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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
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第三百十六話『演者は皆駆け集う』

 埋葬監獄ベラ。ガーライスト王国南東部に存在するそれは、小汚い鼠や虫にとってまさしく天国のような場所だった。


 何時だって雑然としており、地に落ちた食物の欠片を掃くものなど殆どいない。水掘に囲まれている影響か湿度も適度にあり、寝床とするには最適だ。


 それに好き勝手に石床の廊下を走り回ったとて、誰も気にしはしない。囚人も看守も、一種そうした不潔さといったものには慣れたものだった。


 そんな環境ゆえ、此処では普段鼠も虫も好き放題に振る舞っている。己の住処とでも言わんばかりだ。


 だが、それも今日ばかりは勝手が違うらしい。


 何時もは清潔さなど頭の何処を探しても零れ落ちてこないであろう看守連中が、身だしなみを整え廊下の汚れを清掃具で拭きとって行く。


 勿論普段からごく少数そういった人間も存在はしていたが、今日にいたっては誰もかれもがそんな様子だ。まるで人が変わったかのよう。


 そんな様子に、鼠共も不機嫌そうに奥へと引っ込んだ。慣れぬ消毒臭さが鼻につくのだ。


 そうして随分と床や内装が見れる姿になった頃、石床を固く叩く音が監獄の内に響いた。床を叩くように歩くのは、上流階級の癖のようなものだった。


 看守達が整列をしながら、その人物を迎え入れる。


「……固く張り付いた苔というものは、急場しのぎでは取れないものだよ。汚れを隠したいのなら、せめてもう少し上手くやってくれればいい」


 迎えられた男は神経質そうな声でそう言って、また監獄の床を鳴らした。看守長が男の横について、最奥の部屋まで先導を始める。


 音を鳴らして尊大に歩く男の服は華美とは言えないものの妙に豪奢なもので、牢獄には余りに似つかわしくない。


 それだけでなく彼の振る舞いや言葉の一つ一つも、周囲の者とは余りに違う。一人だけ空気の中に浮いてしまっている様にも思えた。


 それも当然と言えば当然で、監獄の看守を務める者はほぼ全てが低俗な庶民の出。学識というものを知らないものすらいる。


 しかし男は違った。


 彼は貴族階級の一員にして、監獄ベラの統括者。監獄長パロマ=バシャール。ガーライスト国王より監獄ベラの囚人に対する全権を委任されている者。


 とはいってもそれはあくまで字面上の話であり、実態としてはパロマは監獄に居座る事など殆どない。


 何せこんな監獄など維持した所で、殆ど懐に入ってくるものがないからだ。手に入るのは精々が愛国者という肩書程度。ならば領地経営に精を出した方がよほど益がある。


 本来であるならば、今回とて此処に脚など運びたくはなかった。


 口の中で苦々しいものを噛みながら、パロマは獄長室へと大きな脚を踏み込ませる。


 此処は少なからず力を込めて清掃されているのか、急場しのぎで行わた他の箇所よりはまだマシな様子だった。


 それでもパロマは目を大きく歪め、不満そうに口元の髭を軽く引っ張った。そうして看守長に向け、言う。


「彼女の様子はどうだね」


 彼女。パロマがこの場でその代名詞を告げる時、それが何を意味しているのか看守長は重々承知していた。


 用意していたと言わんばかりに、看守長は言葉を並べてたてていく。


「はい。囚人番号2066であれば、貴賓囚人室にて丁重に扱っております。今の所何も問題は発生していません」


 何の裏もなく、今の状態をただただそのまま表した言葉だった。それ以上の事はなにもない。


 囚人番号2066、囚人名ナインズ。彼女は大罪人ルーギスの育て親であり、それと同時に大聖教聖女アリュエノの育て親でもある。


 きっとその扱いには誰もが手を焼いた事だろう。


 大罪人ルーギスとの関係を考えれば、とてもその存在を見て見ぬふりなど出来るはずがない。


 されどもしその身に無暗に触れてしまい、聖女の勘所に至ってしまえば待ち受けているものは身の破滅。


 そんなものだから、ナインズはまるで腫物を扱うような有様で次から次へと監獄を流れ落ち、最後に埋葬監獄ベラへと至ったわけだ。


 悪く言えばパロマが押し付けられたというだけだが。


 パロマは看守長と視線を合わせぬまま、髭を動かして語る。何かを含んだような喋り方だった。


「――何故だね。彼女は大罪人ルーギスの育て親だ。旧教徒の関係者である事は疑いようがない。今すぐに、自白を引き出したまえ」


 どんな手段を用いても構わん。その言葉に、思わず看守長は両眉をあげ目を丸くする。一瞬何と言ったものかと、言葉に詰まった。


 何せかつて此処に至った際、ナインズを丁重に扱えと言ったのは他でもない監獄長たるパロマ本人だ。その彼がどうして、今更真反対の事を言い出したのか。


 思わず、良いのですかと、そう問い返す。それを予期していたのだろう。パロマの声は看守長の言葉を呑み込むように放たれた。


「良いも、悪いもない。もうそういう事になったのだよ。あの女は聖女とは何も関係がない、ただ邪悪な旧教徒だ」


 パロマはそう言いながら、言葉を続ける。此処に至るまでの馬車の中、幾つも考えていた筋道の一つだった。


「旧教徒共の内から、彼女を売り飛ばす密告があった。それを下に自白を迫った所、彼女は自らの罪を認め、最期は王都で処刑される」


 そのような筋書ともう決まった、そう念を押す。


 看守長はそれ以上の反論をしなかった。パロマが語る以上、それは此の監獄の内では真実だ。むしろこれ以上とやかく口を挟めば己にすら咎が及びかねない。


 看守長が恭しく頭を垂れて獄長室を出るのを見送ると、やはり口の中でパロマはため息を漏らす。それを外に漏らすような不躾さは彼には無いらしかった。


 ただその視線だけが、みるみる険しいものに変わっていく。


 ――大聖教の失態を、我々が挽回させられる事になるとはな。



 ◇◆◇◆

 

 

 雪原に重々しい蹄の跡を残しながら、ヴァレリィ=ブライトネスは街道を駆ける。その後ろには数千の兵と騎兵が付き従い、また同じように駆けていく。ガチャリという軍靴の音が、死雪の中でも強く主張して空に投げ出されていった。


 手綱捌きの巧みさ故だろうか。ヴァレリィの馬はどんどんと、周囲を突き放し抜き出ていく。


 もはや兵共を置き去りにしかねない勢いでもって馬を駆けさせるヴァレリィの背に向けて、弾け飛ぶような声が響いた。


「――将軍ッ。ブライトネス将軍! 手綱を緩めてください、脱落者が出ます!」


 其れは本日数度目の声かけだった。声の主、ネイマール=グロリアは息を切らせながら、それでも華麗に馬を操ってヴァレリィの背に追いすがる。


 そうなってようやく、周囲の様子がヴァレリィの怜悧な眼にも止まったのだろう。おや、とでも言いたげな様子でヴァレリィが馬を止め、背後を振り返ったのがネイマールには見えた。


 ネイマールが息を整える間もなく、ヴァレリィは彼女に告げる。


「どうした、ネイマール副官」


 本当に、純粋な疑問でも語るように短髪を揺らしながらヴァレリィはそう言った。余りの事に、ネイマールは目を大きく見開いて言葉を吐き出す。


「見ての通り、今のままの勢いで進まれますと兵の内に脱落者が出ます。ですので……」


 言葉の途中で、ヴァレリィはネイマールの言葉を食い取るように、そうか、と小さく頷いた。それで会話は終わった。


 このやり取りも、今まで数度と行った事だ。そうしてまるで理解しないまま、彼女はまた前へ前へと突き進んでしまう。


 恐らくは今回も、本質的な部分で何が問題なのか彼女は理解していない。いつの間にか、ネイマールの胸中にはヴァレリィに対して薄暗く、それでい深い疑心のようなものが抱かれはじめていた。


 ヴァレリィ=ブライトネスという人は、紛れもない才持つ人だろう。馬の捌き方、身のこなし一つを見ていてもよく分かる。


 以前ネイマールが同行したリチャードという老将軍以上に、彼女は特有の研ぎ澄まされた雰囲気を放っていた。


 リチャードのような苛烈な存在感ではなく、視線一つで相手を貫きかねない危うさを彼女は持っている。


 なるほどそれを見れば、魔獣を屠る役目にある守護砦、その一角に彼女が任じられていた理由はよく分かった。


 何処までも悠然とし、何処までも強固な個を持つ彼女は兵にとっての拠り所になる違いない。其れは魔獣という異形と対面するにおいて、何よりも必要な要素だ。


 けれども、とネイマールは思う。反面、彼女は余りに個が強すぎる。


 自分本位というべきか、己が出来るのだから他の者に出来ぬはずがないだろう、という意識が所々で見え隠れするのだ。


 傲慢ゆえの行いではないのが、余計に性質が悪い。彼女は本当に、他の者が何故彼女に追いすがれないのか理解が出来ていないに違いない。


 そういう点を見ると、ヴァレリィという将はリチャードとはまるで別物だった。性質というものが、余りに正反対だ。


 白い靄を吐き出しながら、ネイマールは兵に小休憩を命じる。何処に向かうにしろ、今のままでは到底彼らの脚がもたない。それに脱落者の吸収だって必要だ。恐らくそれも己の役目だろう。

 

 目を細めると、一瞬、忌々しい老将軍の顔が思考を過った。弓を握るネイマールの指先に強く力が籠る。

 

 ――よくもまぁ、こんな場に斡旋などしてくれたものだ。あの大隊長は。


 犬歯が、妙に鋭い音を伴って鳴ったのが、ネイマールには分かった。高位貴族たるフォモール家と僅かなりとも縁を結べる、そんな益にまんまと嵌り込んだ己の浅慮が悔やみきれない。


「ネイマール副官、此れより南に下る」


 ようやく少しばかり脱落兵の吸収が済んだころ、ネイマールだけに告げるような声で、ヴァレリィは言った。


 果て、とネイマールは兵に指示を出しながら、言葉を返す。本来は東方国境へ向かうはずと聞いていたのだが、途中で中継地点を設けるという意味か。


 しかし、此処から南下した所で大した要衝も存在していない。精々が監獄が一つあった程度だろう。


 ネイマールがそう告げると、ヴァレリィは先ほどと同じように小さく頷いて応じた。


「――その通りだ。我が隊は監獄ベラへと向かう」

何時もお読み頂きありがとうございます。

皆様にお読み頂けることが、何よりの活力となっております。


現在TOブックス様より書籍化頂いている本作ですが、無事2巻目が出版される

事となりました。発売日は2月9日を予定しています。


此れも日々皆さまに支えて頂いているお陰です。本当に、ありがとうございます。

もしご興味があれば、お手に取って頂ければ幸いです。


特典や書下ろし等については、別途活動報告にてご連絡させて頂きます。

宜しくお願い致します。

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