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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
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第三百五十四話『正義の語り部』

 魔人。人類種の敵。厄災の具現。魔名を持つ者。


 かつてそう語られ、人間を踏み潰し数多くの文化文明を破砕した彼ら。数多くの英雄英傑の槍をへし折り、心臓を抉りぬいた脅威そのもの。


 あの歩く災害が、再び此の大地に闊歩を始めたとアンは言う。それはある種終わりの始まりだ。


 自然と、瞼の裏に都市フィロスでの一幕が鮮明に浮かび上がる。魔術とも呪術とも違う炎熱を手足に纏い、人身を容易く食いちぎるあの姿が。


 あれが、幾体も有ると。しかも各国に。頭に軽く思い浮かべるだけで、どれほど最低な事を引き起こすか想像がつく。


 ただただ、人の心臓を嬲り、人を慰み者にし、人を道具にする。魔人とは其れ。


 以前も、奴らは魔獣を率いる立場を取ることが多かった。単独行動を取る者もいたはずだが、魔獣の上位種である事に間違いはないだろう。ならば、魔獣共が揃って意志持つように動き始めたのはおかしなことではない。


「魔人か――それがどれほどの脅威かは分からんが。必要なのは我々がどうするかという一点だろう。ただ静観するのか。それともガーライスト王国と手でも結ぶか」


 もしくは好機とみて領土に足を踏み入れるか、と付け加えカリアが言う。銀眼が、大きく開いているのが見えた。


 普段、紋章教が絡まる事態についてはそれほど口を挟もうとしない彼女だが、護国官の名を聞いて、何かしら思うところがあったのかもしれない。少しばかり、発する言葉に固さが含まれていた。


 聖女マティアが、紋章教の面々に視線をやりつつ言葉を選び取って応えた。


「――静観はあり得ません。何も手を打たねば紋章教という組織は緩やかな死を迎えるだけ」


 マティアの切れ長な瞳が、言葉と同時僅かに引き締まったのが見えた。


 彼女がこんなにも慎重に言葉を発しているのは珍しい。恐らくは、紋章教内部での耳を意識してのものだろう。


 聖女の語る言葉は、そのまま紋章教の意志になる。もしその意志に反発するものが表れれば、組織は当然に割れる。組織はただちに機能不全を吐き出すようになる。


 今の紋章教が大々的に内部対立などおこせば、その時点でもはや勢力の維持は困難だ。


 というより紋章教自体が、実のところ何とも危うい均衡の中に存在していると言った方が良いかもしれない。


 紋章教という組織は、まず間違いなく聖女マティアのカリスマに依存して存在している。組織構造は未だ完璧には程遠く、各都市に置かれている軍団の指揮系統も整備は仕切られていないだろう。


 本来組織というものは最大権力者の下には下位権限者がおり、その下位権限者の下には更に下位の権限者が、という構造になるものだが。紋章教は違う。


 未だ多くの権力、指示系統が聖女マティアか、その周辺に点在している。急速な勢力の拡大に、組織がついてこれていないのだ。


 マティアはガルーアマリアにてその整備を第一に動いていたはずなのだが、それでも万全とは言えないだろう。


 だからこそ、一度割れればそれで終わる。脆弱な指揮系統しか持たない紋章教という勢力は、意志分断という事態に対抗する為の体力を有しない。万が一そうなった際には、勢力はただの人の群れに戻る。


 マティアが今まで以上に気を使って言葉を選んでいるのは、それを気にしての事だろう。


「交渉に関しては、ガーライスト王国の俗権派貴族等に幾つかの使者を送っています――ただ」


 マティアから言葉を受け取るようにして、アンが続ける。その表情には感情が染み出たよな、苦々しいものが明確に浮かび上がっていた。


 少なくとも、俺を含めその場の全員が、よろしくない情報が今から吐き出されるのだと察したことだろう。


 勘弁してくれ。此方はもう先ほどから黴の生えたパンばかりをテーブルに乗せられている気分なんだ。


「ガーライスト王国は、要塞巨獣ゼブレリリスと魔獣災害への対処を大聖教に一任したとの話も入っています。信憑性は確認中ですが、事実であればガーライスト王国と我らの交渉は困難かと」


 ますますどうしようもない。面々の内数名が、肺の底から重いものを吐き出すように静かな息を出したのが見えた。


 ゼブレリリス。かつて大聖教によって大いなる魔と名付けられたそれ。魔人を統括し、ただ無作為に全てを貪る巨獣は、かつて紛れもない大災害の象徴だった。


 その名を聞くだけで、鉄を直接飲み込まされた気分になってくる。人間という身がどれほど無力かという事を、あれは馬鹿らしくなるほどの規模でもって教えてくれた。


 そういえば以前も大魔、そうして魔人に対しては大聖教が対抗組織になっていた。人類の旗振り役として、崩落しかけた各国を取りまとめる機関として機能しているのだと、以前アリュエノに教えてもらったのだったか。


 恐らくは救世の旅――聖女を生み出す為の巡礼も、その為の手段の一つだったのだ。


 それを思い起こし奥歯を、知らぬ内に噛んだ。歯と歯を擦りあわせる歪な音が、耳の奥を反響する。


 いや結構。状況を知れば知るほど、やはり全ては救済神たるアルティウス様のお望み通りというわけだ。分かりやすいことこの上ない。神様というやつは常に自分勝手に動くとそう決まっているからな。


 実に人の神経を悪戯に掻き毟る脚本を書いてくれる。


 心臓を脈打たせながら、唇を開く。指先が、咥え煙草を掴みあげていた。


「静観は出来ない。ガーライストに使者を送っても意味がない。ならばもう、手段は決まったな」


 久方ぶりに、こういった場で言葉を発した気がした。正直、自分から口を開いたのは数えるほどかもしれない。


 何しろ俺にはマティアやアンのような知恵はないし、カリアやフィアラート、エルディスのように知見を持つわけでもない。それに、俺が何を言おうと大して何も変わるまいとそう思っていたからだ。


 けれど、それも言ってしまえば諦念そのもの。己を否定する卑小な思いが脳髄を絡みとっているだけ。


 くだらない。俺自身の事ながら何と愚かしい。眦が熱を有しながらつり上がった。


 意志というものは、己の手で持って振りぬき精錬せねばならない。ただ傍に添えられているだけのものを、人は意志と呼ばないのだ。


 そうして意志は、言葉と行動に浮かび上がらせてこそ意味がある。


「けれど、使者を送ってきた相手に槍を向けるというのは。それ以降の交渉は諦めるという事に他ならない。それは良いのかい、ルーギス」


 碧眼を傾けながら、エルディスは何処か微笑むように言った。理由は分からないが、耳を擽るような声が何時もより一つ調子を高くしている。


 エルディスのいう事は明快だ。ガーライスト王国がまがりなりにも使者を立てたというのに、此方が兵を用いて答えたなら。奴らはもはや言葉を持って語ることを止める。ただ純然たる戦力をもって、人が最も野蛮であった時代を再現するようになる。


 それこそ、どちらかが敵の前に跪いて降伏の誓いをする時まで、終わらない。


 紋章教には、ガーライスト王国ないし大聖教と正面から戦役をし続けるだけの力はない。総力を持って槍と弓を振るったならば、敗北するのは間違いなく此方側だ。


 ゆえに、マティアやアンとて口ではどのように言いながらも、いずれは何処かで交渉出来る余地を作り出せないかを探っていたはず。そのためにも、ガーライストの非戦派である俗権派貴族と繋がりを持っていた。


 今、ガーライスト王国に攻め込むという事は、その選択肢を自らの両手をもって破り捨てるという事。今後、互いの最期の時まで言葉は交さないという宣言に等しい。


 エルディスは、其処の所を言っているのだ。考えは、あるのかと。何故か、此方のつけ入る隙を狙い澄ませているような雰囲気すらある。彼女は彼女なりに、考えを有しているのだろう。


 肩を竦め、言う。


「――別にガーライスト王国に攻め込むとは言ってないさ。要は、神をも認める大義があればいいんだろう。良いじゃあないか。たまには正義を名乗ってみよう」

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