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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第三百八十七話『根を張る怪物』

 ラルグド=アンによる反ルーギス派閥への離反。それは少なからずサレイニオ周辺の元老とその派閥に動揺の波を打たせた。


 彼女がもはや聖女マティアの大きな信任を受け、その右腕となっているのは自他ともに認める事実。傀儡都市フィロスの統治権を与えられている事からもそれは伺える。


 それにアンという存在は、一時的とはいえ聖女の代替を務められる貴重な要員でもあった。もし彼女という存在がなければ、流石の聖女とて自ら前線へ赴くことはしなかっただろう。


 聖女自らが遠征を執り行う事による士気の向上と、常に最前線で状況の統括を行えるという利益を考えても、内側の政務を掌握できる人間がいなければ遠征なぞ出来るはずがない。聖女はアンがそれを行えると信じている。


 だからこそ、ラルグド=アンの言葉は誰の言葉よりも重く聖女に響くだろう。もしも彼女が元老らの企みと、その言動とを包み隠さず聖女に伝えれば。其れは真実と聖女は理解する。


 そうなればあの聖女は、何をするか分からない。今までは元老らの動きを抑制させる方向へと動いていたが、最終的な処断に移る可能性も十分にあった。


 何にしろアンの離反により紋章教内での派閥対立はより明確になり、組織としての分裂すら危ぶまれるのは想像に易い。そうなれば元老達の権力基盤とて脆弱になりかねなかった。


 ゆえに書簡が届いた直後の元老らの議論は、まさしく熱が吹くようだった。彼らは顔に刻まれた皺を深めながら、口角から唾をとばして言葉を重ねる。


「内通者が出たのじゃろう。態勢が崩れた以上、一度退くのが当然というもの」


「状況は変わったが、何かしら口実を与えたわけでもない。ラルグド=アンとて、手がないのは同じだ」


 対立する言論は二つ。今のまま消極的な大遠征に対する妨害工作を続けるのか。それとも一度態勢を整える為、協力姿勢を見せるのか。此の方針は早々に決定をせねばならなかった。方針が定まらぬまま時が過ぎれば、さらなる離反者を生みかねない。


 少なくとも、聖女やアンに何かしらの口実を与える事は避けたい。それが元老達の大多数の考えだった。


 ――サレイニオという人を除いては。


 その場に大方の意見が出そろった頃を見計らって、サレイニオは乾いた唇をゆっくりと動かした。


「……ガルーアマリアは守るに易く攻めるに難い。あの小娘とて兵による制圧は考えていまい。大々的に動けば被害を飲み込むのはあちらだ。となれば、精々行えるのは此方を浮き足立たせてその足元を払おうというくらいであろうよ」


 今回の書簡も奴の狙いの内だろうと、サレイニオは微笑すら湛えつつ、淡々と言葉を漏らす。その理性的な口調が常の彼の話し方だった。


 そこに多少の感情は見て取れたが、他の元老のように激しい話し方ではない。それが僅かに、周囲の人間を落ち着かせた。


 では、我々はどうすべきかと、サレイニオの隣席の老婆が聞いた。その表情の皺が、深く刻まれていた。サレイニオは軽く頷いて言った。実に、当然とでも言うように。


「互いに動けぬ中で隙を探り合う長期戦が小娘の腹。なら話は単純だ――此方から攻める。兵の用意をせい」


 サレイニオは、久方ぶりに言葉に熱を込めてそう言った。いつ振りの事だろうかと、彼は皺を深め笑みを見せる。悠々とした振る舞いですらあった。


 反面、複数の元老らは動揺と焦燥から一様に目を見張った。サレイニオが何を言っているのか、未だ理解が及ばぬという表情を浮かべる者すらいる。


 攻めるとは、どういう事だ。兵を率いて傀儡都市フィロスを攻め落とすという事か。そんな思考が一瞬の内に脳髄を這い、そうして元老らの胸を騒ぎ立てていく。


「馬鹿な、今此処にあるのは鎮護の兵のみ。それに時節は死雪。攻城など真面ではない。それに聖女の兵が舞い戻ってきてしまえばそれで終わりではないか!」


 ひきつったような顔をして言う元老に向けて、サレイニオは言う。目は大きく開き、何処か快活そうに舌が動く。


「馬鹿な、ではない馬鹿者が。小娘もそう考えておるわ。我らが攻めるには不利が大きく、真面には出来んとな」


 一瞬間を置いて、周囲を睥睨するようにしてから彼は再度口を開いた。


「だから、するのだ」


 聖女が舞い戻る前に全てを終わらせると、サレイニオは語る。


 フィロス鎮護の兵数は千に満たず、ガルーアマリアの兵数に劣る。それに兵糧の蓄えは僅か。そのほとんどを前線に向けて放出しているはず。其処が己らの有利。短期戦であれば勝利を得れる可能性は確かにあった。


 だが逆に不利も幾らでも羅列できる。


 事が終わる前に聖女が戻れば圧倒的な兵数差に降伏しか出来ない。そうなれば当然元老らの大多数は処断されるだろう。それにガルーアマリアの護りが手薄となり、魔性に目をつけられる可能性は十二分にあった。それに勝利を掌に掴んだところで、聖女は己らを背信者と語るかもしれぬ。


 そう反論をする元老に対し、サレイニオは嘲笑うように言った。


「聖女は頭が良い。小娘を失い、それに都市フィロスの機能を儂らが握ったとなれば、易々と処断を選ぶような人間ではない」


 そんな事をすれば、紋章教は間違いなく分裂し、その機能の大部分を失う。あの聡い聖女はそれを当然理解するはずだ。


 それに、と。サレイニオは言葉を継ぐようにして言う。その目つきは彼にしては珍しく、まるで鷹のように獰猛だった。


「手に傷と血を負わん行為で得られるものはない。労苦を飲み込まぬ者に栄光は訪れまい。儂が、よもや一度も手を汚さぬまま紋章教を育て上げたと思っているのか、諸君らは!」


 そのサレイニオの言葉に、一瞬周囲の呼吸が止まる。空気そのものが緊張を帯びたような雰囲気があった。


 過去もはや崩壊の憂き目にあった紋章教という組織そのものを、基盤から作り直した男。それがサレイニオという人だ。


 それだけの偉業が、まさか綺麗事のみで上手くいくわけがない。


 血を流した事も、流させた事もある。時に知だけでなく暴力を是とした事とてあるだろう。だから、此の男は恐ろしいのだと元老達は知っていた。


 紋章教の理念と教義に殉じながら、その為の手段はまるで選ぼうとしない。理性を重んじながら、その上での暴力を肯定する。


 サレイニオ。紋章教に根を張る怪物は、年老いて尚その片鱗を見せている。


 その在り方を考えれば、もしかすると彼がルーギスに対して見せる嫌悪感情は異物に対する過剰反応ではなく、同族嫌悪に近しいものなのかもしれない。


 サレイニオが言葉を終えると、その周囲を固める元老らが頃合いを見計らって口を開いた。


「……賛同しましょう。サレイニオ殿が言われるのであれば」


 それが幾つも波及していき、元老らの大多数を占めていく。元々彼らはサレイニオの信望者ではあり、当然にその根は議論の前から回されていた。


 そうして、最後には。サレイニオに反論するような者はいなかった。というよりも、もはやサレイニオに対して堂々たる言葉を放てる者は聖女程度しかいないのだ。


 彼は満足そうに頷き、髭を揺らす。すぐさまに兵の用意を行うよう、言った。


 ――紋章教は儂の子よ。其れを奪い取ろうというのだ。易々と行えると思うなよ、小娘。


 その眼は炯々とした光を見せて、都市フィロスの方向を見つめていた。

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