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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
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第三百六十二話『抑止力たらんとする者ら』

 傀儡都市フィロスの一室。それは紋章教の面々が都市統治を行う上で用意された複数ある執務室の中でも、一際小さな部屋だった。


 この部屋内では、重要文書の保管も記録も必要ない。ただ面々が言葉を発し、頭の片隅に入れておくだけ。だから、ごく小さな部屋で問題はなかった。


 それは会議といえば確かにそうなのであろうが、正式なものではない。その場合は記録官が必ずつくからだ。それが無い以上、対外的に此れは他愛ない意見交換に過ぎない。


 ゆえに此の場も、その参加者も。公式には記録がされなかった。


 参加者の一人。初老の男が淡々と口を開く。


「どうにもなりませんでしょうな。彼の人が動き、聖女が後ろ盾をされる以上。面と向かい反対を出来る人間は実務者にはおりません」


 それにガザリアの女王もその肩を持つとなれば、唇を動かす事すらままならない。そう男は続ける。


 臆面もなく発された言葉は無遠慮にすら思えるが、此れが男の常の姿勢だった。そうして、案外その点において男は悪い評価を受けていない。


 率直に言葉を吐き出せるというのは、実際の所稀有な才能だ。それでいて彼は、実務面においても実直な男だった。物事が可か、不可か。それを切り分けるのは彼の得意とする所だ。


 それらの能ゆえに、彼は都市フィロスにおいて実務を取り仕切る筆頭行政の地位に就いている。髪の毛の間に僅かに混じって見える白髪が、都市一つを纏め上げる男の苦労を匂わせていた。

 

「……分かった。儂から今一度、聖女に必要な事をお伝えしよう」


 男の言葉を深く受け取ってから。幾重もの皺を顔に刻み込ませた老人が頷くように言った。男は彼の言葉を、表情には出さないもののやや緊張感をもって飲み下す。


 老人は、紋章教の重鎮サレイニオ。彼は今の聖女が生まれる前から紋章教の政務に関わっており、崩壊しかかっていた紋章教の組織基盤を作り直した人間だ。


 元々は学者としての道を歩んでいたというだけあり、その知啓や歴史的見識は目を見張る。その発言権は現職を退いた今でも尚大きく、実際彼は未だ紋章教の相談役のような立ち位置についていた。


 その元老の長とも言うべき人間が、どうして深い皺をより濃く刻み、端から見ても固い表情をしているかといえば原因はただ一つ。


 ――紋章教が誇る英雄ルーギスの振る舞いについてだ。


 要するに、サレイニオは彼の人に関する現況が大いにご不満であるらしい。無論、彼だけでなく紋章教の元老連中の大多数がだ。


 サレイニオの声の中には、何処か憤懣としたものを感じる面がある。

 

 何なのだあやつは。どういう出自で、どういう人間なのだ。


 男は元老連中のそんな苛立たし気な声を幾度も聞いた覚えがあった。聖女が自ら手を引いたあの人間は、誰なのだと。


 しかしそれも当然の声というものだろう。あのルーギスという青年は、最初ただの冒険者でしかなかったと聞く。出自も、血脈もまるで分からない。まさしく馬の骨だ。


 その彼が何時しか紋章教と手を取り合う存在となり。そうして同盟相手、いや紋章教の英雄にまで祭り上げられた。しかも、紋章教の権威たる紋章の二文字を彼に与えてだ。


 古くから紋章教の礎となっていた元老達からすれば、よく知りもしない若者に何をという気分にはなるだろう。


 無論その過程において聖女マティアも言葉を尽くされたが、かといってすぐに全てを受け入れられるかといえばそれはまた別の話だ。知識として理解は出来ようと、感情的な納得へはそう簡単に至るまい。


 知性と理こそを重んじる紋章教の人間が、感情に振り回されるのも如何なものかとは思うが。人間が積み上がってできている組織である以上その点は仕方があるまい。感情全てを捨てきれる人間など、そういるはずもないのだと男は理解していた。


「議場では、ガーライスト王国に直接干渉するという話が出ていたが。その詳細はどのようなものになった」


 枯れた木々を擦る様な声。年老いた女が、それでも口調に強いものを含ませて室内に声を響かせる。もう齢六十は数えるだろうが、未だ妙な気迫がその眼にはあった。


 彼女もまた、ルーギスなる者の行いには思う所が十分にあるのだろう。その苛立たし気な声に一瞬室内の空気が圧迫される。


「こちらは今、聖女マティアが英雄殿にお伺いしている所です。今晩中に話が固まれば良い方かと。監獄ベラの件も同様です」


 この場には珍しい年若い声が、答える。女は頷きながら、吐息を漏らした。


 どうやら、未だ憤懣やるかたないという有様のようだった。男は白髪を揺らしながら、気づかれぬように喉を鳴らす。


 元老達の感情を刺激してやまないのは、彼の人の専制的とも言える振る舞いだ。


 まだ協力者であった頃はどう動いてもらおうと構いはしなかった。冒険者が独断的行動を好むのは常の事だからだ。


 冒険者という人種は、組織というものの根本を理解しようとしない。指揮に従うを良しとせず、自らの判断を良しとするのが彼らだ。だから、ルーギスなる者が元冒険者であったというのは男にはよく理解出来た。


 けれど、紋章教の英雄、ないし黄金の紋章を持つ者がそれでは困る。其れが、サレイニオ及び元老達の率直な声だ。


 単独で動き、独断を行うなど組織の者としてあってはならない。まして知性と理を重んじる紋章教においてはあり得ないことだと。それでは組織が維持できぬとそういうのだ。


 確かに、正しい言葉ではある。道理だろう。


 だが男は、結局の所それも建て前だろうとあたりをつけていた。男は生真面目そうに眼鏡の淵をなぞる。老人達が真に懸念しているのはもっと、別の部分。より俗物的な部分だ。


 詰まり彼の人が此のまま成功と栄光を積み上げ、その結果として紋章教の絶対君主とならないかを、懸念しているのだ。そうして、元老達の権限ははぎ取られるのではないのかと。


 と言っても、サレイニオだけは別だろうと男は思う。彼は紋章教の理念と教義の怪物だ。組織を成り立たせる才と、それに見合うだけの野心は持っているが。それでも彼は野心よりも理念が勝る。そういう人だった。


 ゆえにこそ、ルーギスが専制的行動をとることを余計によく思わないのだろう。何せ今、其れを半ば肯定している状況に紋章教は在る。

 

 現状、紋章教には聖女マティアと女王エルディスの支持を受けた人間を止める機構が存在しない。彼女らが彼を肯定する以上、其れを誰にも防ぎきれない。常、其れは正しい事となってしまう。


 此れで支持されているのがただの凡庸な人間であれば。一度の非常事態という事で事を終えられたのだが。


 元老達にとっては忌々しく、紋章教にとっては喜ばしい事に。ルーギスなる人は紛れもない英雄だった。その実績はもはや語るまでもなく赫奕たるものだ。隠しようもない。


 そうして一般教徒からしてみれば、成功を導いてくれる彼は崇敬の対象でしかない。


 勝利と栄光が彼の背にある限り、実利主義の聖女と一般教徒らは彼を肯定する。例え其処に至るまでの過程でどれほどの規律が噛み砕かれ、誓約が破られようとも。


 その背景ゆえに、元老達もそう易々と彼に手出しが出来なかった。一度弓を引いたならば、下手を打った瞬間自らが射殺されかねない。其れは、大いに不味い。


 故にその憤懣は表に出る事はなく、企みとなって舞台裏に回る。誰にも知られぬよう、察される事のないよう。


 如何にして彼の人を抑えこむか。如何にして彼の人から権限を奪い取るのか。どのような終わりを迎えさせるのか最も良いか。


 ――今は未だ良い。利用価値がある。だが偉大な英雄というものは、必ず禍根を残すもの。なればこそ戦乱の終焉と同時、その最期を迎えなければならない。


 其れが此処にいる面々の、共通認識であろうと男は理解している。首切り刃は、死刑囚がいなくなったなら捨てなければならないのだ。


 ただ実際の所、男は周囲の人間ほどルーギスに対して態度を断定しているわけではなかった。


 いいや、理性の面でいえば。こういった企みは必要だと断じれる。巨大な力であればあるほど、組織として対抗するだけの抑止力は必要だ。彼の人が生粋の紋章教徒でない事を想えば、備えはいくらあっても足りないだろう。


 けれど感情的な面でいうならば。正直、彼の行いに高揚たるものを感じないでもないのだ。


 男は己の能力を理解している。己にはあれは出来ない。足を踏み出す前に、可能か、不可能かという事を断じてしまえる。其れだけの見識が男にはあった。


 きっとルーギスなる人は其れをしないのだ。だからあのような振る舞いを成せる。偉業と愚行とは裏表の存在とはよくいったものだ。


 口には出さない。けれど、少しばかり期待のようものはある。ただそれだけ。白髪が目立ち始めた年齢で、何を考えているのだろうと男は胸中で自嘲した。


 その場の意見交換は、彼の人への抑止力足らんとする面々の言葉で埋められる。サレイニオはその中枢の一人。


 そうして今日はもう一人中枢がいた。むしろ彼女がいたからこそ、態々傀儡都市フィロスで意見交換の場を設けたのだ。各国各地方を動き回り、中々に捕まらぬ人間であればこそ。


 サレイニオが皺が入った唇を動かして、聞いた。


「君の意見も聞きたい――アン。彼が語ったガーライスト王国への干渉も、魔獣を討滅するという話も。何処までが本気で、何処までが交渉材料の内とみるべきか」


 ラルグド=アンは、サレイニオの堅牢さを思わせる視線を受け、淡泊に答えた。其処に気後れだとか、他の感情を探らせるような事は一切しなかった。


 この場での何時も通りの振る舞いで、言った。


「全て本気でしょう。彼は案外と、嘘が下手です。剣を振るうといえば、そのままに振るう。そういう人ですから」


 アンは薄い笑みを頬に浮かべながら、顎を引いて言葉を継ぐ。


「だから、道案内をしてさしあげましょう。それこそ、最期の辻褄が私の手元で合う様に」

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