表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
338/664

第三百三十七話『外壁の会談』

 まさしくその女の存在は威風辺りを払う。英姿颯爽とは此の事だろうとそう思った。


 ヴァレリィ=ブライトネス。番人、嵐の代弁者。かつて大災害の序幕において、十二度魔獣群を追い蹴散らしガーライスト王国の守護者となった者。その最期は魔人との気高く華々しい一騎打ちであったと聞く。


 素晴らしい。俺が知る英雄英傑とは此れだ。人を惹き付け、堂々たりえ、そうして何処までも自然な不遜に溢れている。


 ヴァレリィは鐘を鳴らすような、響き渡る声で言う。耳が痺れる感触があった。


「そうだ。我らの勝ちは決まった。指揮官は貴殿か。兵が憐れだな、貴殿の無能の為に彼らは死ぬ」


 ヴァレリィは魔術鎧で全身を固め、その獰猛たる眼だけを輝かしながら言葉を放った。それ以上の言葉はないとそう言いたげだ。


 背後に固まった兵の群れが、僅かにその身を揺らがせる。


 時間は与えぬという事か。此方の状況を何処まで見極めているのかは不明だが、余り気が長い性質でもないらしかった。


 さて参った。一番厄介で嫌いな性質だ。どうせなら思い悩んでくれる奴の方がずっとやりやすい。彼女に全力を持って腕を振るわれれば、此方は持って半日という所。それだけで全員が死ぬ。


 俺もヴェスタリヌも、兵共も。


 大言を吐けば苛立ちの欠片くらいは見せてくれるかと思ったが、そうはいかないらしい。どうした、ものか。


 身体の内側から、心臓が暴れ打つ音が聞こえてきた。眼前に一つの光景が見えている。銀縁群青の連中が監獄内に踏み入り、好き放題に命を刈り取っていく有様。紋章教の血で溢れかえる監獄の姿が。


 逃れえない死。明確な死の光景。何度噛み潰しても其れが湧き出てくる。


 けれど、表情に出すことはしなかった。ひくつくものを感じながら、頬には笑みを浮かべる。ヴェスタリヌが傍らで、指揮官殿、とそう呼びかけてくるのを手で制した。


 そうだとも、望む望まないに関わらず俺はヴェスタリヌと傭兵共にとって指揮官に他ならない。ならば今更どうして慌てふためく姿など見せられようか。


 そうしてとても残念な事に、今易々と此の監獄を明け渡す事は出来ない。ヴァレリィを自由にしてしまえばガーライスト王国はその活力を取り戻し、再び魔獣群を数度追い返す程度の余力を見せるだろう。


 其れは駄目だ。以前となんら変わらない。紋章教も、そうしてガーライスト王国も死ぬ。世界は魔人魔獣の世に変わり果てる。そうなれば頼もし過ぎる仲間達もアリュエノも、無事とはとても言えまい。


 せめてガーライスト王国が他国や他勢力との協調を必須とする程度には、その余力を奪い取らねば。


 だから、此処でヴァレリィは縫い留める。そうせねばならない。彼女の言葉の後、間断なく言葉を跳ねさせる。思考と舌を存分に回す、それだけは得意だった。

 

「無能は何方か分かったものじゃあないな。お前が今呑気に此処にいる時点で、俺達はもう十分な戦果だ」


 遠目にしか見えないが、ヴァレリィの眼はまるで揺るがない。まさしく鉄血の意志とでも言えば良いのか。


 本来ならば今の内に、守備の態勢を完全に整えたいのだが。駄目だ。視線をヴァレリィから動かした時点で、アレは一切の躊躇なく踏み込んでくるだろう。


 唇だけを、震わせる。


「サーニオ平野で兵共と勇者を追い落とした。大聖堂ご自慢の聖堂騎士はフリムスラトで崩壊し、そうして今番人ヴァレリィ将軍はこんな場所で足踏みときている」


 可能な限り、抑揚をつけ焦燥を隠した。俺の胸の中に何があるかを悟られてはならない。それは一切の弁解の余地なく死を呼び込む。


 だから、俺は言葉を続けなければならない。


「そんな有様で、ガーライスト王都アルシェを誰が守ってくれるんだよ、ええ?」


 無論、護国官がいる限りそう易々と王都に入り込む事など出来ないだろう。ヴァレリィもその部分は承知のはずだ。


 だが今は、少しでも敵兵の心を揺らがす事が出来ればそれで良い。周囲の傭兵とヴェスタリヌが心を落ち着かせる猶予が与えられれば構わない。


 けれど、俺の思惑に反してヴァレリィは眼を動かして、口を開いた。


「一つ聞いておこう。貴殿、名はなんという――?」

 

 硬い声だった。ヴァレリィの双眸が、真っすぐに俺を貫いている。そこには何等かの意図を感じる。けれどもそれがなにかまでは分からない。


 一瞬唇を波打たせ、言葉を返した。


「――ルーギス。ヴリリガントとかどうとか言われているが、それは俺の名じゃあなくてね」


 言った、瞬間。喉を射ち貫かれたのが分かった。其れは弓矢によるものでも、何等かの投擲によるものでもない。


 ただ、ヴァレリィの視線が物理的な衝撃すら感じさせるほどの熱量を伴って、俺の喉を焼いていた。


 今、明確に俺の言葉が彼女の逆鱗に触れた。それを直感する。先ほどまでまるで見せていなかった情動のようなものを、今は何一つ隠す様子なく振りまいていた。


 何がどうなっているのかは分からないが、ルーギスという名は彼女から怨恨か、それ相応の感情を向けられているのだ。

 

「ルーギス。そうか、貴殿が――貴様がルーギスか。私の盟友を傷つけてくれたのは貴様か!」


 言葉を一つ重ねる度、その声色に重圧がのしかかっていくのが分かる。空気が急激に引き締まり、緊張と圧迫に身を捩ったかのよう。


 盟友。誰だ。奴は誰の事を言っている。其処が分かればもう少し煽り立ててやれるのだが。予想がつかない。正直大聖教に対しては心当たりが多すぎる。幾らでも、恨みを買うであろう要因はあった。


 身を僅かに乗り出す。少しばかり、心にもない事を言ってみよう。


「悪いが誰の事か分からない。記憶にも残っていない。死んだのか? なら残念だったな、運が悪かったと諦めてくれ。人間諦めが肝心さ、なぁ?」


 戦場はそういうものだろう。お前だってそうやって命を刈り取ってきたんだろうと、そういう意味を含めて言った。


 瞬間、空気が軋んだ。あり得ぬ事だとは思うのだが、確かにその音がした。その音源は紛れもない、ヴァレリィその人。


 傍らでヴェスタリヌが、頬をひくつかせたのが分かった。何だ、何か言いたい事でもあるのか。こうでもしなければ、時間を稼げない。それに少しでも相手が怒ってくれて単調な城攻めになってくれればそれ以上の事はないだろうに。


 ヴァレリィは、地の底から噴き出すような声で言う。


「――降りてこい、大悪ルーギス。貴様が生きて其処にいるというだけで、私にとっては貴様を殺す理由になる。ヴァレリィ=ブライトネスの名の下に、貴様を殺す。絶望に伏して死ね、血に塗れて死ね、ただ死ね」


 予想外の、言葉だった。確かに一騎打ちはかつて彼女が幾度かやった事で、そういった事を好む人間ではあるのだろうが。


 それでも、こんな場で紋章教の人間相手に一騎打ちを、彼女が。


 本来一騎打ちとは騎士や将にとって誉の場であり、そう簡単に行うべきものではない。


 行うのならばそれはよほどの名誉をかけた戦いか、恨みを晴らす戦いだ。例えば、仇討だとか。俺が、ヴァレリィにとってそれほどに価値ある人間を手に掛けたという事か。


 だが良い。構わない。到底俺があのヴァレリィに敵うなどとは思えないが、それでも多少なりとも時間が稼げるのであれば僥倖だ。


 ヴェスタリヌであれば、その間に防備の全てを整えてくれるはず。それに、もう一つ当てがあった。どれほど信頼できるかは分からないが。


 マティアに宛てた手紙の他、もう一つ送った手紙の宛先が追いついてくれればまだ目はある。


 腰元の宝剣を揺らしながら、吐息を漏らして、言う。


「誘い文句にしては最低だな。もう少し艶やかに誘ってもらいたいもんだね」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ