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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
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第三百五十二話『監獄の主従』

 防寒用の手袋を嵌めこみ、指の先まで通しながら吐息を漏らす。未だ監獄の建物内にいるというのに、すでに息が白かった。此れでは外は相当に酷い有様なのだろう。


 それでも、死雪が終わるまで閉じこもっているというわけにもいかない。何せかつての頃、俺は死雪が終えた姿を見ていない。


 下手をすれば人間の大部分が自分で棺桶を作り終えるまで、死雪が続くと言う事だってあるわけだ。


 馬鹿々々しいにもほどがある。此れすらも、あの神霊もどき様が関わってるんじゃあないかとすら勘ぐってしまいそうだった。


 毛皮があしらわれた外套を軍服の上から肩に羽織る。妙に上等な外套だ。かつての頃の俺は、こんなもの袖を通した事すらなかっただろう。


 用意をしてくれたヴェスタリヌに礼を言うと、彼女は瞼を伏せながら言葉を漏らした。


「フィロスに戻られるのでしょう、指揮官殿。なら私も共をしますよ、無論」


 ヴェスタリヌの言葉には、何か追いすがるような色すら含まれている。その眼には俺を突き刺すようなものが見えていた。それはきっと、俺を責め立てる為のものだ。


 当然と言えば当然だろう。


 何せ、こんな敵地の端に彼女とその傭兵を連れて来たのは此の俺だ。命の危険を冒させたのも、幾人かの傭兵を使い物にならなくしたのも俺。


 その張本人様が、次は彼女らを置いて傀儡都市フィロスへ赴くというのだから、蟠りが生み落とされるのも当たり前のこと。


 本来は、フィロスに向かう際はヴェスタリヌや傭兵達も共に引き上げるはずだった。囚人たちの移送や、護衛に彼らが必要だったからだ。


 だがその計画は変更された。切っ掛けは、紋章教の重鎮ラルグド=アンが齎した情報。


 ――ガーライスト王国から、紋章教に使者が送られた。


 それは、本来は有り得ぬ事。何故なら元来ガーライスト王国は、紋章教を一つの勢力、言わば交渉相手として認めていなかった。


 扱いはただの夜盗、反乱者の類と同等。国家はそのような輩を相手に交渉を行わない。ただ睥睨し、踏み潰す。それだけが国家に許される選択肢だ。


 国家が口を利くのは、それに相応しい勢力のみ。使者を送ったと言う事は、ガーライスト王国が少なからず紋章教を交渉相手として認めたという事になる。


 ガーライスト王国と大聖教との関係を考えれば、まさしくあり得ないはずの事だった。

 

 それが起こったという事は詰まり――奴らがそれだけ追い詰められているという事になる。


 原因は考えるまでもなく分かる。何せ、紋章教も他国家も、ガーライスト王国にとって脅威たりえていない。


 奴らが追い詰められるとなれば、ただ一つ。北西から渡りきた魔獣災害に違いあるまい。ガーライスト王国の盾たるスズィフ砦が、番人ヴァレリィの不在の内に失陥したのだ。


 その事態を見て、ガーライスト王国内にも危機感を覚える人間がいた。もしかすると此れはただの災害ではないのではないかのかと、考える人間がいた。


 だからこそ紋章教を、交渉相手の一つとして選んだと、想像するならそういった所だろう。


 素晴らしい。此処までは待ちに待った結果だ。此れで少なからずガーライスト王国も他国との協調を始めるに違いない。


 そうなれば大災害への対処はかつての頃より随分と早まるはず。以前の惨憺たる有様より、ずっとずっとマシになる事だろう。


 本来ならば万々歳の結果であるのだが。問題が、一つ。最低で最悪な問題がある。


 此の魔獣災害が自然発生したものではなく、あの悪霊の思惑だという事だ。


 どう足掻くにしろ、事態がどう転がるにしろ、必ず奴はその指を動かすだろう。なればこそ、その腕を断ち切らねばならない。


 その為にも、監獄ベラというガーライスト王国への足がかりを容易に手放すわけにはいかなかった。事態は、どう転がるかもう俺にすら予想がつかない。目を離した隙に、地の底へ叩きつけられる事だってあり得る。


 その為にも、彼女は連れて行けない。


 ヴェスタリヌの言葉に対し、思考を回しながら、言う。


「――悪い。此処に残ってくれヴェスタリヌ。頼めるのがお前しかいない」


 ヴェスタリヌと視線を交わしたまま、言葉を続ける。彼女の唇が、小さく尖っていくのが見えた。不服だと、言外にそう語っている。


「お前がいなくなれば、傭兵達はただの人の群れに戻る。お前がいるからこそ、彼らは傭兵なんだヴェスタリヌ。お前だからこそ此処を守れる」


 それは彼女と監獄にて共に過ごし、理解した事だ。肌で痛感した俺と彼女の差異。


 ヴェスタリヌ=ゲルアという人間には、間違いなく前線指揮官としての才覚がある。俺なんぞより遥かに大きな才。


 咄嗟の判断を行う事が出来、多少の頑なさはあるがそれでも必要な事を選び取れる。兵達を率いるカリスマを持ち、良く響く声を有する。


 そうして何より、その立ち居振る舞いだ。兵というものは、毅然として兵に媚びぬ態度にこそ敬意を表するもの。誰よりも前に立ち、戦旗を振るうものの後へ続こうと思うものだった。


 其れを、ヴェスタリヌは持っている。


 何、此の感覚に誤りはそうないはずだ。何せかつて俺自身冒険者であり傭兵だったのだから。


 俺が兵であるならば、きっとヴェスタリヌという指揮官に付き従おうとする事だろう。最も、彼女には断られるかもしれないが。


 ヴェスタリヌは俺の言葉を受け止めて、僅かに視線を揺らす。手厳しい反論でも吐き出すかと思った唇は波打ちながら、静かに言葉を出した。


「……指揮官殿が、そう言うのであれば私は従いましょう。ええ、勝手だとは思いますが」


 そう言ってくれるな、自覚している事だ。俺にはきっと他者を慮るだとか、そういった考えの深さが欠けているのだろう。それで随分と迷惑をかけていることも理解しているさ。


 その分は、いずれ俺なりの形で清算するとも。そう軽く口を動かしながら、言った。それを受けてだろうか。ヴェスタリヌは俺の手を取って、傅くように膝をついていた。


 その様子は、主人を前にした従者の振る舞いそのものだ。


「では、指揮官殿。今、私を此処に置いていくのです。ならばいずれは、姉と共にお迎えに来て頂けると考えてよろしいですね」


 鉄鋼姫と、そう呼ばれるには細い指が俺の手のひらに載っていた。曲りなりにも俺が指揮官であるのだから、その真似事という事だろう。


 何処までも、美麗な素振りを見せる奴だ。こうして正面からみると、羨ましくなってくる。俺のように溝から生まれた人間は、そういった礼儀作法だとかいうものは縁遠い存在に過ぎない。


 きっと俺には、彼女のような振る舞いは一生出来ないに違いなかった。そう思うと、僅かに胸元に暗いものが湧いて出てくる。


 だがまぁ、真似事くらいはこなしてみせよう。


 ヴェスタリヌの肩にもう片方の手を置きながら、言う。


「勿論。喜んで迎えに来るさ。ブルーダーだってお前の顔を見たがってるだろうしな、ヴェスタリヌ」


 微笑と、そう言える程度に唇をつりあげながら、彼女は言葉を継いだ。


「ならばヴェスと。そうお呼びくださると良いでしょう。余り長々しく名前を呼ばれるのを、私は好みません」


 ヴェス。それは彼女の愛称で、俺が知る限り姉たるブルーダーしか呼んではいないのだが。親しい人間には、そう呼ばせているのだろう。


 結構。なら俺も、少なからずは彼女に認められているらしい。かつては指先すら届かなかった人間に、そう言ってもらえるのは光栄だ。臓腑の奥に、じんわりとした感触があった。


「なら、俺がフィロスに行く間留守を任せる。ヴェス、全てお前が最善と思う方法を取ってくれ。俺は其れを信頼する」


「――了解しました。指揮官殿が望まれる通りの事を、致しましょう」


 俺の手が妙に強く握られたのが、分かった。

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