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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第四百三話『知恵の信仰者』

 ガーライスト王都外壁周辺。ガーライスト軍と紋章教軍、そうして魔性が唸りをあげる紛れもない戦役がそこにあった。


 血液が白い大地を汚し、肉が熱を帯びて弾けていく。戦場の日常茶飯事。


 人と魔の軍勢が牙をかみ合わせるその戦場で、優位であったのは魔性の軍だった。魔性は数で劣りはすれどその一つ一つが脅威の塊。一人で相対して勝利しうる人間などそうはいない。コボルトの力は人間よりずっと強く。ロゴムの皮膚は岩より強固だ。


 数の点で上回れ、易々と人間が優位に立つ事は出来ない。魔性共が人間を食らい、血を踏みつけにしながら進軍する様は性質の悪い悪夢そのもののように見えた。


 ――ドォ、ンッ。


 悪夢の最中、その音は爆ぜた。臓腑を揺らがせ、肌を直接打ち付けるかのような轟音。


 其れは魔術の音ではない。それよりも荒々しく暴力的だ。轟音と同時、遠い視界の先で血が爆ぜたのを聖女マティアは見た。僅かな動揺の波が、魔軍の中に広がっている。


 続いて合図を示すようにマティアは槍を天高く上げる。数瞬を置いて、暴力的な轟音が二度鳴った。その度に、魔軍に血が滲み出ていく。業火の如き敵の勢いが、弱まった。

 

「……これがガーライストに隠した手札というやつ? 大したお披露目だわ。物騒この上ないけど」


 聖女マティアの傍らで、フィロス=トレイトは眉を顰め耳を抑えながら言った。勇ましく皮鎧と剣を纏いながらも、その表情はどこか固い。


 やはり戦場の匂いと言う奴が、彼女の肌にはあわぬようだった。唇もどこ歪に揺れているように見える。


 マティアは腕を降ろし、眼下に紋章教兵の進軍を見ながら言う。


「ええ。物を爆発させた勢いで大石を射出しているだけですが。珍しいでしょう」


 射石砲。鉄で作り上げた砲に大石を詰め込み、搔き集めた火薬の爆発力で射出する。正直を言えば火薬の暴発と吐き出す煙は厄介この上ないし、安価に作れたものでもない。有用かと言われれば首を傾げる。


 だが得体の知れぬものがあると、周囲に喧伝するには悪くない。此の戦場には協力者たる地方貴族らもいるのだ。彼らには大いにこちらの戦力を誇示すべきだろう。


 サーニオ会戦をその両眼で見て、マティアは一つの理解に至った。


 あの会戦には幾人もの英雄が存在したが、その中でもマティアが眼を見張ったのは、フィアラートの暴力的な戦場魔術。


 其処に至るまでマティアの胸中にあった戦場とは、人と人が噛み合い槍や剣を合わせ、その雌雄を決するもの。


 決して一方的に薙ぎ払われるような場ではない。其処には血と肉があり、知能噛み合う戦術があったのだ。


 だが、フィアラートのアレはどうだ。もはや戦術など意味を成さない圧倒的な暴威。カリアの剛力も、エルディスの呪術もそう。その牙は余りに鋭く噛み合うことなど許さない。


 あの日マティアは察したのだ。もはや戦場で槍衾を立て合う事はなくなるかもしれぬ。戦場とは、圧倒的な暴風が薙ぎ払いあうだけの場になるかもしれぬと。


 ならば、何を犠牲にしてもその暴風を手にせねばならない。それが出来たものが今後の戦場を手に握るのだ。


「耳が痛くなる音ね。これ、何時まで続くのよ!」


「もう終わります。それほど使い勝手が良いものではありませんから」


 とはいっても、幾つもの文献を読みあわせ、ガーライスト貴族の物資協力も得てようやく造り上げたのは此の射石砲がようやくだった。過去発案をされながらも、魔術師で代替が可能だと打ち捨てられたものを拾い上げたに過ぎない。


 それに使い勝手も最悪だ。今造り上げられる射石砲では大石を一度発射するのが精々。石を吐き出し終えると熱が溜まってろくに動かせなくなるし、破損する事も多い。劣化魔術と言ってしまえばそれまでだろう。


 それでも、意味はある。あるはずだ。集積した知を形とし、紋章の道を成す。其れこそが紋章教の本懐だ。


 ――必ず知恵で魔を超えて見せる。それも軽々と。


 マティアと言う人間は、知恵の狂信者とそう言っていい。ありとあらゆる困難があろうとも、知恵を持って潜り抜けることが出来ると心の奥底ではそう信じている。


 其れは、彼の管理とて同じこと。細い指に嵌めこんだ黄金の紋章を軽く握りながらマティアは言う。暴力的な音がようやくなり終えた。

 

「これで札は切り終わりました。後は手はず通りに」


 この後は如何にして魔軍に勝利し、そうして王都に入城するかという事だけ。手は打った。ならばもはや懸命に力を尽くすしか道はないのだ。


 マティアは馬に跨ったまま、軽く槍を傾ける。紋章教軍が掲げる旗が、攻勢に出た様子が見えていた。だがそれも少し吹けば飛んでしまう勢い。なればこそ、己が直接踏み入り鼓舞せねばならないだろう。


 聖女とは、旗印になるとはそういう事だ。マティアは一瞬、傍らのフィロスに視線を向ける。未だその顔は、固く凍り付いているかのようだった。


 マティアが囁くようにその名を呼ぶと、フィロスは唇を噛んで返事をした。


「大丈夫よ。ただね、貴方は知らないでしょうけど、私こういった戦場で勝った事がないの。サーニオでも、あの不様さだったでしょう。私の運が悪い方に転がらなければいいんだけれど」


 紛れもない自嘲と共に、フィロスは言った。彼女の珍しい弱音を聞いて、その胸中をマティアは察する。


 フィロスの瞼の裏には、恐らくサーニオでの敗北、それに続くロゾーなる者の反乱がありありと浮かんでいるのだろう。それが眼に見えぬ錘となって彼女の手足に括りつけられているのだ。


 敗北というものは、人を容易く地の底に叩きのめす。もはや立ち上がれぬと思うほどに。いいや、それで立ち上がれる人間の方が稀有なのかもしれない。


 それはもう、弱いとか強いではなく、生まれ持った性質的なものなのだとマティアは思う。紋章教徒にも、戦える者と戦えぬ者がいるように。立ち上がれる者と立ち上がれぬ者は当然に存在する。


 マティアは口を開き、一瞬閉じて言葉に迷った。フィロスは前へと進める人だ。だが今、彼女は腹の中に黒々としたものを抱えている。下手な言葉をかければ余計に彼女は何かを呑み込みながら前に進む事になるだろう。


 それはよろしくない。


 彼ならば、何というだろう。そう思い浮かべてから、もう一度マティアは口を開いた。


「……どのような人間でも、初めて勝利するまでは勝った事がないものですよ。フィロス=トレイト」


 自然と言葉をそう漏らす。マティアは己の肩から力が抜けていく気がした。


 そうだ。己とて城壁都市ガルーアマリアで勝利を掴み取るまで、ただ逃げ隠れを続けるだけの生涯だった。迫害の石に耐え、人目を忍び何とか生を食らう日々。それでも尚己は立ち向かわねばならなかった。


 何故なら己は聖女だから。例えこの身を犠牲にしても、勝利を手にするまで走り続けねばならなかった。


 そうして今、此処にいる。マティアは強く息を吸う。


「貴方が今まで敗北を続けたのなら、其れは今日という日の為にあったのです。今日を勝利と栄光という王冠で飾り立てる為に」


 かつての己とフィロスを重ね合わせるようにして、マティアは続ける。喉を何か熱いものが過ぎっていくのが分かった。馬の手綱をぎゅぅと握りしめる。


「王都ではルーギスが我らの勝利の為に剣を振るっている事でしょう。また何かしら無茶無謀を踏み抜いているのです。人の言葉も聞かずに。ならば我らには彼の勝利の為に戦う義務がある――それともただのお飾りがよろしいですか、フィロス=トレイト?」


 フィロスはその言葉に僅かに眼を歪め、そうして熱を灯して口を開いた。手足に絡みついていた重いものが、何処かに吹き飛んだかのようだった。


「――冗談。私、それほど都合の良い人間じゃあないのよね。精々覚悟してなさい」


 ルーギスに見せたような、企みを含んだ笑みでフィロスは言った。

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