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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
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第三百十八話『微笑む者と猜疑する者』

 ――今後姉さんとは二度と言葉を交わさないか、それとも姉さんの手を取り戦場から立ち退くか。


 以前彼、ルーギスに突きつけた言葉はそのようなものだったとヴェスタリヌ=ゲルアは記憶している。


 あの時は酒の席で結局有耶無耶になってしまったが、それからもその問いかけを失せさせた覚えはヴェスタリヌにはない。


 彼が己の姉と関わりを持つならば、そのどちらかしかないとヴェスタリヌは確信している。そうでなければ、必ず姉は不幸になる。それだけは何が有ろうと許せない。


 それに、だ。ヴェスタリヌは未だ、ルーギスという人間の性質を大いに疑問視している。


 何せ彼の行動と意志は、無茶と無謀を煮詰めた極地にある。それを果たして真面と言えるものだろうか。悪人ではないのだろうが、それでも姉を安心して預けられる人間とはとても思えない。


 むしろどうして、こんな人間に姉が惚れこんでいるのか。ヴェスタリヌにはまるで理解できなかった。もう少し真面であれば、己も歓迎出来たというのに。


 だからこそ、ヴェスタリヌは今回ルーギスの要請に快く応えた。姉が動けず、そうして己が動ける状況だからこそ。ベルフェイン傭兵団の靴を死雪の中進ませた。


 勿論紋章教との関係は良好に保っておくべきだとの打算もあるが、此れは紛れもない好機だ。ルーギスという人間の真価を見極める為の、機会。


 何せ今回に至っては、鎖でも付けたかの様に彼から離れようとしなかったカリア=バードニックも、影のようについて回るフィアラート=ラ=ボルゴグラードもいはしない。エルフの女王の気配だって、何処かへ消え失せてしまっている。


 彼一人の性質と価値を見極めるには、素晴らしい舞台ではないか。


 もし此れで、彼がただ無謀な蛮勇を振り回す事しか能のない男であるならば、其れはそれで構わないとヴェスタリヌは思っていた。

 

 ――その時は、戦場の習いに従い彼には少し大人しくなってもらおう。それこそ足の一つでも無くせば良い。


 それはきっと、神もお許しになるに違いない。親愛という、何よりも深い愛の為の行動なのだから。ヴェスタリヌは堂々たる大きな瞳を輝かせ、傍らのルーギスを見る。


 噛み煙草を咥えながら傭兵の面々を見渡している顔は、何か値踏みでもしているようだった。その胸中でどんな言葉や策謀の地図を広げているかは、どうにも読み取れそうにない。


 少しばかり唇を尖らせながら、ヴェスタリヌは彼の耳元で告げる。


「伝令が帰りました。監獄ベラが用立てている兵は三、四百ほど。装備の質も悪くはないとの事です」


 十中八九その情報に誤りは無い。何せ態々彼の要望に付き合って、複数の伝令を監獄へと走らせた結果なのだから。


 しかし、情報の真贋はともかくとしても、余り良い情報でないのは確かだ。


 兵数はこちらと同等か、少し上。正攻法で正面から槍を重ね合わせるような真似をすれば、敗北はせずとも、間違いなく死傷者は発生する。そうして下らない野戦で傷を受ければ、傭兵の士気など簡単に落ちるもの。


 その後にルーギスが狙いとしていた、監獄ベラを陥落させるような真似等、出来るはずもない。


 さてどうしてみせてくれるのかと、挑発するように眼を緩めてルーギスの横顔をヴェスタリヌは見た。


 正直な所、期待したのだ。彼が不甲斐ない所を見せてくれたり、焦燥するような雰囲気を漂わせるのを。


 ヴェスタリヌという人間には人の不幸を喜ぶような性質はなかったが、姉の愛を奪い取っていった人間に対しては、珍しく敵意のようなものが芽生えているらしい。


 だからだろう、次の瞬間には拍子抜けしたように、ヴェスタリヌは睫毛を瞬かせた。


「結構、良いじゃあないか。なら話は早い。やって欲しい事は二つだけだヴェスタリヌ。まずは、上手く芝居を打って欲しい。その後は――俺が引き受けよう」


 その、何とも余裕げな声が。ヴェスタリヌの耳朶を打つ。まるで態々造り上げたかの様な声だった。


 気に喰わない。


 ルーギスの声が、ヴェスタリヌの胸にはどうしようもなく苛立ちとなって伝わってくる。もう少しばかり、焦りのようなものを見せてもいいだろうに。醜い感情だとは分かっているが、それでもどうしようもなく抑えきれなかった。

 

 思わずヴェスタリヌの眼が、細まった。



 ◇◆◇◆



 埋葬監獄ベラ。監獄長のパロマ=バシャールは苦々しい顔をして自室の机を手のひらで叩いた。苛立ちの発露というより、それが焦燥を見せた時の彼の癖であったらしい。


 口ひげが大きく歪む。歯をかちりと鳴らしながら、パロマは言葉を漏らした。


「どうなのだ兵は……戻ってきたのか。それとも来ないのか。なぁ?」


 明らかに、動揺を露わにした声。恐らく彼はこういった想定外の事態に慣れてはいないのだろうと、看守長はその一言で理解した。


 悪い人間というわけではない。少し疑り深い人間ではあるが、領主としては上等だろう。しかし、そういった人間は非常時、特に兵を出すだのといった行為に対しては酷く臆病になる。少なくとも彼の父である先代はそうだった。


 そういった傾向を知っていたからこそ、看守長は敢えてゆっくりと頷き、低い声で語った。


「ご心配に及びません。ご指示通り可能な限りの兵を出しました。夜盗など恐れる必要もないでしょう」


 其れは紛れもない事実だった。本来であれば百ほども兵を出せば十分だろうが、慎重なパロマに配慮をして看守も含めた四百を警邏に出している。最低限の警備を残して人員を吐き出した形だ。


 とてもではないが、この辺りをうろついている夜盗が相手に出来る数ではない。そもそも、監獄ベラの周辺はさほど村落や都市が多い地域ではなく、いわば清貧を良しとするような地域だ。


 大規模な夜盗集団であれば、より裕福な土地を根城にするのが常。このような所に顔を見せるものではない。奇襲を受けた商人が逃げられる時点で、その規模は知れている。


 数度、パロマの臆病な問いかけに看守長が答え終えた時だった。少し強く扉が叩かれる。パロマは知らず肩を跳ねさせていた。


 だが、その叩き方は伝令兵の独特のものだ。大した間もなく扉を開き、伝令が告げる。


「監獄長様、看守長様。兵が戻ってまいりました! 被害は軽微です!」


 そう言った伝令の口調は何処か上向いている。悲痛な伝えであればこうはならないものだ。むしろ細々としたものになる。


 看守長は皺を曲がらせながら、物資はどうだったかと尋ねた。


 恐らくはその問いかけを待ちわびていたのだろう。伝令は両眉を上げながら、大部分が無事に荷馬車毎保管庫に運び込まれたと、そう言った。


 そこまで聞いて、ようやくパロマが口を開いた。


「……夜盗はどうだったのだ? 逃げたのか、それとも討伐したのか」


 兵の戻りに安堵するでもなく、口ひげを撫でながらパロマは伝令兵の眼を貫いていた。その視線に思わず口ごもりながら、伝令兵は全て逃げ去ったと、そう応じる。


 疑り深さを示すように、パロマの長く研ぎ澄まされた眉が上向きに跳ねる。そうしてよく口の中で言葉を練ってから言った。


「どうかな、そんな事があるものか看守長。夜盗がまんまと獲物を奪い取り、腹の中にため込んでいたというのに。その大部分を吐き出して逃げ出すような真似を、するのか」


 パロマの言葉を聞いて、思わず看守長は鼻白んだ。よもやパロマがそんな事を一々口にする性質とは思っていなかった。此れは少なくとも先代の頃には無かった性質だ。


 疑り深いというか、臆病というか。


 先代の頃は、物事が解決すればその後の処理は全て看守長に一任されていた。元々監獄の事に興味がなかったのだろう。


 興味がない、という点では現当主のパロマも同様のはずだったのだが。ただ彼は、懐疑の種を頭蓋に植え込んでしまっているらしい。夜寝る前に風が強く窓を叩くと、思わず何か怪しい者でも近づいたのではないかと妄念を抱いてしまうあれだ。


 どうしたものかと、看守長は皺を指で撫でる。


「ご安心ください、パロマ様。夜盗というものはそういうものです。考えや合理性などというものは持たぬものなのですよ」


 精々酒でも傾けていた所、此方の兵数が多いので敵わぬとばかりに逃げ出したのでしょう。そんな風に言った看守長の言葉を、一度飲み込みながら、それでもとパロマは言葉を重ねる。


「――運び込んだ荷台を、全て調べたまえ。おかしなものが入っていないか、全てだ」


 それは酷く、冷たい声だった。

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