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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第三百七十八話『王都潜入』

 王都アルシェ内部。


 魔性の度重なる統制と弾圧により、かつて繁栄を極めた大通り、そうして小さな路地にすら人の姿は見られない。人類種と名がつく者の大多数は、魔性共の統制下にあるとそう言って良かった。


 家畜として飼育される者もいれば、食料として保管される者もいる。一部には魔術の為利用される者もあった。


 ゆえに軒を連ねる家々にもはや生気はなく、あるのは未だ逃げ延びた者らが呼吸を押し殺す音のみ。


 かつての時代の如く人間から自由は奪い取られ、生を謳歌する楽しみは失われた。


 その呼吸すら忘れてしまった王都の中。裏路地に少女が一人いた。


 白い髪の毛、薄く赤い眼。粗末な服装を身に着けている所を見るに、王都周囲村落の子供なのかもしれない。足を覆う粗末な靴にも、外の木切れや土がこべりついていた。


 その容貌に多少の珍しさはあれど、その衣服等は普通の子供が身に着けるものとそう変わりない。


 ゆえに特筆すべきは、その姿。


 頬に、肩に、衣服や脹脛に至るまで。血がついていた。薄いものではなく、下地の色をかき消してしまうほどに濃い血液。


 それが全て彼女の外傷に依る出血であるならば、間違いなく彼女はすでに絶命している。ゆえにそれは返り血だ。


 周囲には複数の人間の死骸と、同時に魔獣の肉片。莫大な血と共に明確な死が横たわるその裏路地に少女はいた。もはや残っているのは、少女と一体のコボルトのみ。


 彼女の小さな頭部を、コボルトがその手の平で掴みあげている。そうして頭蓋骨に罅すら入れかねない勢いで握り込んだ。


 少女は抵抗する気力すらないのか、嗚咽をあげて力なく四肢を垂らす。


「なぁ、人間。俺ぁ、難しい事を聞いてるかい。一つだけで良いんだ、何があったか話してくれよ」


 それは犬と猫が混じったような顔をしたコボルトだった。筋骨隆々とした魔獣の指先が少女の頭蓋を軽く揺らすと、軋みに似た音が鳴る。


 魔獣特有の傲慢さが漏れる喋り方ではなかった。それはこのコボルトの性格に依る所もあるだろうが、今の状況に警戒を露わにしているからというのが大きいだろう。


 コボルトが此処に来た時、もうこの状況になっていた。傷一つない少女に、斬獲された同胞達。人間達の死体もあるが、同士討ちとなったというのは不可解に過ぎる。


 詰まりは何かが、あったのだ。異常と言える何かが。統制者たるドリグマンに、報告をせねばならない。

 

「……分かりません。私には何も分からないのです。ごめんなさい、ごめんなさい……」


 少女は嗚咽を漏らしながら言う。怯えてというよりも、感情を放り投げたように吐き出された声。


 話になりそうにない。コボルトはそう判断した。


「面倒だよ。生き残ったのがとろっくせぇ人間だけってのはな。もう少しましな奴が生きてりゃあよかったもんを」


 少女の反応はない。ただ生きる気力すらないというように、手足は放り投げられている。


 どうしてかは分からないが生気のない態度と赤い眼が妙にコボルトの気に障った。


 人間とは生きぎたなく足掻きながら、それでいて絶命するものだ。そうあるべきだ。コボルトは握り締める手に力を込める。一瞬の後、少女の頭蓋は柘榴のように圧殺されるだろう。


 その間際の事だった。首が、燃えるように熱を有する。コボルトの眼が見開いた。


 それが痛覚の叫びであるとコボルトは理解する事ができなかった。その前に、彼の首に突き刺さった刃はその太い首を刎ね飛ばしていたから。


 紫電が走ると同時、魔性の骨髄が露わになり血が再び少女の頬を濡らしていく。声が僅かに路地裏を舐めた。


「路地裏じゃあ、ぺらぺらと気分よく喋るお喋りは早死にするってのが常識さ。知らなかったか」


 生気の欠けた少女の瞳に、緑色の軍服が映り込んでいた。それに重ねて、複数の人間が見える。服装に統一性はなく、王都の人間という風でもない。その様子を見るに彼らの多くは、死骸となった人間の仲間であったのかもしれなかった。


 軍服を着こんだ青年が、珍し気に少女を見た。少女がよく見る瞳の色だ。奇異さと怪訝さを含んだ色。少女の背筋が跳ねた。


「一人かい。親類はいるか。それとも孤児院の出身かね」


 優し気な声だったのだとは思う。屈みこみ、こちらの目線に合わせた態度は少なくとも悪意に満ちたものではなかった。


 それでも、少女は喉に迫りくるものを感じ、背筋には焦燥が走っていた。数瞬の間があって、ようやく声を捻りだす。


「……ごめんなさい。いません。ごめんな、さい」

 

 怒られるだろうか、呆れられるだろうか。そんな怯えを含めた声だった。


 少女は己のこの気弱な声がどうやら人に好かれぬ類のものであるという事は知っている。けれど、今更直せる様なものでもなかった。


 この話し方しか、教えてもらった事はない。そうして許された事もない。


 青年に大きな反応はなかった。彼はゆっくりと頷くと、傍らに控えていた黒髪の女性に視線を配る。今度は黒髪の女性が少女に言う。


「大丈夫、ではないわよね。良いのよ、ゆっくり呼吸を整えて」


 フィアラート。そう呼ばれた黒髪の女性は、少女と視線を合わせながら手を軽く握る。少女が久しく感じた人の暖かみだった。


 けれど、それすらも今の少女にとっては怯えの対象だ。びくりと背筋は震え、眼が見開く。黒髪の女性はゆっくりと噛み砕くように、少女に言葉を漏らした。どこまでも柔らかで、こちらに合わせた言葉遣い。


「申し訳ないのだけれど。今貴方を住んでいた所に戻してあげる時間がないの。……ごめんなさい。急にこんな事をいっても混乱するかもしれないけれど。今は、私達を信じてついてきてもらえないかしら」


 貴方を守ってあげるには、其れしかできないから。黒髪の女性はそういって、両手で少女の片手を握りこむ。優し気で、壊れ物にでも触るかのような手つき。


 それでも少女はその言葉がやはり――怖くて堪らなかった。会話を続け、誰かの注目を浴び続ける事が怖くて、焦りが汗となり手に溜まり込んでいく。


 だから、相手の意に沿い早くこの場を切り抜けるために、少女は頷いた。女性の話など、殆ど聞いていなかった。


「ありがとう。貴方、名前は?」


「…………レウ。ただのレウです」


 レウは、早く会話が終わることだけを願ってそう言った。



 ◇◆◇◆



 下水路に入り込んのだは日が沈むと同時、しかし王都内部でガーライストの残兵と合流出来たのはすでに日が明けるかという時間だった。


 王都がまず広いというのも勿論あるが、魔性共の警戒が妙に厳重だ。残兵を探しているのだろうか。都市内の何処にいっても魔性の影が見え隠れしている。


 幾ら久々の帰還だからといっても、ここまで盛大にお出迎えなどしてくれなくていいというのに。全く過剰な事だった。


「魔人――ドリグマンとやらは、王宮に居座ってやがるのか」


 薄暗い室内、蝋燭の灯だけに照らされながらリチャードの爺さんが言った。残兵達が居座っていたのは裏街の一角で、とても日光など差し込みそうにない。


 爺さんの固い言葉にあてられたのか、僅かに怯えをもって兵は頷く。


 曰く、王宮を中心として魔性共は陣を成し軍隊の様相を成している。そうして小分けの部隊が各個王都内や周囲村落を巡回するというわけだ。周囲村落を巡回する意味は、まぁ聞かずとも分かる。


 人と物を攫う以外にあるまい。


 爺さんが眉間の皺を深め、それでいて呆れたように言った。


「王宮に悠々と入れるなんてのは貴族連中と相場が決まってるが。魔獣共も偉くなったもんだ」

 

 嘲りと、それと同時に苦痛をかみ砕くような声。余り爺さんが出さない類の声だ。


 王都の惨状を前に、流石の爺さんも何時も通りとはいかないらしかった。どういうものであれ、想う所はあるのだろう。まぁ、それは俺も同じだが。


 かつて栄耀栄華を極め、俺なんぞ目を向けることすら許されなかった王宮という権威そのものが、今は魔性の足元で汚されている。胃をそのまま煮詰められている、そんな複雑な気分だった。


 人を押しのけねば歩けなかった大通りも今は魔性のものとなり、人は自由に外を歩くこともできないというのだから最低だ。事実、先ほど一人子供を拾った以外は路地裏にすら人影を見ていない。


「外の軍を使って魔人と魔獣共を引き離す必要があるな。魔人の腰を動かさず、魔獣共をおびき寄せる程度にだ」


 カリアが銀眼を輝かせ言う。慣れ親しんだ王都への帰還だが、その声にはまるで緩みや棘のようなものはなかった。カリアの事であるから、激昂の一つや二つは見せるかと思っていたのだが。


 何せ彼女は俺が連れ出しはしたものの、本来はガーライストの騎士階級だ。其処には俺が抱いた事もない忠誠や、敬意のようなものをもっているに違いはあるまい。今はただ、感情をかみ殺しているのかもしれなかった。


 爺さんが、一瞬喉を鳴らしながらカリアに応える。


「急ぐなよ嬢ちゃん、それだけじゃあ足りん。相手は得体の知れない魔人様だ……可能な限り戦力は削ぎたい」


 そうして奴の訳の分からん力がどういうものかを知る必要もな、リチャードの爺さんは眼を細め皺の影を深めて口を動かす。


 どうにも此の爺さんは、悪巧みをする時は実に楽しそうだ。


 だがまぁ事実。魔人と相対するにはそれ位の慎重さは必要だろう。


 統制者ドリグマン。魔獣魔族共を統べる魔性の軍団長。全てを知るわけではないが、奴の脅威とその殺され方だけはよく知っている。


 かつての頃、他でもない――英雄ヘルト=スタンレーが殺した魔人だ。


 何でも神話の時代から、奴は二本の腕で全てを掴み取り統制し、そうして地に二本の足を付けている限り敗北をしなかったとか。酷い話だ。そんなデタラメをよくもまぁ通したもので。羨ましい事この上ない。


 だからこそ神話でもかつての頃でも。奴は同じ殺され方をした。


 そういった事を神話になぞらえ多少口に出す。流石に全てをというわけにはいかなかったが、無いよりはマシだろう。


 一拍を置いてから、爺さんが言った。


「よし、分かった。魔獣共に関しては、火ぃ、使うか。俺の得意分野だ。ルーギス――」


 俺の眼を真っすぐに見つめなら、爺さんはその言葉を吐いた。唇を歪め、視線を伏せる。


 つくづく、正気かよ。肩をすくめて、言った。


「――良いさ。魔人については別で探りを入れてみよう。その代わり抜かりなくやってくれよ、爺さん」

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