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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十三章『大災害編』
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第三百九話『ガーライストの英傑達』

「哀しみや災いというものは、弱味を見せれば次から次へと食らいついてくる。面倒なものですな」


 ガーライスト王国高位貴族。ロイメッツ=フォモールはその巨躯とは裏腹に、繊細さと知性を感じさせる声で言う。大きな瞳の裏には、思惑が幾重にも見え隠れしているようだった。


 本来は十数名以上の高官貴族、聖職者達によって埋め尽くされるガーライスト王国円卓議場。だが今日ばかりは、その席についているのはたった二人の男だけだった。他には護衛の姿すら見受けられず、奇妙なほどに静寂だ。


 下座にロイメッツ=フォモール。そうしてロイメッツを差し置いて上席に座するのは、細身であり随分と長い指を持つ男だった。


 煙草を咥えたままの恰好で、遠くを見ている様なその眼の下には、深い隈が出来ているのが分かる。


 黒色の軍正装に赤い外套を羽織らせたまま、男は重い声で言う。


「肥えた土には雑草がよく生い茂るものだ、フォモール卿」


 ガーライスト王国は広域の版図を持つ。ならばそれに応じ一つや二つの悲劇など、起こって然るべきだろうと、男は続けた。


 そうして、薄い唇を開きながら言葉を続ける。男がこのように言葉を重ねるのは稀な事だった。


 それは彼の性格が慎重だからとか政敵が多いからというよりも、ただただ、彼は話すという事がそれほど得意ではなかったからだ。


「卿の言いたい事は分かっている。魔獣群がその脅威を増していることだろう」


 ロイメッツの巨躯が大仰に頷き、肯定の意を示す。その所作の一つ一つに、妙な気迫すら籠って見えた。表情も何処か重苦しく固さが取れようとしない。


 此処の所、ガーライスト王国王都に昇る話題というものはどれもこれも暗い翳りを帯びたものばかり。明るい話題などと言えるのは、精々大聖堂より聖女候補が生まれ落ちたという事くらいのものだろう。


 それ以外は城壁都市ガルーアマリアの失陥に始まり、サーニオ会戦での敗北。ガーライスト王国傘下にあったベルフェイン、フィロスという二つの自治都市も福音戦争の内に失った。


 それに続き、また二つばかり厄介事が脚をつけて王国内へと去来していた。


 一つは、聖女が巡礼中に旧教徒の大規模な襲撃を受けたというもの。襲撃によってフリムスラトの大神殿は雪中に崩れ去り、国中に名を馳せる聖堂騎士もその多くが負傷した。


 幸い聖女アリュエノは無事。また聖堂騎士ガルラス=ガルガンティアと同行者ヘルト=スタンレーなる者の尽力により被害は抑制されたとの事だったが、そもそも聖女の巡礼が何者かに邪魔だてされるという事自体があり得てよいものではない。


 こんな不始末は当然市民の耳に入れる事も出来ず、大聖堂は対応に追われて一部機能不全すら起こしていた。


 そうしてもう一つの厄介事が、死雪にてその生を謳歌している魔獣たちの存在だ。

 

「北西から来る魔獣群は勢いを失う所を知りません。それこそ過去類を見ないほどのものだと」


 北西の砦を預かるヴァレリィ=ブライトネスからの報告を繰り返すようにして、ロイメッツは言う。その言葉は直接的なものではなかったが、込められた意味は男も十分に理解していた。


 詰まる所、魔獣群に対抗するため国軍による戦力の増強を望むという事。


 それは至極当然の事であり、それでいてガーライスト王国においては易々と行えるものではなかった。


 強大な体躯と牙を持つ此の国家は、図体が大きく鈍重になるにつれ、その頭蓋も同じく肥大化していった。そうしてとうとう、それはろくに身体を動かせなくなる所まで来てしまっている。


 形式上、ガーライスト王国は国王アメライツ=ガーライストによる君主政治であるが、その内情はもつれ合った糸よりも複雑だ。


 貴族により構成される政機院の影響力は毒のように国家に染みわたり、大聖堂の眼も至る所に張り巡らされている。


 それでいて、治世王と尊ばれた現国王が老齢となりかつての旺盛さを見せないとあれば、当然のように政治の歩みは遅々としたものとなる。


 正式な手順を踏むとなれば、一つの政策を通すだけで気の遠くなる時間を過ごす事になるのはよくある光景に過ぎなかった。


 とはいっても、そんな有様であれ政治分野であれば大規模な問題はおき得ない。不具合は起きるが、慎重な判断を下しているとも言えるだろう。


 だが、軍事となればそうはいかない。


 一瞬の遅れが兵を殺し、国家の骨髄を食らい尽くしてしまう。ゆえにこそ、政治と分離した国軍の静動についてだけは、国王直下とも言える独裁権限者が存在する。


 それを与えられているのが、此の細身の男。国を護る者。護国官ジェイス=ブラッケンベリー。


 此処長き時代の間、ガーライスト王国において護国官とは彼の事を指し示す。


 ロイメッツと比較すれば小さいとも言えるその双肩に、ガーライスト王国軍部の全権が重圧となってのしかかっている。その重みが果たしてどれほどのものであるのかは、ブラッケンベリーのみが知る所だった。


 ブラッケンベリーは煙草の白煙を吐き出しながら、言う。


「陛下の耳にはすでに入れている。だが駄目だろうな。もう陛下は判断をされなくなってしまった」


 ブラッケンベリーが告げる言葉の中には苛立ちや焦燥のようなものはない。ただ事実だけを告げている様子だった。


 国王への批判を含めた物言いにも、ロイメッツは鼻白む事なく言葉を返す。すでに理解しているとばかり、小さく頷いた。


「だからこそ私は此処に来ております、ブラッケンベリー護国官」


 存分に物を含みながら、ロイメッツはブラッケンベリーを見据えた。その大きな瞳は平時と比べ随分と固くなっている。


 無理もない。ロイメッツにしろ、今行っていることはすぐにでも割れて砕けてしまいそうな薄氷の上を歩いているようなもの。


 何せ高位貴族とはいえ、本来護国官に直接請願を行うなどあってはならない。護国官とは政治と一切分離すべき存在だからだ。


 此の事がロイメッツの政敵に露見すれば、蝗のように奴らは食いついてくる事だろう。


 だがそれだけの危険を冒す意味が、ロイメッツにはあった。そうしてまた、ブラッケンベリーにも。


 ブラッケンベリーは薄い唇に再び煙草を咥えたまま、一瞬思案するように睫毛を瞬かせた。大きな白目の中に浮かぶ蒼が、妙に際立って見えている。


 煙草の白煙を揺蕩わせ、ブラッケンベリーは言う。


「卿は政治に携わっているというのに、率直な男なのだな」


「ええ。率直さというのは、政治に何より必要なものです」


 そうか、とブラッケンベリーは頷いた。その一言で、何かを決断したようだった。細身の身体を立ち上がらせ、赤い外套を揺らしながら、ブラッケンベリーは言葉を継いでいく。


 深い隈が入った眼が、異様な重圧を持って開いていた。


「ガルラス=ガルガンティアが大聖堂の英傑であるのと同様に、ヴァレリィ=ブライトネスもまたガーライスト王国において失えぬ英傑に間違いはない。その彼女を凡人の愚行ゆえに殺すなど馬鹿々々しいことだと私も思うよ」


 その言葉は、ロイメッツの言葉を少なからず受け入れた事を意味している。思わずロイメッツは胸中で安堵の吐息を漏らした。


 ヴァレリィの事を信頼していないというわけではない。例え雲霞の如く魔獣群が押し寄せても、彼女の魔術鎧であればその全てを捻じ伏せるだろうとロイメッツは確信してすらいる。


 だが例えそうだとしても、戦場に立つ者は常に一片の悪魔を背負うことになる。戦場とは、そういうもの。


 なればこそ戦場に立たぬ者には、相応の義務があるとロイメッツは確信する。己に忠誠を誓うものが戦場に立っているのだ。ならば主は最大限の支援をしなければならない。


 だからこそ主は配下に対しての指揮権を得、配下は主に剣を捧げる。その関係が崩れてはもう、そこに主従の情など存在し得ないではないか。


 無論、リチャードが傷を負い動けぬ今、ヴァレリィまでもを失えぬという当然の打算もロイメッツの胸中には存在している。情と打算というものは、何時だって天秤の左右に振り分けられるものだ。


 ブラッケンベリーは煙草の火を消し、淡々と告げる。すでにその頭蓋の中には、絵図が出来上がっているようだった。


「彼女が今持つ権限では増援に出せる兵数に抑制がかかる。よって一時的に王都に帰還させるが、それでいいな、フォモール卿」


 ロイメッツは何時ものように、その巨躯を大きく動かして頷いた。

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