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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第三百八十一話『此の世ならざる者ら』

 此の世ならざる者を殺すなら、此の世ならざる者にならなくてはならない。かつての頃誰かがそんな言葉を残した。


 怪物を殺すのなら怪物に、竜を殺すのなら竜に。何かを殺したいとそう願った瞬間、その者もそう成っているのだと。


 ならば、魔人を殺す為には――その者は魔人たり得なければならない。


 人間へと手を掛けた魔性の腕を、光の一閃が弾き飛ばす。肉が面白いように弾け飛び、血は粛々と床板に痕を残していった。


 しかし、殺意は其れで終わりではなかった。白光は魔性の腕から駆けあがり、その腕肉、肩、首筋、顔。そうして全身を食らっていく。


 牙を立て獲物を咀嚼するように。舌を這わせ味わい尽くすように。食った。


 その光景は一言で言って醜悪だ。美麗とも思える光が、悪食の限りを尽くして一体の魔性を食らい尽くしていく。


 最後には血も肉も全てがなくなり、薄暗い石だけが残った。路傍にあるのと何ら変わらぬただの石。


 白い指先がそれを拾う。少女の手だ。白髪がぱさりと揺れ動き、レウとそう名乗った少女の小柄な身体に纏わりつく。


 一瞬の静寂。その後に、魔性共が蹄を鳴らし、武器を手にとって少女に警戒の意を示す。


 魔性の習性の一つには、力への礼賛がある。姿形がどのようなものであれ、力ある者は敬意と警戒が示される。それは相手が少女であれど変わらない。


 だから魔性共はレウを子供と思わなかった。魔性を殺す事の出来る敵だとそう認識した。狼の顔つきをした魔獣が、牙を打ち鳴らそうとした瞬間。


 レウと対面する魔人、統制者ドリグマンが声を発する。


「――見間違い、ではないな。そうか、君は宝石か? 天鎖にも縛られない奔放さは相変わらずのようだね」


 眼を歪め、それでも声を荒立てぬように同胞の名をドリグマンは呼んだ。姿はまるで別人だが、その至高の輝きを示す原典はかつて見た同胞のものに違いない。


 もう幾百年もの間離れていた同胞との邂逅だ。ドリグマンの声には否応なく多少の親しみと懐かしみが籠っている。


 同時に、それ以上の懐疑も。


 彼女は今、己の部下を殺めた。それ自体は事故だと言えなくもない。


 宝石バゥ=アガトス。かの魔人は奔放極まり、他者の生死さえも己の為にあると信じ、誰かを省みるなどという事を知ろうともしない。全ては己の為にあり、個で全てが完結する。其れこそが宝石という魔。


 そんな彼女の事だ、多少の事はしでかしてもおかしくはない。それは事実。


 だが――今彼女は、人間を庇わなかったか。


 ドリグマンは手の平を軽く開き、白髪の少女を見つめる。髪と同色の眼が、真っすぐにドリグマンを見返した。


「……ごめんなさい。私にそのような名前はありません。ごめんなさい」


 魔性の一体を食い殺しておきながら、何処か気弱そうに彼女は言う。陰気な少女だと反射的にドリグマンは思った。


 そうしてその一言で理解をした。己の同胞に何が起こっているのかを。


 宝石は目覚めておきながら、未だ魂の蓋を閉じたままなのだ。自らの原典を開いておきながら、眠気眼でぱらぱらと捲っているだけ。


 だからこそ未だ身体の主導権をその主に譲ったまま、かつての姿も取り戻せていないというわけか。自由な彼女らしいといえば、らしい。


 けれどそれも、本意ではあるまい。なら無理やりに起こしてやれば良いだけ。それで彼女はかつての姿を取り戻す。


 ドリグマンは周囲の魔性を睥睨したまま、手の平を開く。そうして未だ距離がある中、少女に向けた。


 ふと思い、口を開く。そういえば、どうして彼女が態々こんな所に来たのかが、不思議だった。見た目だけならばただの少女だ。魔性の寝床に転がり込むような気性にはとても見えない。もしかすると、宝石が多少は自意識を目覚めさせているのだろうか。


 問うと、少女は声を震わせながら、どう考えても怯えを見せたまま言う。


「……ごめんなさい。彼女を助ける為に。それだけしか、私に生きる意味というものはありませんから」


 白い髪の毛を揺蕩わせ、生気のない眼で少女は言う。その手の先には、先ほど魔性の爪先で死にそうになっていた女がいる。顔面は蒼白となり、少女を見る目すらも化け物を見るそれだ。


 彼女を助ける為に飛び出したのだと、少女は言う。僅かながらに身体に宿った宝石の権能を使って。


 そうか、とドリグマンは答えた。そうして続ける。


「人間は分からないな。くだらない事だ――」


 他者の救命。その為だけに危難に飛び込むのかと。そう口の中で呟いた。魔性として生きる者にはどうにも理解がしがたい感覚だ。


 白髪が、ドリグマンの視界の中で揺れた。


「――誰かを助けるという事は、決してくだらない事ではありません」


 その一言。ただその一瞬だけは、生気のなかった瞳に力が籠ったようにドリグマンには思えた。それこそかつて見た、宝石を彷彿とさせるような強い眼。月光の如き煌きが。


 僅かな間、その眩い輝きに眼を細めた。懐かしい、それでいて憎らしさすら覚える灯。


 だから、気づくのが僅かに遅れた。

 

 ――銀のナイフが、音すら貫いて中空を裂いていた。


 ドリグマンの猛禽の如き眼が動く。



 ◇◆◇◆



 魔性が石へと変じ、白髪が魔人と相対した頃合い。


 その様子から一切の視線を動かさぬまま、唇を開く。頬が、拉げたように揺れていた。


「――いい加減離せよ、カリア。まさか俺の腕をへし折ろうって気じゃあないだろう」

 

 そう言って、カリアが掴み取った左腕を僅かに動かす。ただそれだけで腕骨が大いに軋みの悲鳴をあげ、血肉が痙攣して反応を示していた。


 いや、こいつの膂力はどうなっているのだろうか。


 普通人が幾ら強固に他人の腕を締め上げたとてしても、多少の反抗は出来るものだ。


 だが今はどうだ。鉄で接合でもされてしまったかのように腕が動かない。お前本当に人間なんだろうなと、呆れた声を漏らし言った。


 その間も、眼前の光景からは目を逸らさなかった。カリアが耳元で囁き言う。


「私が離せば、いいや離していれば貴様は今何をした――また引き絞った弓矢のように刃を振るっただろう。アレに向かって」


 違うのか、とカリアは続ける。一瞬唇が閉じた。


 違う、という否定する言葉は口からどうも出て行かない。流石に白々し過ぎる嘘というのは、如何な俺とて吐き辛いというものだ。その程度の良識はあったらしい。


「……凄いわね。子供に聞かせる寝物語そのままの化け物よ、あれ。いいえ神話の世界かしら」


 フィアラートが黒眼を瞬かせ、そうして感嘆すら含めて言う。美麗な唇が今日のこの時ばかりは歪んでいた。必死に何と言うべきか言葉を探しているようだった。


 カリアも、フィアラートも何を言いたいのかはよく分かる。いいや、きっと彼女らより俺が一番理解しているに違いあるまい。


 魔人、それにレウと名乗った白髪の少女。あれは異形だ。生きて歩く死そのものだ。


 本能と理性が揃って精神を掻きむしり、魂を揺さぶって叫んでいる。逃げるべきだと。人間の命などあれの前では霞に等しい。


 そうだとも。そうすべきだ。それが正しい、間違いがない。英雄たるカリアにフィアラートも言っているではないか。


 エルディスの碧眼を見て、お前はどうする、とそう問うた。もう、俺自身の中で答えは出ていた。


 エルディスは指先で顎を撫でながら言う。


「そうだね。正直を言うのなら、二人と同じく君を縛り付けてしまいたいけれど」


 物騒な事を。頬をひくつかせたまま、僅かに宝剣を握った手に力を込めて、続きを聞く。


「――行くんだろう、君は。分かっているよ。だからね、言いたいのは馬鹿な事をするなとかそういう事じゃあない」


 エルディスの指先が俺の胸元を突き、唇が開く。心臓が、いつの間にか大きな音を立てているのが分かった。そうしてエルディスは、笑う。


「もう君だけの命じゃあないんだ。行くのなら僕らの命の分も責任を持って、足を踏み出すと良い。その決意があるのなら、僕は幾らでも君に縛られる」


 胸が一度、大きく鳴る。

 

 酷く重い言葉を投げかけてくれるものだ。いいや確かに、今更死地に飛び込んだあげく馬鹿な死に方をして、俺一人が死んで済みましたなんていう事は言えんだろうさ。


 嫌だ嫌だ。死ぬのも、人の命を抱え込むのも最高に怖い。魔人だってそうさ。とてもではないが直視すらしたくない。何もかもが嫌になる。


 ああ、それでも。


 すべきことはしなければならないし。今更本来の性分に戻って臆病に生きるのも嫌だった。あの頃のように戻るのだけは御免だ。それに、そう成れない事情もある。


 ならば恐怖は意地を張ってでも飲み込み、血を流してでも過去と現在を踏破しなければならない。俺の勇気などというのはその程度のものだ。その程度で十分だ。


「――なら、行くか。魔人殺しだ、高らかに行こう」


 笑みを浮かべ、銀色のナイフを懐から掴み取りながら言った。

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