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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
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第三百四十一話『賽子の音』

 全身の肉という肉、骨という骨が硬くねじ曲がってしまったような感触があった。


 死雪の寒気の所為だろうか。関節が上手く曲がらず身体が起き上がらない。呼気だけを熱くしたまま薄っすらと瞼を開いた。


 今は、何がどうなっているのだ。


 フィアラートの炎熱がヴァレリィを焼いた所までは此の眼で見た。だがそこからの記憶は朧気だ。あの後どうなった。誰が死に、誰が生き残ったのか。


 ぼやけた視界がゆっくりと焦点を取り戻し、眼前の光景を映していく。その時初めて自分が森の中で仰向けに寝転がっている事に気付いた。


 視界の先、其処に。銀髪が見えた。同様に、黒と碧も。ああ、そうか彼女らがいるのか。

 

 ――瞼を閉じた。


 可能な限り、吐息を荒げず呑気に眠りこけている風を装う。白い靄が吹き上がらない事を祈った。


 分かってはいる。そんな場合ではない。即時状況の把握に努めるべきだろう。


 けれど、人間の本能というやつは偉大だ。今、此処で眼を開ければ必ず良くない事が起こると俺に教えてくれている。


 少なくとも、首の一つか二つは折られるのではないだろうか。そんな思いすらあった。


 其れにだ。状況は分からないものの、此の三人がいるのであれば。きっと全てが悪い方に転がっていくということはあるまい。彼女らはそういう人間だ。それくらいの信用はしている。


 眼を瞑ったまま、周囲の様子を伺う。何か柔らかいものが喉を撫でた。ぼそりぼそりと、何事かを話す声が聞こえる。


 何だ此れは。指か、何か。


「――喉の呼吸が浅い。起きているな貴様。そうか、私を前にして良い度胸だな、ええ?」


 よく耳に通る、凛然としたカリアの声だった。そうか、そうだった。彼女はこういう真似が出来るのだ。


 心臓が強く鳴る。全身に視線を感じていた。それもカリアのものだけでない、複数のだ。熱い程の視線の波。背筋を冷たいものが這いあがってくる。


 喉を鳴らし。眼を閉じたまま、潔く両手をあげた。周囲から、盛大なため息を吐いたような声が漏れた。関節がぎしりと音をあげている。


「もう、何をしているのよ。別にこんな場所で咎めたてたりしないのに。此れでも多少は貴方の事分かっているつもりだけど?」


 うっすらと眼を開けると、フィアラートが艶やかな黒髪を纏めてそう言った。表情は引き締まっているものの、何処かその唇は優し気だ。発された言葉にも、咎めたてる様な色はまるでない。


 けれど、その丸く転がされた眼を見て思わず頬がひきつけを起こす。


 フィアラートの眼は表情に反し何一つとして、笑っていない。耐えかねた情動を存分に胸の内に抱えているのが見て取れた。それは、カリアも同様だ。


「……そうだね、此処ではね。重要な話というのは、するべき場所があるものだから」

 

 碧眼を細めたまま、エルディスが森の外を見て言う。


 幾分か離れてはいるが、開けた場所に敵の騎兵が展開しているのが見えた。今の所は何処かを攻め落とすというよりも、敵からの奇襲横撃を警戒しているようだ。


 エルディスに身体を支えられながら周囲に視線を回し、ようやく状況の理解が進んでくる。


 詰まり、手紙で要請を出していたガザリアの援軍が間に合ったのだ。ゆえにこそガーライスト兵共は一度退き、他に伏兵がいないかの調査、要は足場固めを行っている。


 そう、足場固め。俺達を殺す為の。監獄ベラを陥落させる為の。


 援軍により状況が良くなりはしたが、場が変じたわけではない。未だこの場の支配下はガーライスト兵、そうしてヴァレリィが握っている。此方の窮地に変わりはなかった。


「さぁ、僕の騎士殿は何か考えはあるのかい。まさかその様子で敵地突撃なんて言い出さないだろうね?」


 エルディスが俺の上半身を抱きかかえたまま、頬を撫でて言う。人がろくに身体を動かせないからと好き放題をしてくれるものだ。


 口を開き、乾いた喉を寒風に晒した。身体を僅かにだけ、起こす。それだけで妙な疲労が全身を襲った。


「――あるとも、勿論。もう手は打ったさ。後は結果を待つばかりでな」


 随分な自信ねと、フィアラートが言葉を継ぐ。俺の言葉を怪しむものではなかったが、何処か意外そうな声だった。


 まさかフィアラートお前、本当に俺がただの思い付きで監獄ベラに突撃を敢行した、だなんて思っていたんじゃあないだろうな。


 いや、今までの事を考えれば否定しきれない所はあるのだが。少なくとも今回は、別だ。


 本来であれば、幾ら英雄とは言えヴァレリィ一人を此処に押しとどめる事に意味はない。ガーライストは衰えたといえど大国。多少枝葉を揺さぶったからといって枯れ落ちるほど軟ではない。


 だから、其れを弱らせるのには大火が必要だ。根本まで軋ませてしまう様な大火が。そうして、其れを止められるのはヴァレリィという嵐しかなかった。

 

「奴らは好機を逃した。監獄ベラを落とす事も、俺を殺す事も出来ただろう――けれど、どちらも成せなかった」


 ならばもう、落ち目だ。好機と窮地は表裏一体。片側を逃せばもう片方が顔を出す。かつての頃、冒険者をやっていた時代に幾度も痛い目を合わされた。何せ俺には、好機を手中に収められるほどの運も実力も無かったのだから。


 けれど今度は、違うさ。例え泥まみれになってでも、屈辱に溺れてでも指先を引っかけてやる。


 肺の中が、異様なほどに活気だっていた。カリアが俺の横顔を見ながら、銀眼を細めていた。何だ、何か言いたいことでもあるのか。


「――何、悪巧みをしている時が一番楽しそうだと思っただけだ。私は貴様が良いのなら、それで良いがな」


 何とも、物分かりが良いような事を言ってくれる。誰よりも物分かりが悪いというのに。まぁ、そう言われて悪い気は、しないのだが。



 ◇◆◇◆



 平野に簡易的な陣地を作成しながら、ヴァレリィは魔術鎧へと魔力を回す。群青が淡い発光を見せながら、少しずつその外面を修復していった。


 術者の領域を離れた所為だろう。戦場魔術に依る炎自体は鎮火した。だが、内部の浸食まで全て防げたわけではない。少しずつでも魔力を蓄えさせ、自己修復に回さねばならなかった。


 けれども態々陣地作成を行ってまで時間を取っているのは、何もその為ではない。ヴァレリィは必要であれば戦闘途中でも自己修復は行える。今はただ、情報を待っていたのだ。魔術鎧の修復は、あくまでついでに過ぎない。


 そうして待つものは、来た。


 副官のネイマールが幾つかのパピルスを手にヴァレリィへと近寄ってくる。顔をあげ視線を合わせ、言葉を促すように頷いた。


「ご報告となります。森奥にエルフと思しき兵団が確認されました。規模は多くとも千ほど。此の周辺にエルフの集落は過去存在しません。恐らくは、空中庭園ガザリアからの派兵かと。積極的な交戦態度は見られません」


 生真面目で、それでいて基本に忠実な報告だった。ヴァレリィは満足したように頷き、眼を見開く。ネイマールにそれ以上何かを追求しようとは思わなかった。


 ヴァレリィは短い付き合いではあるが、ネイマールの実直な性格を理解していた。そういった部分を、ヴァレリィは好いている。


 恐らくは今伝えられた情報も、幾つも搔き集めた情報の中から正確であると断じられたもののみを彼女が抽出しているのだろう。それを手早くこなせるだけの才を、ネイマールは持っている。


 ゆえにその情報を真実と断じ、ヴァレリィは言う。


「監獄ベラへ攻城戦を実施する。意味は分かるな、ネイマール副官」

 

 一瞬ネイマールは呆気に取られたように睫毛を跳ねさせたが、その次には表情を固め、大きく頷いた。


「エルフの兵団を森から引きずり出すのですね」


 ヴァレリィは頷き、修復を終えた魔術鎧を肩に乗せる。鎧はまるで意志持つが如く、彼女の身体をからめとっていった。


 エルフの兵団というものは、森に潜めばこそ一つの脅威だ。影が罠となり、弓矢が騎馬を食い取っていく。


 だが平地での会戦となれば、己が率いる将兵と並ぶはずも無し。ゆえにこそ、手を出すべきはやはり監獄ベラだ。それであれば如何様にも対応が出来る。


 監獄ベラの攻城中にエルフが森から出てくれば良し。その時は踵を返し彼らを討つ。出てこなければそれも良し、監獄ベラは己が手によって陥落する。指揮官を失った相手への攻城戦など、赤子の手を捻るより容易い。

 

「魔術師と銀髪の剣士は私が相手をする。他の者らは手を出さぬよう布告を。大悪は――もう動けまい」


 今ヴァレリィの頭蓋に浮かぶのは、立ち会った強者達。彼女らに出てこられては流石に将兵には荷が重い。己がその首を刎ねる必要があった。大悪たるルーギスに関しては、恐らくは戦場には出てこないだろう、あの大怪我だ。


 ふと、その言葉にネイマールが反応したのを、ヴァレリィは視界の端で見た。背筋を立たせ、僅かに緊張すらしているようだった。

 

「何だ、知己か」


 ヴァレリィのそんな問いかけに、ネイマールは驚いた様に眼を丸くする。そうして三つ編みを傾けながら言った。


「……恐らくは。サーニオ会戦で、似た姿を伝え聞いています。それに、大悪は私に苦々しい敗北を味わわせてくれた人間ですから」


 そう言いながらネイマールが浮かべた表情は、苦々しいというよりもむしろ何かしらの情念を宿した顔つきだった。熱意、もしくは志とでも言えば良いのだろうか。


 やはり、彼女はこういった実直で素直な面が好ましい。ヴァレリィは微笑すら浮かべながら、言葉を告げようとした。


 瞬間、慌ただしい音がなる。足音。それも妙に気焦りしたものだ。


 伝令兵。彼は息を切らせながらヴァレリィの傍へと跳びこんできた。声は崩れ、その疲弊した姿から数日馬を駆けさせたのであろう事がよく分かる。


 伝令兵の姿かたちは、ヴァレリィが率いる銀縁群青の将兵では、ない。

 

 ――王都の伝令兵だった。

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