表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
願わくばこの手に幸福を  作者: ショーン田中
第十章『昏迷都市フィロス編』
258/664

第二百五十七話『夜の都市と潜入者』

 見張り役の首筋にナイフを押し当て、唇を開く。こんな時ばかりは、宝剣よりも小ぶりなナイフの方が便利だ。手に吸い付くように馴染んでくれる。


「今日この街に侵入者が来なかったか。もしくは、そんな噂や報告はあったか」


 首の薄皮を一枚だけ裂くようにしながら、言う。見張りは脚を震わせながら、そんなものはいなかったし、聞いてもいないと、そう答える。何だ随分物分かりが良いじゃあないか。


「あ、あんたは……いったい……」


「聞くのは俺か、それともお前か。どっちだと思う」


 敢えて、声を重くするようにして言った。ナイフをもう少し、首へと押し付ける。血がつぅと見張りの首筋を舐めた。


 尋問を行う際に、下手に相手の問いに答えてやるのはよろしくない。純粋に、どちらが問う立場で、どちらが従う立場であるのかをよく理解させてやる方が、尋問というやつは上手く進むものだ。


 俺の言葉に顎を跳ねさせるようにしながら見張りは頷き、そうして従順に唇を開いた。呆気ないというかなんというか、敵に襲われた時の方法を、まるで教え込まれていないような、そんな様子だ。風見鶏フィロスの見張りゆえだろうか。


「その調子だ。嘘をつかず全部答えてくれれば命だけは助けてやるよ。ご友人みたいには成りたくないだろう」


 首から先を破裂させたまま、血だまりに突っ伏す死体を見て、言う。何とも痛々しい最期だ。俺とて死ぬならもう少し安静に殺して欲しい。少なくとも、斧に頭を割られて死ぬなんてのは御免だね。


 やはり痙攣したように頷く見張りに、幾つかの問いかけを行った。


 フィロス=トレイトの居場所は。今日の見張りの数は。ロゾーとやらの居場所は、そこにいる護衛の数は。


 見張りは怯え切った様子で、それでも尚軽快に洗いざらいを話してくれた。結構な事だ。皆が皆、こう素直でいてくれれば良いのだが。


 俺の問いかけに応えきった後、暫く無言になった事に怯えたのだろうか。見張りは喉を震わせながら、こう続けた。


「フィ、フィロス=トレイトを探してるなら案内するぜ。ここからすぐの所だ。俺も、出来るなら助けたいと、そう思ってたんだ!」


 その見張りの言動に目を丸めながら、ああ、こういう人種は何処にでもよくいるのだなと、そう思った。


 彼は俺の言動から、俺がフィロス=トレイトを救出しにきたのだろうと、そう理解した。だから俺のご機嫌を取るために、上っ面だけの事を言ってのけたわけだ。


 素晴らしいね、実に人間的だ。手を叩いて賞賛すらしたくなった。


「いや、もういい。お前らの神様にも悪いしな。だから一つだけ伝言を頼まれてくれ」


 伝言と聞いて、見張りの身体から力が抜けていくのが見えた。助かったと、そう思ったのだろう。極度の緊張の後には極度の弛緩がある。安堵という感情も、此処まで目に見えるのは珍しい。 


 だから、より落ち着かせてやる為に、言葉を吐き出させぬ為に。伝言の内容を伝えた。


「――アルティウスの奴に、俺に送り込まれたとそう言え」


 それだけ言って、片手で見張りの口を蛇のように抑え込み――首筋にめり込ませていたナイフを、手前に引く。肉を断裂し、血を抉り取る嫌な音と感触が、手の中にあった。


 一瞬、腕の中で見張りの身体が暴れる感触があったが、しかしそれもすぐに止んだ。首筋からどす黒い鮮血を暫く噴き出した後、彼もご友人と一緒にただ躯を晒すだけとなった。


 軽く血を拭った後、二つの死体を、城壁の外へと放り投げる。城壁に血の跡は残るが、何、夜の間の事。そう簡単に気づかれまい。


「命は助けるという約束は、守らなかったのですか」


 夜闇の中から、声が響く。それは咎めるというような風ではなかったが、強い疑念を抱いている様ではあった。俺は、声の主ヴェスタリヌ=ゲルアを見て、言った。


「先に約束を破ったのはあちら側さ。鉄鋼姫様としてはお気に召さないかい」


 いえ、そういうわけではありませんと、ヴェスタリヌは短く答えた。だが、夜の暗がりの下で、その表情が僅かに強張ったものになっているのが、俺にはよく見えた。


 だから付いてくるべきではないと言ったのだ。ある種何処までも上流階級の中で育て上げられてきたヴェスタリヌと、泥の中で生まれ育った俺とでは、考え方や美学が違いすぎる。


 今からでも戻ったらどうかと、ヴェスタリヌに言葉を投げる。その選択肢を取りやすいように、俺も其方の方がやりやすい、という悪態まで付け加えて。だが、ヴェスタリヌは決して首を縦に振ろうとはしなかった。


「姉さんが自らの心臓を曝け出しているのです。ならば妹の私が、鎧の中に籠っているわけにはいきません」


 ヴェスタリヌはそれ以上、言葉を出そうとはしなかった。肩を竦めて、返す。どうにもこういう生真面目な人間というのは苦手だ。与しやすいようで、その反面言葉が通じない。


 吐息を漏らしたまま、城壁の上から自治都市フィロスの全貌を見渡す。大きな都市ではないが、それでも隅々を歩き回るには広すぎた。どうしてブルーダーも、こんな中に身を投じようと思ったのか。奴らしいといえば、らしいのだが。


 ブルーダーは都市フィロスを敵と見定めた折、どうした事か、一人で一度都市内を偵察するとそう言いだしたらしい。動機はよく分からんが、ヴェスタリヌが言うには俺に気を遣ったのだとか。どうして気を遣うと、敵都市に潜入する事になるのだ。


 しかしそうだとすれば、流石に置き去りにして紋章教陣地に引き返すことも出来まい。大きく溜息をつきながら、言う。


「それでブルーダーは、ただ情報を集めるだけだと言っていたんだな。何をするってわけでもなく」


 はい、とヴェスタリヌは小さく頷いた。暗殺を行う、などということでないのなら、まだ物騒な事にはならないかもしれない。

 

 しかしブルーダーの事、奴が情報を集めると言ったなら、本当に命の危険が迫る瞬間までフィロスの中を歩き回りかねない。可能な限り早く合流すべきであるのは変わらないというわけだ。


 情報収集というのなら、此の都市の中心であるロゾーの周囲を狙うだろう、というのまでは予想がつく。ならば、俺達もロゾーの傍に潜み込み、ブルーダーとの合流を行うべきなの、だが。


 俺の頭の中に、一つだけ引っかかりが残っていた。それは、善行と、見張りの兵共が語っていたその言葉。


 フィロス=トレイトは何処までいっても貴人だ。正直な所そんな人間を拘束するのなら、精々が一室に軟禁する程度。安全は保障されているものだと思っていた。


 だが見張り共の声を聴くに、どうにもそうではないらしい。むしろ安全とは程遠い所にいると思った方がいいのだろう。参った、元々はブルーダーを見つけたならば、そのまま引き返そうと、そう思っていたのだが。


 どうにも、交渉でフィロス=トレイトを引き渡させる、などという段階にないように感じる。


 指を折り曲げ、手袋をはめ直す、そうして手を固く握った。さて、どうしたものか。


 まぁ、どちらにしろ、動くしか手はあるまい。潜入活動というのが出来るのは、精々が暗い内だけだ。その限られた時間の中で成すべきを成さねばならない。


「慎重に動きましょう。灯りが使えない我々には、暗闇は味方であり、敵でもありますから」


 生真面目な言葉を、ヴェスタリヌが言う。らしい言葉だな、と素直に思った。


 なるほど夜は落ち、灯りは見張りや衛兵が使う僅かなもののみ。都市に不法に踏み入っている俺達にすれば灯りなぞ使えるわけもなく。その所為で危険に陥ることだってあるだろう。


 だが、そんな心配は俺には無縁だった。夜の街、裏通りに僅かに蠢く人の動き、風に揺られる風見鶏の姿さえも、それらは全て俺の手の中にある。


「安心しろよ鉄鋼姫様。夜闇に紛れる事は俺の本領さ。むしろ悠々と歩いて事を成そうじゃあないか」


 頬に線を浮かべる様にして笑い、そう言った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] ここ最近ルーギスがカッコよくてニヤニヤしちゃう
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ