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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第三百八十五話『積み上げられる煉瓦』

 王都に雄々しく立ち昇り揺らめく煙。根本には大火が身を這いずらせ、同時に白い閃光が見えていた。


「酷い派手をやりやがる。どうもあいつは其処の所が変わらなねぇなぁ、勿体ねぇ」


 其れは己の教え子の仕業に違いあるまいと、リチャード=パーミリスは確信した。


 魔性共はあのように火を用いない。それに折角手に入れた王都を傷物にしようとは思わないはずだ。少なくともその点奴らは全く理性的だった。


 ならば此れを成したのは人間側で。そうして王都で、ああも躊躇なく物を焼いてしまえる人間は己を除けば教え子しかいまい。


 数百年を続いた鎮座する権威そのもの。文化の集積地たるガーライスト王国王都アルシェ。


 其処に消えぬ傷を突き立てるのには多少なりとも愛着があれば困難だ。同胞たるヴァレリィがこれを見れば、憤激を通り越して殺意しか浮かべぬだろうなと、リチャードは頬を緩めさせる。


 詰まりルーギスにはきっと、王都に愛着などないのだ。


 ただ自分が生まれ育った土地という意識はあっても、傷物にしてはならないなんていう考えはまるでない。


 きっとルーギスは此の一面を焼け野原にしてしまっても何も思うまい。精々が少し感慨にふけるだけ。権威ある王都がとか、文化がどうとかなんて考え付きもしない。奴は欠片ほどもそういったものに興味がないのだ。


 その点リチャードは違った。意外なことに少なくとも祖国に対する愛国心というものがある。かつての威光を再び王都の胸に飾らせ、偉大な帝国とせねばらないという意志もあった。


 リチャードはルーギスのように、国家権威そのものを意識もせず踏み潰すような真似はしない。


 ――彼は実に素直に、意識をして王都を殺すと決めた。


 魔人というのはそれほどの敵だ。加減をして何とかしようなんていう緩みは最後に己の首を絞めるとリチャードは知っている。


 それで全てを失うぐらいなら、一部を斬り捨てる方が良い。人間とて手足が病に朽ち果てたなら、涙を呑んでその箇所を斬り落とす。それと同じだ。王都は所詮建造物。最後に王冠さえあればそれで良いとリチャードは思う。


 いや、その王冠も何処まで価値があるものか。


 そう思った所で、リチャードは自嘲するように皺を歪める。周囲に分からぬ程度、本当に彼自身が無意識に浮かべてしまったものだった。


 王は兵を引き連れ逃げ、都を捨てた。それ自体は構わない。真に危機たる場合、王が都を追い落ちねばならぬ事はある。過去、王都を奪われながら復讐を果たした歴史など幾らでもあった。


 この老獪が許せないのは、其れではない。王が大聖教という他の権威に縋りついたことだ。


 宗教などというものは、利用をして睥睨してやればいいだけのものだというのに。


 少なくともリチャードにとって一度失望をしたあの日から、大聖教はその程度のものでしかない。アレは他者に吸い付く事しか出来ぬ蝙蝠の集落だ。其れに、王が縋りつくなどと。


 老獪さを含んだ表情が、皺を深めてただ大火を見つめていた。奥歯がぎちりと鳴ったのをリチャードは聞いていた。

 

「大隊長。ネイマール様より伝令が参りました。攻城準備は万事整っている旨をお伝えせよとの事です」


 胸に手を置いて声を漏らす部下にリチャードは軽く手を見せ、こちら側も準備を整えるよう伝える。


 全くネイマールは優秀な副官となった事だとリチャードは目を細めた。もう己がおらずとも十分に指揮が振るえる。地方貴族の小娘にすれば十分すぎるほどだ。


 それにただ漠然と指示を受け取るだけでもない、自分の頭で考える事もできる。そういった人間が稀有だという事をリチャードは知っていた。だからこそ、ヴァレリィにも教育をさせたのだ。


 続けて、唇を波打たせ言った。


「最終的に軍を王都に入らせる。紋章教の連中に先んじられんようにと伝えろ。主導権を引き渡すなとな」

 

 齢を滲ませた眼を動かし、唇を跳ねさせる。


 紋章教連中の狙いは明確だ。非常事態に付け込んで王都を実効支配し、勢力拡大を図ろうといった所だろう。


 それは如何なリチャードとて許容しかねる。あくまで奴らは共同戦線の協力者であらねばならない。その為にも紋章教勢力を先んじて王都に入城させる事は避ける必要があった。


 所詮紋章教は異教徒の集団に過ぎない。それはリチャードにしろ兵にしろ、共通認識であるはずだった。


 だが、一つだけ。リチャードには疑問がある。それは紋章教はどうやって王都まで無事たどり着いたのかということだ。


 紋章教の勢力範囲から、王都アルシェには相応の距離がある。その間幾つかの貴族領地を超えねばなるまい。


 だというのに奴らには戦闘の跡が殆どなかった。あのような兵の群れが入り込んだならば、幾ら王都陥落による動揺を背負っていようとも必ず貴族共は己の領地を守ろうとするはず。


 いいや、今後の情勢が分からないからこそ、己の領地領民は守らねばならないと貴族連中は考えるはずだ。


 だと言うのになぜ、奴らは悠々と貴族領地を超えてこれた。一人二人の地方貴族のみではなく、多数の貴族が奴らを見逃している。


 ただの異教徒相手に、そんな事が有り得るのか。奴らが貴族を味方に引き入れた、そうとしか考えられない。


 であれば、どうやって。


 解の出ぬ問いがくるりと思考を這う。顎元の髭を軽く撫でながらリチャードは皺を深めて、言う。


「……もう一つ、伝令だ。王都各地に潜み込ませた兵共に躊躇するなともう一度伝えろ」


 その言葉を聞いて、伝令はびくりと肩を震わせた。そうして視線が一瞬だけうろついたのを、リチャードは見逃さなかった。


 だからその心情をくみ取ってもう一つ言葉を付け足す。


「全ての責任があるのは俺だ。お前らが処分されるような事はあり得ねぇ。いいか、将兵の行動で何等かの問題が起きた時、責任を負うのは行動した側じゃあない。命令した側だ。分かったら行け」


 部下に疑問の言葉を発させるような真似はしなかった。


 疑問を持ち、心で迷っている内はまだいいが、一度言葉に出してしまうとそれは易々と消えなくなる。そうして疑問を消せなくなった兵は、戦場ではもう使えない。


 疑問を持つということは、迷うということ。一瞬の判断が重要な戦局で、迷ってしまうような兵は何の役にもたたない。


 だから、リチャードは念を押して伝えた。

 

 ――迷うな。躊躇なく命令通り王都を焼け。


 

 ◇◆◇◆



 王都アルシェ南方の砦。その内部は恐らく此の砦が出来上がって以降、最高の多忙さを極めていた。


 ガーライスト軍にせよ、紋章教軍にせよ。どちらも内部の者と常に連絡を取り合い、そうして合わせての行動をとらねばならない。もし連絡がつかないならば、その上で最善と思われる行動を選択し続ける。


 詰まりそれは、状況や取るべき行動が、時とともに目まぐるしく変遷を続けるという事に等しい。こういった場面では、下の者と等しく上に立つ者らも休む暇などまるでない。絶え間なく思考と判断、物事の処理を要求されるからだ。


 紋章教の聖女マティアもそれは同様だった。些細な事を含め、全ての判断がマティアの肩に縋りついてくる。言葉を発する喉が枯れ落ちるかとおもうほどだ。


 伝令の報告を聞きつつ、羊皮紙に視線を通したままマティアは言う。


「――ガーライスト軍は王都への攻城準備を整えたとの事です。もはや退くことはあり得ないでしょう」


 その誰に対してのものか分からぬ言葉。それを当然のように拾い上げて、羊皮紙にペンを走らせながらフィロス=トレイトは言う。その姿はマティア同様、執務机に向かったまま動こうとはしなかった。


「でしょうね。というよりもう誰一人退くことなんて出来ないというのが正しいでしょう。退いたら皆そこで終わりなんだから」


 片眼鏡を軽く整えて、ため息をつくようにフィロスは言う。明らかに疲労がその額に浮かんでいたが、それでも手を止めるわけにはいかなかった。


 少なくとも今はフィロスという人間は紋章教側に与している。となればその動静、行動の成否は全て己に降りかかってくると考えても誤りはない。そう思うと手を止める気にはならなかった。


 己の都市を陥落させられ全てを明け渡すなんていう屈辱は、一度で十分だ。


 しかし今回面倒なのは、勝利をおさめねばならないのが魔性相手だけでなく、ガーライスト軍相手に対してもという部分だろう。


 王都を再び魔性共から奪い返したとして、その主導権、言ってしまえば統治権を掴み取れねばなんら意味がない。特に遠征軍たる紋章教はそれを持てねば全てが瓦解するのと同義だろう。


 例えガーライスト軍と槍を合わせる事になったとしても、統治権の奪取だけは達成せねばならない。そうしなければ全員が死んだのと同じだ。ルーギスも、己も。


 そこの所の考えはあるのかと、フィロスはマティアに問うた。


 正直を言って、軍事行動に関してはフィロスよりもマティアの方がよほど精通している。それをフィロスはよく理解していた。己が協力できるのは精々が貴族とのやり取り、そうして今のように政務を片付けることくらいだ。


 マティアは頷き、言う。


「周辺貴族――今回に至り協力を約束した貴族とも連絡は取り合っています。それに、あちらには隠した手札もありますから」


 あちらに隠した手札。何のことかまでフィロスには及びつかなかったが、頷き会話を終わらせた。どうせそこの所を口にする事はマティアに限ってないだろう。


「内部の方から連絡は無いのよね。誰も彼も、こちらに楽はさせてくれない腹積もりらしいわ」


「彼の方から連絡が来るなんて事は、逃げた猫が舞い戻ってくるくらい有り得ませんよ。その点は、私の方で管理をしています」


 そのマティアの言葉には、ルーギスに対するある種の信頼と親愛のようなものが含まれているのが、フィロスには分かった。この聖女において、そういった情動の色が言葉に含まれるのは珍しい。


 彼女はどんな時であれ、打算や利益勘定を忘れぬ人間だと理解していたが、彼に関する部分は違うのだろうか。


 吐息を漏らし、何となしにフィロスはマティアを見た。手元が忙しなく動き続け、視線は羊皮紙に向いている。指先は一時すらも動きを留めようとすらしない。


 感心すら覚えていたそれを見ていた折。ふと、フィロスの片眼鏡が傾き、眼が細まった。


 ――動き続ける聖女の指先に見慣れぬ、それでいて別の指に収まっていた指輪が嵌っているのが見えた。


 フィロスの特徴的な白眼が大きく歪んだ。 

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