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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十四章『魔人編』
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第三百七十五話『耳打つ災厄』

 王都アルシェが門から吐き出したのは、魔性とそれに連れられる人の群れだった。男女を分けず、力ない足取りで彼らは歩く。その見た目は多種多様だ。


 五体満足であるもの。腕を失っているもの。戦疵を受け包帯を巻いたもの。けれど誰一人として無傷というものはいなかった。


 彼彼女らの多くは兵士だった。王都を守り抜くために最後まで槍を振るい、盾を掲げながら勇を振るった者達。その中で不幸にも、殺されず捕らえられてしまったのが彼らだ。


 周囲を覆い彼らを引き連れるのは魔性。それらは人間からすると見上げるほどに大きい。比較的小柄なものですら、成人男性より一回りほど上の体格をもっていた。


 人間の誰もが、確かな予感をもっていた。


 己らはここで絶命する。見せしめに頭を割られ、心臓を破られるのだ。何せ魔性共に引き連れられていった同胞たちは二度と帰ってこなかった。


 それを想うと、震えを起こしたくなるような緊張がある。今この場で膝をついてしまいたい。誰もがそんな想いを抱えながら、それでも喚き泣き出すものはいなかった。


 男と女とを問わず、彼らはガーライスト国軍の兵士。その中でも最後まで足を止め魔性に歯向かった者ら。中には市民でありながら勇敢に振る舞った者もいる。


 それは彼らの誇りだ。人間としての矜持と言い換えても良い。冷たい死の予感に胸は押しつぶされても、尊厳の灯だけで彼らは背筋を伸ばしている。


 一歩前へと進む度、緊張の糸が弾けそうになる。心臓が必要以上に全身に血を運び、妙な熱気を持つ息が漏れた。何が起こるのだろう。それをどうにか考えないように意識していた。


 先頭を歩く魔性、コボルトが猫の顔を奇妙に動かして言う。傍らには淡い色をした妖精のようなものが飛んでいた。


「俺ももう三度目で、いい加減飽きて来たんだがよォ。決まりだから聞くんだガ」


 兵達にとって、魔性が知性を見せ言葉を捻りだす事に少なからぬ驚きはある。捕虜となった間に何度か経験した事だがそれでもまだ慣れなかった。猫面が声を発する様は、悪い夢でも見ているのではないかという気がする。


 コボルトの傍らにあった妖精が、その鈍い光を輝かせる。


「今俺らに忠誠を誓うんなら、従うんなラ、許して良いと魔人様は言ってル。どうする?」


 至極どうでもよさそうに、コボルトは言う。自分で聞いておきながら、まるでその返答には興味がないとでもいうよう。飽きて来たというのは、本当の事なのだろう。


 それは仕方があるまい。人にしろ魔性にしろ、何度も同じ場面を見させられれば慣れと同時に倦怠を感じるのは当然の事。


 だからこれを見聞きするのは、コボルトにとって三度目だ。先頭に立っていた、比較的大柄な女が言った。


「断る、ふざけるな。お前らが私達の祖国に何をした! 魔獣が調子に乗るなよ。いずれ国王陛下がお前らの首を獲りにくる。その時命乞いをするのは誰か覚えておけ!」


 啖呵としては上等な方だった。命の際にありながら、此処まで堂々と言葉を発せる人間はそういない。正確には今の所いなかった。


 そうかと、コボルトは瞳孔を大きくする。


「そうか。勇敢だ。気概もあル。けれどそういう人間も最後には、助けてくれ、ごめんなさい、と泣きながら許しを請うもんだった。あんたはどうかナァ?」


 猫面が女の眼前で小さく牙を剥く。威嚇ではない、ただ笑みを浮かべただけ。それは嘲笑だ。堂々たる振る舞いをすることが癪に障ったのかもしれなかった。

 

「先に教えとこう。あんたも、他の連中も。勇敢に戦って死んだんじゃなく、逃げ回って死んだ事になル。中の奴らにはそう伝わル。その罰としてあんたらの家族は辱められ、他の人間に殺されル。あんたらを呪いながら死んでいく」


 女、それと周囲の兵士らの眼が強張ったのをコボルトは見逃さなかった。多少の飽きはあれど、未だこの瞬間がコボルトは身震いするほど好きだった。固く積み上げた覚悟が、根本から揺さぶられるその様。


 理解はしていただろう。覚悟はしていただろう。彼らの家族の多くは未だ王都の中にいる。自らが歯向かえば、当然に守れなかった家族は死ぬ。


 殺されるか、犯されるか、奴隷にされるか。陥落した都市の末路とは大抵がそんなものだ。だから、覚悟はしているはず。


 だが覚悟をすれば一切の揺らぎがなくなるかといえば、そうではない。人間の精神はそれほどに強くない。それをコボルトはよく知っていた。


 周囲の魔性が、思い思いに喉を鳴らして嗤う。


「あんたに夫がいルなら、彼は生きたまま腸を食われながら死ヌ。娘がいるなら、その子は魔獣の子を孕む。孫はコボルトがいいか。それとも、トロルが良いか。決めさせてやるヨ」


 恐らく其処が限界だった。女はコボルトの声をかき消すように唸りをあげ、両腕を振るう。枷を付けられてはいたが、それでも何もしないよりマシだった。


 間違いなく死ぬだろう。例えようもない無残な有様で。だがそれでも、こんな惨めな現実を突きつけられるよりは良い。そう思った。


 けれど、女は死ねなかった。


 それは周囲の兵らも同様。足を断たれ、腕を貪られ、眼を破裂させられ。玩具のように扱われて弄ばれながら。まるで死ねなかった。魔性たちがそれを決して許さない。彼らは主たる魔人から、そのように命令されているのだから。


「あんたらよぉ、戦いで死んでりゃ良かったなァ。そうすりゃ楽に死ねたよ」


「ぁ――ぇあ゛、ぁあア゛アッ!?」


 会話も応答もない。ただ有り余る絶叫だけがあった。コボルトの鋭い指が、眼窩を突き刺す度にそれは鳴った。


 妖精が、それをみながら死雪の中で揺らめいていた。



 ◇◆◇◆



「……酷ぇもんだろ。ここ最近続けて此れだ。生意気にも小手先を使いやがる」


 こみかみの辺りを抑えながら、舌を見せて爺さんは言う。先ほどから耳に響き続けていた絶叫が、ようやく耳朶から離れていった。


 エルディスが、大きく表情を歪めて口を開いた。忌々しいものを吐き出すようだった。


「どうやら、僕らに近しいのがいるね。声や幻を風に乗せて運ぶのは、精霊や妖精の得意技だから」


 それでか。唐突に耳奥に絶叫が流れ込んできたと思ったら、それ以外の音がまるで聞こえなくなった。知らず噛みしめていた奥歯が僅かに痛む。声に揺さぶられでもしたのか、視界がぶれていた。

 

「なる、ほど……精霊術にはこういう使い方もあるのですね。此れでは、王都の民は日に日に生気を失うでしょう」


 マティアが青ざめさせた顔を見せながら、苦々しい表情で言う。


 それはそうだろう。人間が縊り殺されるまでの悲鳴や絶叫だのを延々と聞かされ続ければ誰だって気がおかしくなる。それは民だけじゃあない、兵士だって同じだ。


 特に、此の砦にいる兵士は国軍の一部だったと聞く。同じ組織に所属し、同じ訓練を受け、もしかすると話だってした事があるかもしれない。


 そんな奴が死んでいく様を聞かされ続けたら、まぁ真面じゃあいられない。


 最低最悪の気分だ。こんなのは久しぶりだった。地の底だってもう少しましな監獄を用意してくれるだろうに。吐息を漏らす。口の中が、熱かった。


「それで……此方がただ静観しているというのは何故です。何かしら理由があるのでしょう」


 当然、あんな真似をするのは間違いなく誘いだろう。こちらが耐え切れなくなって砦から這い出して来るのを待ちわびているのだ。流石に此処まで非道ではないが、戦場ではままある手だった。


 砦や要塞に立てこもった相手とやりあうより、平地での戦闘の方がずっと楽に決まっている。だからこういう際には、えてして我慢比べに陥る。


 だが聞く限り魔性共は精々が数百程だという。その程度であるならば、誘われるまでもなくリチャード爺さんは悠々と攻め入るはずだ。


 敵が、通常であれば。白い顎髭が視界の先で揺れた。


「ご明察だね。兵が無駄に死ぬだけだからさ、紋章教の聖女様。奴らが王都に攻めかかってきた際。当然王都に誰もいなかったわけじゃあねぇ」


 相応の国軍、魔獣の群れなど歯牙にもかけぬだけの戦力がいた。王都に相応しいだけの護りが。


 だが、それでも尚駄目だった。


 爺さんは口を殆ど動かさずに言う。その声には、今まで見たこともないほどの深々とした静かな憤激が張りついている。表情は見て取れない。けれど今確かに、言葉にはしつくせぬほどの情動を爺さんは抱えている。


「――魔人。そう呼ばれる特異がいます。王都は其れ一体の為に陥落したと言って良いでしょう」


 爺さんの傍に控えていた副官、ネイマールが静かな声で言う。だがやはり、その声にも沸々としたものを感じる。堪え切れぬだけのものを感じているのは、皆同一なのだろう。


 魔人の特異――つまりは原典。大魔や魔人を、其れたらしめるもの。彼らの存在証明であり、魔術や武威を遥かに超える奇跡。


 かつての頃も、其れを前に何人もの英雄英傑、勇者たちが死んだ。あの番人ヴァレリィとて同様だ。それがどれほどの脅威であるのかは、聞かずとも分かる。


「あの魔人の前では大地が歪み兵が弾け飛ぶのです。理屈も、魔術理論もまるで分かりません……敢えてこう言いましょう。成す術はありませんでした」


 立つべき地が揺らぎ、そうしてわけのわからぬ力に兵は振り回される。その正体は不明。


 なるほど、軽く聞くだけでも嫌になってくる。とてもじゃあないが真面な心地で刃を合わせたいとは思わない相手だ。


 少なくとも大軍で攻め寄せれば、出し抜くだけの手が相手にはある。だからといって持久戦に臨めば、あの最低の誘いか。


 肺の奥底からため息を吐く。感情は堪らぬほどに胸中で動き回っているというのに、そのやり場が見当たらない。そんな気分だった。知らず、噛み煙草を噛みしめる。


「それで、爺さん」


 息を漏らしながら言う。特有の匂いが、鼻孔を駆けていった。リチャードの爺さんの深い瞳が、此方を見た。頬をつりあげて言う。


「まさかこのまま、死雪が終わるまで立てこもります、なんて事はねぇだろうな? 耄碌したなら仕方ねぇがよ」


 爺さんが歯を慣らして、喉を大きく動かした。笑みすら浮かべているように見える。


「馬鹿やろう。てめぇ誰にものを言ってやがる。てめぇこそこの数年の間に、王都を忘れちゃあいねぇだろうな?」


 この爺さんは誰に物を言ってくれているのだろう。やはり耄碌したのかもしれない。


 王都は俺が育ち、そうして裏街を駆け回った場所だ。その路地も、溝の箇所も。下水の位置すらよく知っているさ。全てが頭の中だ。惨めに這いつくばった記憶は今も尚生きている。


 そう、全て。


 歯を鳴らし、そうして大きく頬をつりあげた。爺さんも、俺とまるで同じ表情を浮かべていた。

何時もお読み頂きありがとうございます。

お読み頂ける事とご感想等頂ける事が、日々何よりの励みになっております。


先日お伝えさせて頂いておりました本作のコミカライズ化ですが、本日発売

のコンプエース様6月号に掲載される予定となっています。


メイジ様によって鮮やかに本作を彩って頂け、また違う彼彼女らの活躍を

見て頂けることと思います。

よろしければ、お手に取って頂ければ嬉しい限りです。


以上、何卒よろしくお願い致します。

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[良い点] 読み直して一気に来てしまった [一言] ここからの盛り上がりも好きだから楽しみ
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