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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第三百八十四話『殺す者死なぬ者』

 直線に放たれたるは全てを焼き切る白光。それは殺意の塊であり、主の意志のままに魔人ドリグマンの頭蓋を弾き飛ばした。


 脳漿が飛び散り、頭蓋の骨が砕け散りながら空を汚す。眼球の一部が抉り取られて水気を吐き出した。通常であれば間違いなく完殺の一矢。


 だが、それだけの殺意を放ってまだ終わらない。


 四肢、胴体、骨髄、そうして神経の一本に至るまでをすり潰すが如く、熱線が続けざまにドリグマンに降り注ぐ。


 それは荒波を思わせるほどに感情的な行為だった。子供が癇癪を起して何度も何度も繰り返し地面を足蹴にするように。執拗とも思われるほどに行われる暴虐。


 それを一身に受け続け、もはや身体中を炭化すらさせながら、再生しはじめた舌と喉でドリグマンは言う。浮き上がった網膜が、白の少女を捉えていた。


 ふと見れば、先ほど至宝を呑み込んだ人間は姿を消している。巻き込まれたか、それとも地下道にでも逃げ込んだか。一瞬そんな思考を過ぎらせたが、それは今考える事ではないとドリグマンは断じた。

 

「君か。 随分な挨拶だな、宝石バゥ=アガトス。蛮地の姫は健在のようだ――」


 直感し、そうして理解していた。己の眼前に立つ此の少女は、もはや先ほどまでの何処か気弱な少女ではない。あの少女は今何処かに消え去っている。


 此処にあるのはただ一つ。己が同胞たる魔人。唯一の宝石。


 そうでなくては、此処までの権能は扱えまい。それに、覚えがあるのだ。此の大波の如き荒れ狂いに。


 此れが真の覚醒であるのか、それとも一時眼を見開いただけかは分からない。けれども彼女は今確かに此処に立ち、己に向いて牙を剥いた。


 ドリグマンの冷淡さを含み続けた眼が、獰猛さを増していく。周囲の瘴気がその色をより濃くした。


 宝石たるアガトスは唇を滑らかに答える。


「――ご挨拶はこちらの台詞。統制者ドリグマン。相も変わらず暗い顔ね。それだけで気が滅入るわ。あんたの面倒な原典そのままって感じ。どうせならずっと眠っていればよかったのに。そっちの方があんたも私も万々歳。此れ以上ないわよね。今からでも眠ってくれない? 永遠に」


 かつての頃から変わらない憎まれ口によく回る舌。それにいっそ懐かしみすら覚えてドリグマンは再生しはじめた頬肉を揺らめかす。その歯肉が露出して見えていた。


 黒霧の晴れ切った周囲を見渡せば、魔性と人間の死体が幾つか折り重なっている。恐らくはアガトスの仕業だろう。皆、彼女の癇癪に巻き込まれたのだ。


 眼球を動かし未だ無事であるらしいヴェルグに目配せだけをした。人間も幾つかは逃げてしまったらしいが、今は気に掛けることではない。


 それら一切の事象よりも、此のアガトスこそ一番に対処せねばならない存在だ。下手をすれば王都がそのまま更地になりかねない。


 アガトスはまるで収まり切っていないという風に、口を開き言葉を継ぐ。


「あんた。私を殺そうとしたわよね、この子ごと。あんたの権能で噛み潰そうとした。違う? ねぇ、どうなの答えなさいよ。沈黙は肯定と見なすわ。答えろ。今、すぐ!」


 苛立ちを隠せない。そう言わんばかりにアガトスは首を軽く傾ける。余裕を見せるでもない、理知的に振る舞うでもない。ただただ感情的な行い。


 ドリグマンはふと、思い出していた。久しく見ていなかった間、何も変わらぬ彼女のかつての姿を。そうして眉間に皺を寄せた。


 ため息をつく。何故彼女に対して権能を振るったかなど分かり切ったことだろうに。


 アガトスの依り代となっている少女は明確に人間の味方をしている。よりにもよって宝石自身の権能を使ってだ。しかも衝動的にではなく計画的に。


 ならば当然にその身を護る事など出来ない。己は死なずとも最悪の結果が出る可能性もある。最善の行動としてその身を噛み潰す事とて必要だ。魔性たる者としてそれは当然の事。


 違うかと、ドリグマンはアガトスに問いかける。彼女はただただ、言った。


「ああそう。でも違うわドリグマン。私が求めてるのは弁解じゃなくて罪状を受け入れる事だけ。あんたは受刑者。告発者は私、証人も私、裁判官もそうして死刑執行人も私なの――あんたは最期の言葉だけ吐いてなさい」


 言い終わる瞬間に、事は済んでいた。アガトスの周囲を舞い踊り、彩る種々の宝石達。それらが炯々たる光を輝かせながら、ドリグマンに狙いをつける。


 彼女の合図があれば、途端に宝石から豪雨の如き熱線が降り注ぐ事だろう。一つ一つが魔性をも十度は殺しきるその白光が。


 明確な殺意の顕現を前にして、ドリグマンは静かに、そうして己の配下が兵舎よりその身を翻したのを確認してから腕を振るう。眼前の相手に向かって、言った。


 今までにないほどに感情を剥き出しに、そうして荒々しく。


「――思い出したよ。君は昔から馬鹿だったな」


 掌を開き、敵意を肌から滲みださせた。互いに此れ以上ないほどの臨戦態勢。ドリグマンの意志に沿うが如く、大地がうねりをあげ土砂を吹き上げた。


 空気は極限にまで張り詰め、今にも砕けそうに嗚咽を漏らす。有り余る凶たる意志が空間を歪めていた。


 魔人。そう呼ばれる者同士の悪夢のような食い合い。化物が化物に牙を突き合わせんとするその光景。


 その間際。崩壊の近い兵舎の端から、業焔の灯が見えていた。何もかもを呑み込まんとする魔術の業火が。



 ◇◆◇◆



「本当に、良いんでしょうね……」


 フィアラートは思わず口の中で呟きながら、大火に包まれた兵舎を眺める。民家の屋根から見下ろすその光景は凄惨を通り越していっそ清々しさすらあった。


 炎は一切の例外をなくその脚を進め、兵舎の全てを包み込む。死体も、魔人も、武具も物資も全てだ。何もかもは手はず通り。誤りはない。


 あの時ルーギスは、己の名を呼んだ。やれ、という命令ではなく名を。それは当初の思惑が失敗した事を意味している。その際には兵舎そのものを焼き尽くして、一度退くと決めていた。


 ただ正直な所、フィアラートには懸念があった。本当に、やって良かったのかと。その額に汗が伝い、喉が大きく鳴る。


 ルーギスは叫んだが。本当に彼は己の無事を確保しているのか。エルディスもまた人間を無事避難させたのか。そこの所は魔人のみを注視していたフィアラートにはまるで掴めない。


 カリアはまぁ、大丈夫だろうが。


 だから、当初フィアラートには躊躇があった。本当に良いのかと。もしやルーギスは自らの危険を顧みず叫んだのではないかと。一瞬、その指先は止まった。


 それでも躊躇の次の瞬間には、フィアラートは魔術を放っていた。それはルーギスの言葉を信頼したから、などという美しいものではない。もっともっと醜いものだ。


 己はただ怖かっただけなのだ。彼に見捨てられるのが怖かった。


 例えば全て何もかも問題がなかった時、もしも己が魔術を放たなければルーギスは何と思うだろうか。


 彼のことだ。致し方ないとそういうだろう。だが心の奥底、意識にすらならない深層心理の中で己はもう信用されないかもしれない。重要な時に置いて行かれるかもしれない。


 それは嫌だ。


 世界や才覚に見放されるのはまだ我慢が出来る、けれど彼に見放されたならば、きっと己は我慢が効かない。フィアラートはそれを肌で直感していた。耳の裏辺りを、冷たいものが撫でていく。


 フィアラートの理性は余りに危うい場所で均衡を保っていた。一歩でも傾けば、崖底に落ちてしまいそうな酷いつり合いの取り方。もし何か一つでも違えば、きっと彼女は何処までも落ちる。それは彼女自身すらも理解する事。


 だからこそ、自らに課された事は完遂せねばならない。黒い眼が大きく開いていた。その眼には兵舎だけを包み込む炎の渦が綺麗に映り込んでいる。


 もはやその炎は、形式魔術の域をとうに超越していた。戦場魔術。魔術始祖アルティアより脱したその大火。


 といってもフィアラートにすれば、用いるものは大火であろうが洪水であろうが何でも良かった。彼女が元来持つ才覚は、常識に抑えつけられさえしなければ世界の理すらも踏みつける。固有属性に縛り付けられる俗人とは話が違うのだ。


 その中でも炎を選んだのは、彼女が炎を好むから。それは何も、元から得意だったという事ではない。


 炎を見ると――あの日を思い出すからだ。


 地下神殿のあの日。彼がその身を業火に包んだ日。そうして、初めて彼を鋳造した日。燃え盛るものを見るたび、フィアラートは其れを思い返す。だから、炎は好きだった。


 余りある緊張に包まれているというのに、ただそれだけで。フィアラートは心地よさそうな吐息すら漏らす。


「あの日は縄一つ燃やせなかったけれど。ご要望には沿えたかしらね」


 そんな言葉を、思わず口内で呟いていた。

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