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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第三百九十二話『忘れべからざる事』

「足元を揺さぶって、王都に入り込んだ醜虫を引きずり出す。筋道はそれだ」


 リチャードの爺さんの指が、簡易的に作られた王都内の地図をなぞる。大きな建物と通りがかかれただけのものだが。それでもないよりはマシだった。


 王都内の裏町、その宿場。拵えられた一室の中で、可能な限り声を抑えて爺さんは言う。火も僅かにしか入り込ませていない所為だろう、その凶相が暗闇に浮き上がるように見えていた。夜の闇が爺さんの皺を撫でている。


 周囲のガーライスト将兵は、緊迫が張り付いた様な表情でそれを聞いていた。此れが下手をすれば生きて顔合わせをする最期の機会だと理解しているようだった。


 爺さんが立てた筋書は、明快なものだ。日の出と同時、王都周辺を囲うガーライスト軍、紋章教軍が陽動を開始する。同時に、王都各地で火が回り始める事になっている。


「兵を走らせて、奴らの実態は見えた。ありゃあ軍じゃあなく群れだ。群れは其れを率いる者が死ねば崩れる。そうして一度崩れた群れは、もう戦えん」


 だから、魔性兵共が騒動の対処に宛てられている僅かな間。その最中に内部の俺達が奴らの長たる魔性――詰まる所魔人を殺す。そうすれば後の魔性共は軍勢で十分に踏み潰せる。


 大きくはそういう筋書きだった。


 攻め手は二つ。ガーライストの兵団達と、紋章教及びガザリアの兵団。その何方か、もしくは両方が奴の鎮座している王宮に踏み入り、その首を刎ねる。


 その順路を語る爺さんの頬に、思わず声を投げた。歯が軽く擦れる。


「……分かりやすくていいがね。出来る事は全部積んだ上での事なんだろうからよ。細かい所は自由にやっていいんだろう爺さん」


 言葉と同時、他の将兵らの視線が俺に向いているのが分かった。先ほどから言葉を発する度にこれなものだから、妙に気が落ち着かない。


 カリアはその身を休めざるを得なかったし、フィアラートとエルディスにしろ他にしてもらうべき事があったゆえ仕方ないのだが。どうにも俺一人でガーライスト軍の中に居座るというのは居心地が悪い。


 何せ如何に一時的に手を結んだとはいえ、隠し切れない敵意というものは当然に存在する。


 それにもしかすればこの中には、サーニオ会戦で俺に戦友を殺されたものだっているかもしれないのだ。あの時の軍は大聖堂からの出兵といえど、ガーライスト兵も多分に含まれていた。


 だからこそ、爺さんは攻め手を二つに分けたのだろう。


 彼らと俺達はもう違う人間だ。思想が違う、出生が違う、理想が違う考え方が違う。


 同じものを戴く事は出来る。王冠の下に傅く事は出来るだろう。


 けれど絶対に相いれない。そういった違いは、戦場という最悪の場面で容易く芽を吹く。そうして全てを台無しにするのだ。


 目的が同じだから仲良く手を繋ぐなんてことが出来るはずもない。


 爺さんは薄暗闇に眼を浮き上がらせて口を開く。白い歯がよく見えていた。


「そうだ。こいつはもう戦役だ。どれだけ危うい所を潰しても潰しても、必ずそいつは出てくる。なら後は実際に見て、そいつらを自分の足で潰すしかねぇ」


 肩を竦め、頷いて応じる。知らず、噛み煙草を歯の上に転がした。


 爺さんがこういうのだ。ならばもう本当に此れ以上、他に打つべき手、打てる手は無かったのだろう。もしあったとしても時間が足りない。積み上げられるだけものは積み上げた。此れが限度だ。


 後は、理不尽の泥沼に足首が絡み取られぬ事を祈るのみ。


 ガーライスト将兵の一人が、地図に視線をやりながらリチャードに了承を取って声をあげた。部隊長格の男のようだった。


「大隊長。お伺いする限り、火を広げる範囲に……王宮が含まれておりますが」


 男がその先を言いづらそうにしているのが分かった。ガーライストの将兵たちが皆総じて視線を爺さんに集めた所を見ると、誰もが気にはしていながら口に出せていなかったようだ。


 爺さんは当然のように答えた。顎元の髭が揺れ動く。


「気にするな。魔性共の中には火を噴く連中もいる。そいつらが争乱の中で誤って火をつけた、そういう事になってる」


 恐らく其れは、男が求めた答えではないだろう。爺さんも分かっていながらそう答えたのだ。


 ――王宮を焼き討ちするなどと、あっていい事なのか。男が問いたかった事は恐らくこれだろう。


 有り余る年月、金貨、そうして技術文化を丹念に編み込んで造り上げた建築物。先の建築王をもって傑作といわしめた今の王宮。


 其れを、本当に燃やすのか。男の疑問、躊躇の原因は明快な所だった。納得していない将兵の様子を見て、爺さんは一瞬俺の方に眼を配ってからゆっくりとした口調で言った。


「おい、部隊長。お前サーニオの時にいたか」


 反射的に、頬がひくつく。


 どうしてよりによってそんな話題を選ぶんだこの爺さん。周囲の将兵の視線が此方へと向き始めたのがよく分かる。何せ此の暗い中でも俺には嫌というほど見えているのだから。


 はい。とその男は応えた。やめてくれ、余計に何か居心地が悪くなるではないか。


 そんな俺の胸中を置き去りに、爺さんは机に手を突きその視線をぐいと強める。まるでその先にあるものを睨み殺そうとでも言わんばかり。魔の相貌に近しかった。


 髭を大きく動かして、爺さんは言葉を吐いた。


「てめぇ――あん時何で俺らが敗けたか分かってねぇのか」


 背骨そのものを一瞬で凍らせるような声だった。爺さんは全身からにじみ出る圧迫感を隠そうともしないまま、強い口調で言う。いいや、其れは敢えてそうしているのだろう。


 爺さんは一つ一つ単語を噛みしめるようにして言った。


 例えばもしガーライストと、大聖堂があの時出兵できる可能な限りの全兵力をサーニオ会戦に回していればどうだったか。大兵の赴くまま紋章教をその根幹からすり潰す方策を選んでいればどうだったか。


 考えるまでもない。間違いなく紋章教は圧死だったろう。あの時の一万は間違いなく当時の紋章教の全兵力で、それ以上は血すら出ない状況だった。


 そうして、もしあの会戦で敗北していればその時点で紋章教は終わっていたはず。軍は壊乱し、紋章教は求心力と統制を失う。もう二度と組織としての再建は出来ない。そんな地点に転がり落ちていたに違いあるまい。


 爺さんは其れを語ってから、言葉を継ぐ。


「結局の所は甘く見てたんだよ。ガーライストも、大聖堂も。そうして俺もだ。だから敗けた。だから死なせた。俺は俺の責任においてあの無様を生涯忘れない。お前らも忘れるな」


 爺さんが重い口調でそう言って、再び机上の地図を指さした。長く使い込まれただろう指が、音を立てて王宮の位置を指す。


「――王宮には突入時火を放つ。それで少しでも手が割かれてくれれば十分だ。いいか、お前らが一瞬でも躊躇をすれば隣の仲間がその為に死ぬ」


 本来は、そんな事は彼らも分かっているに違いない。けれども、状況と場が問題なのだろう。


 此処は王都、そうして多くの人間の故郷ですらある。其処を踏みにじり焼き尽くす事になったとすれば、全く戸惑いが浮かばないという事があるだろうか。


 少なくとも、裏街で生まれ育った俺よりもずっと危ういのは間違いあるまい。何せ彼らはつい先日まで、此処を護る人間だったのだ。


 爺さんに質問をした男は、眼を大きくして一瞬歯を噛みながら頷いた。其処にどんな感情があるのかまでは、読み取れない。


 俺は爺さんが語る間一言も言葉を挟まないでいた。そうする義務も権利も、ないように思われたからだ。


 その後に、軽く細部を詰めた。と言っても誰がどの道順を用いるかだとか、その程度の話ではあったが。


 話が終わりに近づいた時、爺さんがふいと此方に視線を向けて言った。


「それで、どうだ統制者ドリグマンとやらは。勝ちの目は見えたかルーギス。いいや、どれだけのもんだった」


 湿り気を帯びた噛み煙草を口から取り出して、唇を波打たせる。


 どう語るべきか、少しの迷いがあった。あれを形容するに最も相応しく、それでいて此処にいる人間に伝えるにはどういう言葉が良いかを考えていた。


 少なくとも、必ず一つは伝えなければならないものがある。


「神話の伝承のままさ爺さん。死んでも死なない。斬ろうが焼こうが殺せやしないし生き返る。魔人とはかくあるべしとでも言えばいいのかね」


 伝えなければならないもの。それは正確な情報ではなく、また武威でもない。あの圧倒的な脅威だ。


 あの時感じた狂的なまでの威。視線の圧力だけで人を殺害しそうな在り方。それを伝えなければ目の前にドリグマンの奴が迫った時、必ず兵は脚が竦む。


 蛇が蛙の動きをその視線で殺すように、動けぬままに殺されてしまう。


「その上副官殿の言ってた通り、間近でも自在に大地を歪めやがる。あれは精霊や妖精の使う祝福の類だな」


 恐らくはドリグマンとやらは、元々妖精かもしくはエルフに類する存在だったのだろう。


 其れが大魔に血を注がれて魔人に成ったのか、それともその素質が合ったのかは分からない。けれど奴の使ったあの祝福はエルディスが使うものと同種だ。元の流れが其処にあるのは間違いがない。


「ひでぇもんだな。好き勝手やりやがる、此処は奴らの遊び場かよ――勝ちの目は」


 爺さんの眼が、俺を見据える。唇を固くしながら言葉を継いだ。


「――近づけないほどの化け物じゃあないさ。あれも必ず死ぬ。死なない奴なんざいない」


 何ともならないと言う事はない。上手くやれば間合いには入れる。それに奴はかつて一度死んだのだ。ならば必ず殺せる。


 ただ出来うるなら、もう少し情報が欲しいのが正直な所だった。何せ未だ奴の原典すら正体は不明のままだ。


 まずあの不死性。大地に足をつける限り死なぬというのはまず間違いがない。だがそれだけでなく奴は最初に壁を崩した時も、大地に祝福を与えた時も、遠隔の地にありながら其れらを掴み取っていた。


 何だあれは。相当なズルだ。あれでは間合いというものが殆ど意味をなさない。そんな真似が出来るというならどうか一つご教示を願いたい所なのだが。


 爺さんが軽く頷き、そうして一瞬言葉が途切れた。誰もが言葉を発さない、その僅かな合間だった。一つの、随分と幼い言葉が転がりこんできたのは。


「随分と素敵なお話合いじゃない。あの舐め腐った軍属妖精様の殺し方の研究? 野蛮だけど良いわね。私も数百年の間何度も考えたわ。あいつとは元々から気が合わないのよね。性根が違うっていうのかしら。理想の違いっていうのかしら。まぁ根っこが違うんだからしょうがないのかもしれないけど」


 目の端に、色の薄い眼と白い髪の毛が映りこんでいた。

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