに遺恨は残る。


 そうしてそういうものは、大抵が最低最悪の時に再び芽吹いてくるものだ。


「おい、待て。貴様が出る必要などない。私が一息に片付けてきてやる。今度こそ、貴様はそこで見ていろ」


 カリアは僅かに苛立ったような声で言った。銀の眼が、揺らめきを帯びて俺を見据えている。


 いやまぁ、恐らくカリアの思惑とは異なるだろうと思ってはいたのだが。それでも自分が出ると言い出すとは思っていなかった。


 カリアを抑え宥めつけるように見つめながら、口を開く。馬から降り、馬上のカリアを僅かに見上げる形になった。


「駄目だ、奴は俺が憎いんだよ。もう感情をぶつける所が俺しかないのさ……どう言い繕っても、今回の内紛は俺が原因だからな」


 復讐心とは心に住む悪魔であり、安らぎだ。報復は誰もが有する当然の権利でしかない。其れを散々行ってきた俺がどうして彼を拒める。


 もはや理性で語るべき話ではない。彼の中に横たわる激情が、俺に刃を向ける以外の解決策を見いだせぬのだ。


 俺では不安かと、カリアに問う。それを聞いてカリアは僅かに唇を尖らせて言った。


「……いや、承知した。そういう意味ならば良い。だがたまには盾を頼りにしてほしいものだ」


「何時だって頼りきりさ」


 腰から宝剣を引き抜いて、紫電を這わせる。強く握ると、呼応するように宝剣は切っ先を鳴らした。もう随分と長い付き合いな所為か、まるで会話でもしているような気分になってくる。今日は余り乗り気ではなさそうだった。


 歩を進めながら、男を見つめて言う。


「悪いが、俺は不出来なもんでお前の名を知らなくてな。名前は何ていうんだ」


 剣を構えながら、男は口を開いた。波打つ刃に陽光が反射し、茜色を見せている。


「バーナードだ。サレイニオ様の意志の下、貴方を殺す。貴方が生きる限り、私に平穏はない」


 果たして言葉はそれが最後だった。もはや言葉を交わす時間は終わった。刃と血だけを交わす時間が、此処にあった。


 鉄が強く鳴っていた。

何時も本作をお読み頂きありがとうございます。


皆さまにお読み頂ける事、また頂けるご感想等、全てが日々の励みになっています。


さて都度の告知となるのですが、本日ニコニコ静画様、ComicWalker様でのコミカライズ更新日となっています。


ご興味おありであれば一読頂ければ幸いです。


何卒、よろしくお願いいたします。

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