第三百四十五話『偉大なる神話』
二振りの巻角を突き出しながら、ふてぶてしげにそいつは言った。大きな目が、此方を面白そうに見据えている。
「英雄色を好むとはよく言ったものですなぁ。オウフルはそこまでじゃあなかったですが」
両手と体躯を魔術具装に拘束され抑え込まれながらも、ドーハスーラは薄い笑みを見せる。子供の様な相貌が、くしゃりと歪んだ。
ドーハスーラ。埋葬監獄ベラに取りついていた魔獣であり、パロマ=バシャールが助命を願い出たものの内の一人。いいや、魔獣であるのだから一体と、そう呼ぶべきなのかもしれないが。
彼の軽口に俺は思わず眦を下げてから、口を開いた。
「好んでるつもりはさほどないんだがね。それにいったろう、俺はオウフルとは別人だ。似てようが、なんだろうがな」
傍らでカリアが表情を傾けながら、銀髪を上下させたのが分かった。魔獣という異物が、室内に入り込んでいる事が胸をざわめかせるのだろう。
その端正な唇が小さく開く。
「ルーギス。魔獣相手に交渉など無駄でしかないと思うが」
カリアに軽く手を振って応える。口調は強いものだったが、心配をしてくれているのだろう。魔獣の中には、言葉を交わすだけで相手を陥れるものもいる。
当然、俺とて魔獣と面と向かって話すなどというのは、そうある事じゃあない。緊張で指の皮が突っ張ったような感触があった。
それでも、聞かねばならない事があるのなら、こうするしかないだろう。六つの瞳、その視線を背に受けながら口を開く。
「――お前はアルティウス、それにオウフルとやらと旧知なんだろう。聞きたいね。神を名乗ってる連中が何を目的にして、何をしようとしているのか」
瞬間、室内の空気が少し張り詰めたのを感じた。唾がゆっくりと喉を撫で落ちていく。ドーハスーラの魔眼が細まり、フィアラートやエルディスらの呼吸が一瞬乱れたのが分かった。
指で軽く木製の机を叩き、ドーハスーラの魔眼を正面から見る。何処までも先がありそうな瞳の中が、揺れた。
「……どうして、なぞとは聞きやしませんがね。お前が知った所で何にもならないし、何も変わりはしませんよ」
その言葉を食い取るように、言う。
「意味はあるとも。奴は、俺に祈り請えとそう言った。所が残念な事に、俺にはそんな気が更々ない。詰まり――また何処かで敵対するさ、必ずな」
なればこそ、その真意を知ることに意味はある。その人柄を理解する事には必ず意義がある。敵とは、味方よりも深く知るべき存在だ。
しかもよりによって、アルティウスの奴はアリュエノの身体を手の内にしてやがる。どういう手段を用いてか、何を目的にしてかは分からないが。
どうであったとしても、すでにあれは明確な敵だ。必ず、息の根を止める。
出来れば、話を聞くだけの事に強硬な手段は取りたくないんだがとドーハスーラにそう語る。魔獣相手に人質だの尋問だのというのが何処まで通用するのかは流石にわからないが。
それでも唇を固く閉じた相手から言葉を引き出すのはそれなりに手間だ。俺に多少はある良心も痛む。可能であれば、自発的に話してもらいたい。そう、語り聞かせる様に言った。
彼は少し可笑しそうに、唇を軽く波打たせた。そうして一度唇を閉じる。どう語るべきか、何処まで語るべきかを逡巡しているようだった。
「……裏切りにならない程度なら良いでしょう。何せ俺はアルティウスを裏切れませんから。そうなっていますので」
裏切れない。其れが呪術的な作用に依るものなのか、それとも彼の信念に依る所なのかは分からない。小さく頷き、手を開いて続きを促す。
何せアルティウスなぞ神代の存在だ。欠片でも情報が得られれば十分と思うべきだろう。
「神霊アルティウス――いいや、人間の時の名前はアルティアでしたか。お前は勘違いをしているようですが、彼女は決して悪たる存在じゃあありませんでしたよ」
フリムスラト大神殿では酷い振る舞いだったけれどね、とフィアラートが忌々し気に呟いた。その敵意すら剥き出しにされた言葉に対し、ドーハスーラは気易い笑みを浮かべる。
どうにも、魔獣にしては酷く人懐こいというか、見た目相応の素振りを彼は見せる。
「敵対する者に容赦をしないのは昔からですよ。でも、かつての頃の彼女、アルティアはまさしく人間にとって英雄でした。飢え、全てを奪われた民達の尊厳の為に立ち上がり、彼らの救いと幸福の為に戦った偉大な人類種――」
そんな言葉から、ドーハスーラが語る、彼女の物語は始まった。
◇◆◇◆
かつて神代と呼ばれた時代。それは精霊が天にあり、中空を竜が支配し、巨人が大地を統括した時代。
人間という種族は未だ大陸の覇者ではなく、偉大なる者たちの為の奴隷種族であり、支配される者でしかなかった。今のように大地を自由に駆けまわるなど、夢物語でしかない。
ゆえに人間に尊厳はなく、意志は許されず、塵のように容易く死んだ。自由や幸福などという言葉は幻想で、それを指し示す言葉すら無かった。
そう、いわば家畜だ。微かな文明こそは存在したが、所詮人間は支配種族らに嗜まれ、時に殺され、時に食される存在でしかなかった。
そんな残酷極まる時代に、彼女は生まれた。
名はアルティア。その詳しい来歴はドーハスーラも知りはしない。元は捨て子だったということだけは聞いていた。
そんな彼女が求めたのはただ一つ。口癖のように言っていたのを覚えていた。
――弱き者に尊厳を。飢えた民に幸福を。願わくば、などという言葉は許されない。此の世に神はなく、有るのはただ我らを支配し統括するものばかりなのだから。
そう語る彼女の振る舞いはまさしく英雄そのものだった。ある意味で神話と言い換えても良かったかもしれない。
大巨人フリムスラトを屈服させ巨人という種族そのものを廃絶させた。
邪竜ヴリリガントの翼をもぎ取り、その心臓を無理矢理に奪い取った。
精霊神ゼブレリリスを天から地へと零落させ、自然概念に過ぎなかった魔術の基礎をも組み上げた。人間に過ぎぬ身は時に血を流し、骨を砕かれ、幾度も傷ついたが、それでもアルティアは止まらなかった。
彼女が生み落とした輝かしい軌跡は紛れもなく神話のそれ。人が人たる為にアルティアは剣を振るい、魔術をもって道を切り開く。
誰よりも前に出で、誰よりも偉大な事を成すものを英雄とそう呼ぶのなら、まさしく彼女は英雄だった。
どうして人間に過ぎぬ彼女がそれほどの力を獲得するに至ったのか。其処はまるで分からない。
彼女は実の所何らかの種族との混血だったのではという話もあるし、人間という種族が突然変異を起こした結果なのだという話もある。
はたまた下らない戯言だが、彼女の活躍は複数人の人間の勇姿を一人の人間へと集約したものだと語る吟遊詩人もいた。
だがドーハスーラが知る限り、確かにアルティアには幾人もの仲間がいたが、それでも偉大だったのは彼女だけだった。
彼女の最大の目的は、全ての民が救われ幸福である事。人間が統一され、永遠にそれが続くこと。そんな夢物語で語られる事を、彼女は心の奥底から信じていた。
その目的の為かは分からないが、アルティアは全ての神話を打ち砕き踏み潰した後、一つの帝国を作り上げた。
ありとあらゆる王国を束ね、人類という種を統括したそれ。彼女の名前を冠した統一帝国。
ドーハスーラは確信する。あれが間違いなく、人間が最も偉大だった時代だ。誉と繁栄とをその両手で抱えきれぬほどに誰もが所有していた時代。誰もが幸福であった時代。
けれど、その栄光もいずれは消え去る。統一帝国は、其れを打ち建てた者の死によって終焉を告げた。
大英雄アルティアの死。それは自然死ではなく、他者による殺害だった。
――下手人の名は、オウフル。アルティアが最も信頼し、唯一愛した者。
何時もお読み頂きありがとうございます。
本日2月9日、本作の2巻が無事TOブックス様より発売されております。
重ねてのお伝えとなり恐縮ではありますが、興味などあればお手に取って
頂ければ此れ以上の事はありません。
お目汚し失礼いたしました。何卒、此れよりもよろしくお願い致します。