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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十一章『巡礼編』
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第二百八十七話『願い望みし邂逅』

 大神殿そのものを食いつくてしまいそうな禍々しい黒霧に、継承団長たるガルラス=ガルガンティアの消失。


 その二つの異常が噛み合って尚、聖堂騎士団は瓦解という言葉を視界にいれてすらいなかった。得体の知れぬそれらの事象に後退を強いられてなお、誰もが背を向けるなどという事はしていない。


 ある者は傍らの戦友が倒れ行く様を見て、承認魔術が施された槍を振るう。其れは神敵を討つ為の、神より許しを受けた魔術武装。神の敵を悉く踏み潰すための武威。


 其れを振るわれたモノは、善意も悪意も全てが因果を失い、まごう事なき神敵と見なされる。それだけの権能が、聖堂騎士には与えられている。


 聖堂騎士は神敵を屠り食らうものであり、同時に神敵を作り出す機関。


 それは時に彼らが暴力的なまでの権能を持つ一つの悪因となったが、しかし今この時はまさしく正しい権能の扱われ方だろう。


 少なくとも、この濃密で泥と見まごう黒霧は、聖書に刻まれた存在ではあるまい。飲んだ人間をそのまま昏倒させる在り方など、とても神が許すものではあるまい。


 であれば詰まりこれは、神敵である。神敵こそが、我らの敵である。黒霧は神敵と承認された。


 魔術武装の穂先は、その先に存在するものが何であれ神の敵を悉く穿ち貫く。それこそが神の加護とでも言う様に。


 それ故だろう。本来魔術や武技など鼻にもかけぬはずの黒霧が、聖堂騎士が振るう一槍に触れた瞬間、確かにその身を打ち払い、蠢き悶えた。


 それでもまたすぐにその様子を元に戻してしまいはするが、それでも効果自体は、あった。


 同行者たるヘルト=スタンレーは、その有様を視界の端に捉えながら白刃の大剣を傾ける。かつて用いていた時より僅かに重みをましたそれを両手で振るいあげると同時、黄金の眼が僅かに歪んだ。


 ――まるで呪いの濁流だ。呑み込まれるな、此れは。


 己の白刃とて振るえば、多少なりとも黒霧を退けられる。承認魔術を振るう聖堂騎士達の支えをもってすれば、もう暫しこの場を耐えしのぐことは出来るだろう。


 けれども、それだけだ。


 黒霧はその身を削り取られようと多少四肢を揺らめかせるだけで、大して何かの影響を受けたという風もない。そうして後から後から、まるで大波のように此方へとのしかかってくる。


 その重みにいずれは皆脚を取られ、そうして首を締められるに違いあるまい。


 ならばもはや黒霧に対して正々堂々、騎士らしく背を向けずに剣と槍を振るい続けるなどというのは意義も意味もない。今行うべきは別の事だ。


 黄金の右眼が、揺蕩う。白刃が豪速を持って空間を断ち切り、僅かに黒霧を跳ねのけた。しかしそれでも、その場で四散するような甘さは見せてくれない。奥歯を、鳴らした。


 白刃を跳ねさせながら、数歩下がる。

 

「聖女様、おさがりください。もうこの場は堪え切れないでしょう。退路を確保します。聖女様だけでもお逃げを」


 背後にて、聖女が瞼を瞬かせた気配があった。視線を向けず、耳だけを立てる。その間にも、瞳はじぃと、黒霧の一か所を見据えていた。


 歌でも歌うような、滑らかな声色がヘルトの耳を撫でる。こんな状況だというのに、聖女アリュエノの声にはまるで悲観したような素振りはなさそうだった。


「ええ、私は構いません。退こうとも進もうとも、其れが神のお導きでしょうから」


 そんな言葉の中、聖女の黄金の眼が、前方にて武具を振るい続ける聖堂騎士達を指しているのが分かった。だが、彼らはどうするのかと、そう問うているのだろう。


 ヘルトの唇が一瞬、言葉を選んだ。


 聖堂騎士というのは何処までも勇敢で、そうして何処までも己の義務に忠実な人間だ。聖女の安全を確保する為であるならば、幾らでも命を投げうち、そうして肉と血を吐き出す事だろう。そうして彼らの助けがなければ、とてもではないが聖女の退路確保など望めない。


 唇を波打たせながらヘルトは視界を動かす。後方にも、黒霧の気配が眼を開いているのが、見えた。吐息を、漏らす。


「――副長。ガルラス継承団長が失われ、此処ももう長くないでしょう。黒霧が薄い箇所を切り拓き、聖女様の退路を確保すべきかと。例え、我ら全てが捨て石となったとしても」


 言いながら、此の言葉が簡単に受け入れられるような事はないだろうなと、ヘルトは大剣を持つ両手に力を込めたまま、胸中で呟いた。


 己はそも聖堂騎士ではなく、ガルラス=ガルガンティアの同行者という立ち位置でしかない。詰まり何ら権限や肩書を持たないに等しいのだ。よもや聖堂騎士ともあろうものが、そう簡単に部外者の言葉を聞き入れるはずもない。


 そんな事を、ヘルトはよく理解していた。思えば城壁都市ガルーアマリアにいた頃から、肩書次第で言葉の良悪が判断される様子というのを、何度も目撃していたではないか。


 当時は、受け入れられる言葉が正しいものであり、そうでないものはきっと正しくなかったのだと、そんな馬鹿らしい判断をもって受け止めていたが。


 副長が、その口元を歪めながら言葉を出し渋る様子を見て、今一度ヘルトは唇を開いた。


「ガルラス継承団長よりも、その旨を言付かっています。己の身に何事かあれば、聖女様の身を安全とする事を第一に考えよと」


 その言葉に一瞬副長は指を跳ねさせ、そうして次に重苦しい声で告げた。ため息を漏らしらながらも、口元に苦い笑みを湛えているのが見えた。


「では、ヘルト=スタンレー殿、聖堂騎士二名を同行させる。聖女様をお連れし、君は退路の確保を――すまない、気を遣わせたな」


 情けない限りだとそう愚痴をこぼしながら、副長は眼を細め、そうして盾に備えられていた鞘から、剣を引き抜いた。


 前へと出で、もはや何も語らずに背を向けるその姿を見るに、彼は此処に留まるつもりなのだろう。捨て石となる身と知っていながら。


 ヘルトの口元から吐息が零れる。それは白く姿を変えながら、すぐに何処かへと消え去っていった。副長のあの様子を見るに、どうやら此方の意図は見抜かれていたらしい。


 ガルラス=ガルガンティアより指示を受け取っていたなどと、当然に虚言に過ぎない。そもそも、彼は己の身に何事があれば、などという消極的な想定をする人間ではないのだ。


 そんな事も了解した上で、副長は己の言葉を聞き入れてくれたのだろう。


 ヘルトは瞼を一瞬、閉じ。そうして次には眼を大きく見開いた。


 同行を告げられた聖堂騎士、そうして聖女にも見える様に、白刃で黒霧の一部を指し示す。その部分にはある種の弛みのようなものがあるのを、ヘルトは右眼でもって捉えていた。


 無論、何等かの罠かも知れないし、本当に偶発的なものかも知れない。けれどその真偽を問う暇などあるはずもない。ならば、行くしかないのだ。


 白刃を持ちながら、聖女の前を行くようにして、脚を掛けさせた。その合間、それにしてもと、ヘルトは頬を歪ませる。


 ――それにしても、虚言を弄してまで事を成すなど、以前の己が見れば何という事だろう。


 恐らくは、其れは正しい事とはとても言えないと、真っすぐな眼で告げるのだろうと、そう思った。



 ◇◆◇◆



 黒霧の先に、其処はあった。


 大神殿の名に相応しい、荘厳な装飾を持って飾られた広間。恐らくは過去、儀式などに使われたのだろう。白色の祭壇や燭台のようなものが見られ、石を削って造り上げられた像がそこかしこに不気味さを伴って浮かび上がっている。


 神殿を構成している白石が、仄かに灯りを持つらしい。そのお陰かまるで先が見通せぬという事はないが、しかし明るいというほどでもなく、薄暗さが何処までも続いている。


 不思議だ、言い様のない奇妙な空間だった。


 仄かな灯りが浮かび上がらせる幻想的な広間の様子は、本当に此処が現実なのか、もしかすると夢の中で見ている光景なんじゃあないかと脳髄に疑わせる。


 ヘルト=スタンレーは耳を立たせ、隻眼で広間の先を、見つめた。


 背後には聖女アリュエノ、そうして更にその背後には二人の聖堂騎士が危機感をにじませながら、一歩一歩、足を進めている。


 無理もない。当然に警戒すべき場だ。何せ聖堂騎士を締め付け一息で半壊させかけたあの黒霧が、此処に至るまで驚くほど易々と道を譲った。


 其れを神のご加護と言ってしまえれば気楽だが、幾ら聖堂騎士達とてそこまで神に何もかもを預けてしまっているわけではない。


 己たちは、此処に誘い込まれたのではないか。そんな思いが芽生えて当然だ。


 ゆえに、聖堂騎士の一歩は重く、その五感は何処までも研ぎ澄まされる。眼は左右に振り回されて、猜疑心そのものへと変じていた。


 けれど、ヘルト=スタンレーは、違った。その眩いばかりの黄金は、広間の先、祭壇の上に座り込んだ影を、見つめている。


 余りに静かにじっとしているものだから、それは周囲の暗闇そのものへと溶け込み、薄暗さの中ではその正体はとても掴めない。一見は、飾り立てられた像のようにすら見えただろう。


 ヘルトは自然と自らの肌がひりついていくのが、分かった。大剣を握りこむ両の拳が、ぎゅぅと、音を鳴らす。眼前にあるそれが単なる儀式像でない事は、誰よりもヘルトが理解していた。


 前へと、歩を進めた。もはや背後の存在など、何一つ気にも留めていないとでも言わんばかり。黄金の瞳はただ、眼前の其れを見つめていた。


 もはや光を失った左眼が、蠢くように、嗚咽を漏らす。


 熱い。あの夜から、闘技場の戦いでも、政治の場にあっても尚消えなかったものが、今臓腑の奥でその叫びをあげているのが、ヘルトには分かった。とても、とても熱い。


 頬が、波打つ。


「招待状としては白々しかったかね。どうせなら綺麗な月夜にでも誘い出す方が良かったかい」


 唐突に影が、まるで自嘲するように言葉を漏らした。その素振りも、口調もまるであの夜から変わりはしない。


 ふと、ヘルトはあの日の言葉を思い出していた。


 ――俺とお前が肩を並べようと思ったら、こうなるしかない。


 そう、今まさに己と彼とは、敵同士というわけだ。けれど、どうした事だろう。それよりも、むしろ久方ぶりに友人に出会ったような、そんな感触が胸の裡にあるのを、感じていた。


「いえ、無意味に遠回りをしても仕方がないでしょう。それに案外、誘いが無くともこちらから出向いたかもしれませんよ」


 大神殿の奥。影の眼と、黄金の視線が自然のままに重なった。何方も、どうしてだとか、どうやってだとか、そんな事は一言も口に出さなかった。


 ただ静かで、けれども膨大な熱が此処に、あった。

何時もお読み頂き誠にありがとうございます。

日々皆さまにお読み頂き、ご感想など頂けますことが何よりの励みとなっております。


書籍化につきまして、幾つか書下ろしを書かせて頂きました。

その内容や、どれにどのような特典がつくのかなど、近日活動報告にてご報告させて

頂きますので、ご興味がございましたらご確認くだされば幸いです。


またTOブックス様のHP等で公開されていたあらすじにつきましても、一部僭越ながら

担当者様と調整させて頂き、変更させて頂いた部分がございます。

こちらも上記同様、よろしければご確認くださいませ。


以上、これからも本作をお読み頂ければ、此れ以上の事はありません。

何卒、よろしくお願いいたします。

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