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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十五章『背徳編』
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第四百二十五話『勇敢と無謀』

 自分は勇敢か、それとも無謀なのか。


 それは先の見えぬ道に進もうと決断した人間が、一度は心の中で己に投げ打つ問いかけだ。


 己の決断はあっているのか、それとも誤りなのか。どれほど強靭活発の精神を持つものであっても、一時くらいはそのような無為な問いに思い悩むもの。


 何しろ決断というものは勇気を有さねばならず、そうして勇気は時に命を対価とする酷薄な存在だ。


 都市フィロス郊外にて、ラルグド=アンもその問いかけを己に行っていた。己は勇敢なのか、それとも甚だ無謀なのか。


 やはり、アンにも答えは出そうになかった。


 そも勇気などというものについて、彼女は今まで知性を走らせた事もない。物事には常に有利不利があり、そのふり幅が有利に傾いているのであれば動き、不利であるならば動かぬ。アンにとって現実とはそれだけのはずだった。


 勇壮さや果敢さなどというものは、前へ進むための一滴の高揚薬のようなものであって。真に問いかけるに値しないものだと、真の所でアンは思う。


 だがそれでも、己が身が崖の淵に置き去りにされれば、勇気などというものに縋りついてしまうのだから己も大した人間ではなかったと、アンは一人胸中で嘲弄した。


 もし己が大人物であったのならば、窮地に陥る前に何かしら手を打っているものだろう。誰かを真似て小さく肩を竦めながら、アンは笑みに近しいため息をついて手綱を引く。


 その視界の先には亜麻色の天幕がもう見え始めている。この時節に都市フィロス近郊にて天幕を張り野営を行うという勢力はただの一つしかなかった。


 そこにはサレイニオと側近らが牙を立てて待ち受けているはずだ。先導をさせた反乱兵が己を謀っているという危険性もあるにはあるが。恐らくそれは無いとアンは踏んでいる。


 何せ斥候が言うには、サレイニオらの此処までの道筋は、恐ろしいほど整然とした手本のような行軍であり。そうして周辺村落からの物資徴発は一切を行っていないとの報告だった。また紋章教と繋がりがある各都市にも根回しは済んでいるのだと。


 用意の良い事だった。もう少しばかり杜撰な相手が敵であれば、己も身を危険に押し出すような真似をしなくてすんだのだが、とアンは馬上にて歯噛みする。


 だがそれらの行いから、サレイニオの掲げる方針はよく見えた。彼は何より、名分こそを第一としている。感情に任せた行軍ではなく、その行いの先にも組織が存続する事を踏まえた行動しか取っていない。


 だからこそ兵をあげる理由も、ラルグド=アンの専横を征する為のものである、という旨の内容だった。己の利得でなく、紋章教が為に兵をあげたのだとそういうわけだ。


 ゆえに、大義名分なければ動くことは出来ないはずだ。特に、今の同行者が共にあっては。

 

「ラルグド=アン――あれですか。あの砂色の天幕がガーライストのものなのですね」


 轡を並べる同行者。南方国家イーリーザルドが高位闘士テルサラット=ルワナは、アンの張り詰め切った胸中を知る由もなく興味深げにそう声をあげた。


 そのよく通りながらも何処か緊張感を持たぬ声に、アンは苦笑をして返す。肩から知らず力が抜けていくのが分かった。


「はい、テルサラット様。砂色とは余り使いませんが、此方では一般的な天幕はあの色合いです」


 テルサラットは興味深げになるほどと頷きつつ、その瞳の奥に光をため込んでいる。ここに至るまでの道程だけで分かってしまった事なのだが、どうやらテルサラットという人は、元より好奇心旺盛な人であるらしかった。


 目につくもの耳にするもの、あれは何かと口にするテルサラットの事を、アンは無礼とは思いつつも少しばかり子供らしさを持った人だとそう感じた。大人びた風貌との相違が余計にそれを引き立てる。想像していた人物像とは随分と違った。


 イーリーザルドの高位闘士といえば、砂石の国で常に研鑽と鍛錬を欠かさず、そうして国家を守る矛となり盾となる誇り高き存在だ。命すらも省みず戦場に赴く生き方は、時にガーライストから蛮たるものだと評されることもある。


 そんな、生涯の多くを武に捧げているであろう人間が、子供のような素直さを持ち合わせていることがアンには意外だった。無論、良い意味でだが。


 今回、サレイニオとの会談への同席をテルサラットに願い出たのは、彼女がイーリーザルドよりの使者であり、そうして高位闘士という地位ある存在だという事も大きかった。


 サレイニオが万が一彼女を害するような事があれば、間違いなくイーリーザルドはその狂暴な牙をむき出しにする。魔人災害を被っているとは聞くが、それでも彼らは必ず報復を行うだろう。


 イーリーザルドとは、彼の国の民とはそういう存在だ。資源が貧しいゆえに、狂奔とも言える本能を誰もが持つ国家。砂石の国よりも、鉄血の国といった方がよほど良いかもしれなかった。


 アンはテルサラットに対し、紋章教の元老と会談をしにいくのだとしか伝えていない。その立会人になって欲しいのだとそう願い出た。


 そうしてその旨を使者を通じてサレイニオにも伝達している。サレイニオも此方の意図は理解しているはずだ。


 テルサラットに牙を向ければ必ずイーリーザルドを敵に回すことになり、もしもアンだけをその場で捉え首を刎ねたとすれば、紋章教勢力が内部分裂を行っている脆弱な組織だとイーリーザルドに筒抜けになる。


 それはサレイニオとて決して望む所ではないはず。


 それよりは、此方の落としどころに首を頷かせてくれるのではないかとアンは思う。だがどちらにしろ賭けである事に違いはなかった。何しろこちらは少数の兵しか護衛につれていない。もし槍をむけられてしまえば、その時点で終わりだ。


 サレイニオという人は心の何処かに底知れぬ物を飼っている。聖女マティアにしろ、英雄ルーギスにしろ同様。恐らく上に立つ者というものは、そうでなくてはならないのだ。


 サレイニオの陣につけば、肌に感じるほどの視線がアンに突き刺さった。アンは礼服を正しながら、毅然としてそれらを跳ねのける。


 もはやこれは一つの戦場だった。人は相手の立ち居振る舞いと姿を見て、己の態度を決めるもの。ここでアンが欠片でも気弱な態度を見せれば、それは会談の結果にも影響をするだろう。


 そんな舐めた真似は決して許さない。対人交渉という領域のみに限定するのであれば、アンは誰にも劣らぬ自負があった。


 ふと、案内の兵が到着するまでの間。アンはテルサラットの姿に目を通す。そうして僅かにだけ声を出して言った。


「……所でテルサラット様。どうしてその、いえ……随分と戦場向けの格好をされていますね?」


 テルサラットの装いは、両手両足にイーリーザルド特有の黒色具足を身に着け、その腕や腰にも彼女らが好む防具を付けている。長身の彼女が身に着けると見栄え良く、そうしてどこか女性的な魅力的も隠さぬものにはなっているのだが。


 どう考えても会談に赴くものではなく、いざ戦場へ出向かんとする格好だった。先ほどまでは外套を付けていたため良く見えはしなかったが、改めて見るとよく目立つ。


 テルサラットは意気揚々という風に、胸を張って応えた。


「おや、ご安心を。これでもガーライスト国の文明には通じています。会談とは喉に刃突き刺し合う場の事を言うのですよね。ならばこのテルサラット=ルワナも正装で臨むのが当然というもの」


 そうでしょう、と自信ありげに言うテルサラットを見て、アンは僅かに頬をひくつかせる。そうして一抹の懸念のようなものを胸に抱きながら、思った。


 どうやらこのテルサラットという闘士も、己が不得意とする人種のようだと。


 果てそういえば、テルサラットは僅かなりともルーギスと関わった事があると耳にした。となれば誤ったガーライスト人像を誰が彼女に植え付けたのかはもう明確だ。

 

 アンは誰にも気づかれぬよう口内でため息をついて、眉間を抑えた。最期となるやもしれぬ時にまで、彼のことを頭に過ぎらせねばならぬとは思っていなかった。


 何時しか兵が前に進み出て、案内を申し出る。先導されるまま、大天幕へと足を向けた。紋章が彩られ、他の天幕よりも僅かに豪奢に見えるそれは間違いなく指揮官が有するものだ。


 アンは深く息を吸い込み、そうして小さく吐いた。大天幕の中へと踏み込み、言う。


「お久しぶりです。サレイニオ殿。こうして相まみえると、かつて教示を受けていた頃が懐かしくなりますね」


 サレイニオはアンの言葉に、笑みをもって答えた。柔和だが奥深い瞳が、アンとテルサラットを捉えている。


「もはや全てが懐かしい。だが過去を省みては人は前に進めぬものだ、そうだろうラルグド=アン」

何時も本作をお読み頂きありがとうございます。

皆さまにお読み頂け、また頂けるご感想の数々が何よりの励みになっています。


さて都度の告知となるのですが、本日ニコニコ静画様、ComicWalker様でのコミカライズ更新日となっています。


また明日24日がコミカライズ1巻の発売日となっておりますため、ご興味おありの方は是非お買い求めください。


以上、恐縮ですがよろしくお願いいたします。

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