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願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十章『昏迷都市フィロス編』
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第二百六十七話『同類と同種』

 ――それで誰が俺を殺してくれるんだったかな、ええ?


 フィロス城門前で、彼のその言葉を聞いた時から、ロゾーの胸の中には一つの確信染みたものが生まれ落ちていた。それは彼、ルーギスが己と同じものに違いないという、奇妙な確信。


 兵を率いる者でありながら敵兵の前に自ら身を晒し、その首を差し出して見せる姿、神に向かってさぁ己を殺してみろと叫ぶその姿。


 そうだ、同じなのだ、彼は。彼は己同様に、自分の命など欠片ほども必要と思っていない。そうして、紛れもなく心の奥底で何かを嫌悪し、憎んですらいる。その相手が何者なのかは知らないが、決して隠し切れぬほどの情念を抱え続けている。


 だからこそ、思う。ルーギスの本質は悪徳でも、大悪でもない。あれは己の同類で、己の燦然たる――怨敵なのだ。


「この世界というのは、何とも馬鹿らしいとは思わないか、我が怨敵にして同類よ」


 ロゾーは燃え果てる唇を切りながら、言う。淡々と、それでいて語り掛ける様に。己の才能が振るうままに。


 この世界では正しくない者も正しい者も、誰もかれも何処かで人を憎んでいる。今日はパンが食えなかった、寝床に在りつけなかった、親が目の前で殺された、娘が兵に嬲られた、戦地で恋人の亡骸が踏みつけられた。不幸と憎悪の種は何処にだって蒔かれている。


 だというのに、どいつもこいつも、憎悪なんてものとは無縁でございますとばかりに、そう思い込むのが正しいのだとでもいうように振る舞っている。


 そんな様でいながら、一度でもそのはけ口が出来てしまえば、彼らは狂ったようにその情念を吐き出し続けるのだ。フィロスの市民だってそうではないか。


 己が心焼かれた彼女、フィロス=トレイトは正しき者だった。市民を想い、愛し、時に憎まれ役ですら買って出る。誰よりも統治者として正しく、相応しい者だった。


 それが、どうだ。一度背徳者としてその首に木板をぶらさげてやれば、市民の連中はこれ幸いとばかりに彼女へと石を投げつけその身を棒で打ち放った。彼女を庇うものなど、ほんの数えるほどでしかいなかった。


 下らない。結局の所奴らは自分の頭では何も考えず、ただ憎悪に突き動かされる昏迷の人形となって、日々を生きているに過ぎないのだ。傑作だとも、まるで喜劇役者そのものだ。


 だからこそと、ロゾーは思う。奴らには相応しい末路を。正しき彼女にも、此の世には憎悪と悪意しかないのだという真実を。それこそが、正しい姿なのだと教え込もう。


 ロゾーは語り続けながら、自嘲するように笑みを浮かべた。炎の中で唇が、波打つ。


「こうまで言ってなんだがね、私は憎悪を否定するものではないよ。むしろ此の世のありとあらゆる憎悪を肯定しよう」


 そんなものだからこそ、その全てを燃やし尽くしてやるべきだと、そう思う。憎悪を否定する連中、まるで無きものとして扱って、如何にも自分は正しいのだと語る役者共。


 そんな奴らに、全てを叩きつけてやることにしよう。胸中に宿る憎悪を燃え立たせ、沸き上がらせながら、此の世全てを正しき憎悪で満たしてやろう。


 何せそれこそが、此の世の正しき姿なのだと、ロゾーは信じているから。憎悪を燃え立たせることこそが、己の根源、原典なのだと、確信をもって言える。


「ご同類。君も同じだろう。此処までその二つの脚が君を運んできた燃料は、憎悪にほかなるまい」


 ロゾーは、眼前で息を荒げながら、眼を見開くルーギスに向かい高らかに語った。ルーギスの視線は、ただロゾーのみを貫いている。



 ◇◆◇◆


 

 憎悪、憎悪か。胸の中で、軽く呟く。淡々と語られるロゾーの言葉に耳を傾けながら、俺は瞼の裏で一つの光景を、思い浮かべていた。


 それはかつて見た、旅の記憶。かつて見た地の底。その果てで、俺の胸の奥底を満たし、そうして身体を突き動かしていたものは、何であろうか。


 今更問うまでもあるまい、それは、ロゾーの語る通りむせ返るほどの憎悪だ。身勝手で、何処までも粗暴な想い。それを今更否定など出来るものか。


 太陽の如き英雄は俺が持たぬものを全て持っていたし、騎士団の俊英は俺なぞ歯牙にもかけぬほど強かった。魔術師殿も、エルフの姫君も、そうして、アリュエノも。彼彼女らは俺なぞ指先も届かぬほどに、輝かしかった。


 ああ、憎かったとも、羨望したとも。


 踏みつけにされた事もあった、尊厳を蹴り飛ばされた事もあった。意志だけでは到底届かぬその存在に、幾度歯を噛んだ事か。何度、屈辱を舐めたことか。救いはなく、敬意の欠片も与えられぬ、あの日々。思い起こすだけで吐き気を催すあの日常。


 それを想うなら、確かに俺とロゾーは同類だろう。そうに違いあるまい。奴が俺と同様の日々を送ってきたというのなら、其の手すら取ってやるべきなのだろう。ロゾーの言葉の端には、それを思わせるものが確かに、あった。


 心臓が、焼けただれるほどに、熱い。唇を歪め、頬をつりあげながら、言った。


「ロゾー、俺はな。お前の言葉を否定はできんさ。憎悪なんて慣れ親しんだものだったし、羨望なんて幾度抱えたか分からない。そういう意味で言えば、確かに俺とお前は同類だ」


 どう足掻こうと、俺は此の胸に抱える憎悪を、否定しきることなど出来ない。きっと、この先もずっと俺はこの昏いものを臓腑にへばりつかせて生きていくのだろうと、そう思う。


 けれ、ども。


 口を歪めるようにして、言葉を継いだ。


「――だがよ、それでも同種じゃあ、ないんだ。違うのは一つだけさ。お前は焼いた、俺は焦がれた。それだけだ」


 荒い吐息が、口から漏れる。喉を通る呼気そのものが、気道を焼き尽くしてしまいそうだ。左手で、無理矢理宝剣を握りしめる。こめかみに鈍い痛みが渦巻いていた。遠い所に、僅かに動くものが、見えている。


 そこだけは、どうしても許容しかねる。俺は、憧れた英雄たちを、憎悪のままに焼いてしまいたかったわけじゃあない。


「俺はな、彼らを足蹴にしたかったんじゃあない、貶めたかったんでもない――俺は彼らと、肩を並べたかったんだ」


 ああ、何かおかしなものが心から込み上げそうになる。


 俺は、あの輝かしい英雄たちに、手を伸ばしたかった。彼らの背を追うだけではなく、共に道を歩めるような存在に、成りたかった。俺の根本にあったのは、その眩いばかりの憧憬だけだった。それだけの為に、命すら投げ捨てたって良かったんだ。


 だからこそ、言おう。俺とロゾーは同類だ。けれども、同種ではない。


「……残念だよ、本当に。ならば、私は君を燃やし灰にするぞ、怨敵」


 そう語るロゾーの言葉は、まるで心の真から出て来たような声色だった。大きく歪められた眼に映る情動は、まるで哀しみすら想起させる。本当に、何処までも悲しそうなその表情。


 ロゾーの言葉に応えるように、左腕だけで宝剣を構える。右肩の上に、刃を置いた。


 もはや身体は焼けた肉そのもののようで、肌は焦げたような歪な音を立てている。内部から蒸し焼きにされるような、この感覚。けれども不思議だ、その奥にまた、別の熱もあった。焼かれるのではない、随分と心地よい熱が。


 眼が燃える。影が、動いているのが見えた。


「安心しろ、安心しろよロゾー。お前は俺が此処で、救ってやる」


 俺と、ロゾー。きっと、その根本たる所には同じものがあったのだろうと、そう思う。けれども、どうした事か、同じにはなれなかった。


 理由なんて知ったものじゃあない。俺は奴の過去を知らないし、奴もまた俺の過去を知らない。きっと互いに、知ろうとすら思っていないはずだ。ひょっとするとボタン一つ掛け違えるのに、理由なんて無いのかもしれない。


 ――けれど、敢えて言うのなら、俺にはアリュエノも、ナインズさんも、そうして爺さんもいた。そうして、奴にはいなかった。きっとそんな、小さな違いでしかないのだ。

 

 そんな些細な違いで、奴はとうとう己の憧れすらも燃やし尽くしてしまった。胸の奥に、言い知れぬ思いが、ある。


 肩の上で宝剣を鳴らしながら、赤煉瓦を踏みしめる。再びロゾーの身体から、火の粉が燃え上がっているのが見えた。炎の蛇共が、敵意を向けるように此方を見据えている。


 一瞬だけ、瞼を閉じる。宝剣に願いを掛けるようにして。


 ――願われるまでもない。もはや我にとってあれは既知。主がそう求めるのであれば、一振りで斬り捨てよう。我はその為の道具なのだから。


 そんな音が、頭蓋の中に響くと同時、脚を蹴った。もはや倒れ込むような勢いで、宝剣にその身を預ける。


 ロゾーの炎熱が、眼前で煌くように揺れた。その眼は相変わらず、炯々と炎が燃え立っている。紅が、夜を焼いていた。

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