表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
396/664

第三百九十五話『不変不朽の宝石』

 朝日が茜色の衣を纏い、露を踏みしめながら東の尾根を越えてくる。


 王都では黒煙が歓呼の声となって吹き上がりはじめ、死雪の枯れない都市外では兵達が勇敢な死に方を競い合っていた。


 朝を告げるには何とも騒々しいそれらの光景を眼下に収めながら、宝石バゥ=アガトスはただ空にいた。


 彼女は宝石と共に宙を舞い、襲い掛かってくる羽根持つ魔獣らを射ち落とす。如何に魔獣らの強靭とも

言える爪や牙がアガトスの身に触れようとも、それらは一切の傷を負わせる事が敵わない。


 アガトスがふいと指を払う度、宝石の吐き出す熱線が魔獣共の肉を食らい尽くしていった。


 こんなもの己に意味がないと分かっているだろうに。アガトスは辟易とした思いすら浮かび上がらせながら、一時空に身を任せる。


 久方ぶりに包まれる空の感触はやけに冷たい。頬が冷風に引き裂かれる想いを覚えて赤らんでいく。けれど本来は、此れが彼女の領域だった。


 根深い大地が統制者ドリグマンの領分であるならば、限りない空はアガトスのもの。煌びやかな宝石と魔獣の肉片を周囲でのたうち回らせつつ、色の薄い白眼をアガトスは見開く。


 眼下に見えるは人間達――フィアラート、そうしてルーギスと名乗る者らが街道を進みゆくのが分かった。その切っ先が狙いすますものはただ一つ、統制者ドリグマンの首筋。


 アガトスは頬を緩めながら指先の宝石をくるりと回した。


 よもやドリグマンが討ち果たされるとはアガトスも思わない。因果すらも覆す己らが、ただの人間や魔獣に敗北するなどあり得ない話だ。


 けれども、時間稼ぎにはなるだろう。その時間こそが今は金塊よりも価値がある。


 ならば、人間だろうがエルフだろうが何でも良い。上手く適当に足掻いてくれればそれで全てが終わる。


 陽光の下、白い髪の毛が僅かに紅に染まっていく。アガトスの魂が、己に相応しい肉体を求めようと嗚咽している証拠だった。


 けれども、まだその時は訪れない。


『どうして、此処で見ているだけなのですか。貴女は、その……とっても強いのに』


 それは、胸中から漏れ出てくるこの弱々しい言葉の所為。それが未だアガトスの魂の中で蠢動し、消え失せていこうとしない。通常あり得ない事だった。


 魔人に魂を食われた者は、時を待たずして滅失する。その者が生きていたという証は何一つ残りはしない。それが通常の事だ。


 だというのにこの弱っちいだけのレウという名の魂は、何ゆえ未だ生き続けているのだろう。今にも消えそうであった灯が、ふらふらと揺れ続けている様な違和感だった。


 アガトスは宙を舞い、宝石を操舵し続けながら口を開く。


「何、またお得意の誰かをお助けしましょうって奴? つくづくおめでたい頭をしているわね、あんた。あんたの言う人助けなんてお遊戯みたいなものよ。それで何人助けられるわけ。あんた一人が懸命に走り回って労を尽くしても、何にもなりはしないわよ。なら精々自分の事だけ考えていたらどうかしら。自分の生涯、我儘に生きるべきでしょう」


 何時になくアガトスの舌が良く回る。それは彼女が感情の歯車を無暗に回した結果だ。どうしてかはよく分からないが、自分自身苛立ちを隠せていないことがアガトスには分かった。


 苛立ち。己が何を煩わしく思い憤怒するというのだろう。かつての頃は早々思い浮かばなかった感情なのだが。


 そんなアガトスの自問すら許さぬように、レウは胸の奥から言葉を吐く。


『……そうですね。貴女から見れば、弱い私のする事なんてお遊戯みたいなものでしょう』


 レウがそう認めた事で、少しばかりアガトスの溜飲は下がった。けれども、それも僅か一瞬ばかりの事。アガトスの胸を騒めかせ続けながら、レウは言葉を継ぐ。


『ですが、そのお遊戯でも人を救う切っ掛けになるならば、意味はあるのだと私は信じています。それしか、私には出来ませんから』


 瞬間。アガトスの情動に沿うように、周囲を踊り舞う宝石達がその速度を速めていく。色とりどりに輝きながらも、それらが示すものは一様に怒気だった。


 言葉には出さぬまま、アガトスは眼に火が灯った事に気付く。ようやく彼女も、己の中に芽吹く感情の意味に気が付き始めていた。


 嫌いだ。やはり此の子は大嫌いだ。


 どうしてそうも、自分ではなく誰かの為に。それもよりによって人間の為に祈れるのだ。初めて出会った頃からずぅっと思っていた。けれど、今に至ってもまるで理解が及ばない。


 アガトスが熱い吐息を漏らすと、それらは白い靄となって空に消えていく。


 ――ねぇ。あんたはその人間様の為に苦しんで、絶望して、死にかけたんじゃないの。


 初めてこの身体の中で目覚めた時、アガトスはまず少なからぬ動揺を覚えた。人間の子供の身体なぞを魂が選んだことも驚きだったが、その上にその身体の状態は異常そのものだった。


 手足の指は凍傷になってろくに動かず、壊死すらしかけていた。骨も肉も正常な成長が阻害される余りに歪み狂い、小さな身体に収められたまま。肺を含めた内臓も煤に犯され正常な呼吸すら行えない。


 運が悪い。最初アガトスはそう思った。どうやら魔性の奴隷となっていた人間を選んでしまったようだと。それも随分と粗雑に扱う輩だ。恐らく不完全な状態の融合となったのも、余りにレウの身体と魂が歪んでいたからに違いあるまい。


 よもやそれが、彼女の同種たる人間の群れの中で行われた仕打ちであるなどと、アガトスは考えもしなかった。


 魔性とて、同族同士で殺し合う事や利害を巡って対立する事も幾らでもある。アガトス自身、己に襲い掛かってくる魔獣を屠った事など数え切れぬほど。中には理不尽な仕打ちであったこともあるだろう。暴虐であった事もあるかもしれない。


 けれど、それでも尚承服しがたかった。


 何も知らぬ何も出来ぬ子供を。よりにもよって同種の人間が、此の様な仕打ちにあわせたのか。


 しかも子供は特有の素直さでそれが自分の生涯だと受け入れて、魂すら人に捧げて死のうとしている。あり得ない。そんな輝き無き生を宝石バゥ=アガトスは決して認めない。


 透き通る白と燃え盛る紅の混じった頭髪が、宙に揺られ蠢いて声をあげる。


「もう黙りなさいよレウ。あんたが何を言っても私は変わらない。宝石は不変にして不朽。何者も私を変えられない、何者も私を汚せない。私はそういう存在なのよ」


 けれど決めたわ。そう言い切って、アガトスは唇を波打たせる。美麗な線が頬をつり上がらせ、笑みを作った。悪戯者が不吉な事を思いついた時に描きあげる微笑だった。


「――あんたがそうも人間様の為に生きるなら、私はその度に人間を殺しましょう。あんたが祈りをささげる度、言葉を投げる度、救うと決める度。必ず人間の醜さを見せつけた上で殺してあげる。あんたがいつか、もう人間なんて救いたくないっていうその日まで、あんたは私の中で生きるといいわ。生き延びられて良かったわね」


 レウが、何か大きな声を発したのがアガトスには分かった。意味は読み取れなかったが、焦燥か、憤激か。何かしらの情動に満ちた声だったのは確かだ。アガトスはそれでも微笑を浮かべ思う。


 人間は醜悪だ。それは即ちアガトスにとって許しがたい罪。善悪や利害の関係を絶対の基準とするものがいるのと同様に、アガトスにとっては魂の美醜こそが全ての天秤だった。


 勿論人間の中にもあのフィアラートとかいう娘やルーギスと名乗る者のように、マシな部類もいるだろう。それでもそれはごくわずかな例外に過ぎない。個人としての美醜はあれ、それでも種族としてみればもはや考慮にも値しなかった。


 こんな子供を作り上げた種族が美しいなどと、そんなデタラメがあるはずがない。そんな道理は許さない。


 その醜悪さを眼に数え切れぬほど焼き付かせたならば、きっといずれレウも己の過ちを認めるに違いあるまい。人間など救いたくもないと、そう言うはずだった。


 ああ実に良い思い付きだとばかり、アガトスは指をくるりと回して宙を跳ねる。宝石達が嬉々としてその周囲を踊り回った。


「まずは統制者様を縊り殺しましょう。その次には――此の王都全ての人間を、壮大美麗な宝石に変えてあげる。嬉しいでしょうレウ?」


 宝石バゥ=アガトスは愉快そうに、それでいて何よりも綺麗に笑った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ